かあさん ちょいちょい がん患者 闘病と家族のイラスト日記

食道がんと咽頭がんと肺がんのお母さんと、家族と育児の闘病生活をイラスト日記にしました

臓器移植を希望される方と私の 短いけれど意味のある経験を マンガにしてみました

大変なショックを受けました

私のブログに 何度かご訪問いただいた方は ご存じと思いますが、この1週間で、私は相当に落ち込んでしまいました。

 

理由は二つあるのですが、一つは日馬富士関のニュースです。

私は白鵬関と日馬富士関の大ファンで、がん闘病中の4年間、彼らの活躍を応援する事で大変な喜びを頂きました。

身体の自由がききませんが、今年 念願だった安芸場所を観に行きました。

そこで事件後と思われる日馬富士関にも白鵬関にも、貴乃花親方にも手が触れる位の場所で応援をさせて頂きました。

こんな大騒ぎになるとは、夢にも思いませんでした。

 

この数日で、日本中が 私の息子を嫌ってしまう様な、避難を浴びせかけている様な、そんな気持ちです。私の大切な息子です。

 

教育に「叱咤激励」は必要だと思いますが、「暴力」は必要ありません。

ニュースが本当なら、日馬富士関は間違っています。

でも彼は、まだ33歳の青年です。

(顔はおっさん顔ですけど、速水もこみちさんや木村カエラさんと同じ年です)

 

どうか彼の未来を奪う様な事だけはないようにと、心から願っています。

 

かこ週刊漫画 NO5 臓器移植希望者の方との経験

ショックだったもう一つは、実父が脳梗塞で倒れました。

倒れたといっても、もう重度のアルツハイマーであったために、意思の疎通や自立行動は殆ど出来ませんでした。食事の時間に身体が座らないという状態から、救急車で運ばれたようです。

 

自発呼吸をしていますが、もう食事を楽しむ事も 目を開ける事も難しそうです。

お見舞いに行きました。

訳があって、この5年間で3回目の訪問です。

  

横たわる父を見ていると、私が最初に入院した時に同室だった、臓器移植を待つEさんとFさんを思い出しました。もし父親が若くて健康であったなら、このまま脳死となった場合、臓器移植をしただろうか?と思ったからです。

 

先ずはマンガを読んでください。

10ページあります。

 

Eさんの場合

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事実と比較して

心苦しい話ですが、マンガでは健康的な女性に見えるEさんですが、実際は少しの移動も車イスが必要で、病室から自由に出入りするような状態ではありませんでした。

お隣のベットだったFさんも同じ状態だったにも拘らず、トイレを占領する私に 一言の文句もおっしゃる様な事はありませんでした。

ゆっくりと他のトイレを利用して下さる様な、とても優しい方でした。

 

私が副作用後にいきなり丸坊主になっていますが、それは私が自ら「床屋で丸坊主にしてもらった」からで、副作用の脱毛が数日間に起きる訳ではありません。

副作用も人それぞれですから、ケロッとされている方もいらっしゃいます。念のため。

 

私の携帯が鳴ったのは、私が抗がん剤で高熱を出し 個室に強制移動させられていた為に、うっかりマナーモードを解除していました。

私は当時、手ごろで一般的なガラケイを使っていましたが、Eさんがスマホの他に 連絡専用にもたれている携帯とメーカーが同じで、お互い耳に付く呼び出し音を選択していました。それが同じでした。

 

印象的な言葉は、その様な言葉をおっしゃったと記憶にありますが、マンガ中の文章が全て正確ではありません。臓器移植ネットワークのHPから抜粋した文章もあります。

実際はもう少し、苦労話の様に話されました。

 

ラストのページで、彼女の希望を象徴するような笑顔を描きましたが、実は私は彼女が移植を受けたかどうか、知りません。

私より数日先に自宅へ戻られました。

どうか今 元気に息子さんと過ごされていると、祈っています。

 

臓器移植と父親について

父親脳梗塞を起こして1週間になりますが、年齢が90歳に近い年齢ですから、もう余命治療はしない選択をしています。

ですから管で繋がれたようなイメージはありませんでした。

 

しかし大きないびきで、時々「舌」が喉に絡むのか?むせ返る様に呼吸が止まったり、大きな呼吸をする父を見ていると、もう私の中にある父が、「存在している様で、本当に存在しているのか?」分からなくなりました。

 

暫くすると一瞬、父がものすごく苦しそうな顔をして、眉間にシワを寄せる時がありました。その顔を見た瞬間、私はこれ以上 父が苦しまない様に、痛みに襲われない様に、このまま静かに眠ったままで逝くことを望んでしまいました。

そうして何のためだったか?必死に眉間のシワを伸ばそうとしました。

 

父の布団をめくると、右手と右腕は、かたく硬く 固定されていました。

冷たい腕でした。その腕を動かそうとしてみたけれど、もう硬直されています。86年の人生を掛けて絵を描き続けてきたその右手は、もう二度と動く事が出来ません。

父の人生の終わりを感じました。

 

しかし娘は奇跡だといいますが、私が顔を見ている間に、父が一度だけ眼を開けました。ほんの十数秒くらいだったと思います。そして必死に覗き込んで、涙と鼻水でずるずるの私の顔を見て、笑いました。

私だと分かって、笑った様に見えました。

目線は私にしっかり向いていました。歯の無い口がのぞきました。

 

その瞬間、私は父はまだ生きている!と確信し、このまま死にはしないと思いました。

絶対にありえないであろうに、回復すら思い、「大丈夫よ!」と声にならぬ思いを叫んでいました。

 

どうしてこんなになるまで、私に会えなかったのよ?私を見て笑ったくせに!本当は私に会いたかったんでしょうと、泣けてなけて仕方がなかったです。

 

 

私は勝手です。

時に父の死を願い、時に父の生にすがります。

この時に脳死移植の難しさ、日本のドナーの少なさを理解してしまいました。

 

電話のベルで「命を繋ぐ」希望をしている方が、日本には13000人以上いらっしゃる。しかし現実には年間に移植を受けられる方は200人しかいません。

脳死を人の死と受け入れる事が出来るか?まだ温かい体です。

しかし自分や愛する家族が、移植希望をする病気になったら?

 

このマンガを読んで、少しでも日本の臓器移植について考えて頂けたら幸いです。

 

 

長きに渡って読んでいただいてありがとうございました。

少し元気にならなくちゃねw

父の様態次第ですが、来週はEさんのお隣にいらっしゃったFさんについて描こうと思います。

では、また来週(@^^)/~~~