「娘に情報が古いと指摘されます」 老舗サイト「とほほのWWW入門」の管理人ってどんな人?

90年代後半から2000年代にウェブ制作を経験した者なら『とほほのWWW入門』と聞いて、ピンと来ない人はいないだろう。同サイトは、HTMLやJavaScript、Ruby、Pythonなどの基礎知識が学べる、ウェブ制作初心者にとってはバイブルのような、とてもありがたい存在だ。サイトが開設されたのは1996年。国内でインターネットが普及し始めた初期からある老舗サイトで、お世話になった人も多いはずだ。

なつかしいデザインの「とほほのWWW入門」。少しずつだが、マイナーチェンジされているという

2016年10月を最後に更新がされていないようだが、それでも20年間コンテンツを出し続けるのは、かなり大変なことだったのではないか。同サイトの管理人・杜甫々(とほほ)さんは、いったいどのような人物なのか。サイトを開設したきっかけやインターネット初期の空気感などについて、話を聞いた。

 

「とほほのWWW入門」管理人・杜甫々さんとは?

――今回は取材に応じていただき、ありがとうございます。杜甫々さんは、今まであまり表に出ていない印象ですが、インタビューを受けた経験はありますか?

1度だけ、ある書籍の取材を受けたことがあります。インターネット上のちょっとした有名人の何人かにインタビューをして、1冊の本にする企画ですね。本業が忙しいのもあり、そのほかのインタビューは断ってきました。

――一時期は死亡説も出ていたので、実際にお会いできるか心配でした。

つい先日までGoogleで「杜甫々」を調べると、関連検索ワードで「訃報」と出ていました。私は広島県出身なのですが、たまたま同じく広島県出身で「とほほ」というペンネームを使っていた方がお亡くなりになった時に、誤解が広まってしまって。ある日、弟から「生きている?」とメールが届いたので、「生きている」と返したら、「ネット上で大変なことになっている」と言われて気づきました。家に帰ってから、その方にお悔やみを申し上げるのと同時に、自分が生きていることをサイトに掲載しました。

――そんなことがあったのですね……。ちなみに「とほほのWWW入門」というサイト名や「杜甫々」というペンネームには、何か由来があるのでしょうか?

思いつきと偶然ですね。現在もかろうじて残っていますが、当時は別のページもあって。画像素材を載せた「むふふの素材集」や、どんな内容か忘れてしまいましたが「えへへの○○」など。その中で「とほほのWWW入門」のアクセス数が最も多かったので、ペンネームも杜甫々にしました。

――もし、素材集が人気になっていたら、「むふふさん」になっていたかもしれませんね。

そうかもしれませんね。もしかしたら、「むふふ」と名乗っていたかもしれません(笑)。

――ともあれ、無事お会いできてうれしいです。「本業」の話がありましたが、いったいどのようなお仕事をされているのでしょうか?

メーカーの子会社で、プログラマーとしてソフトウェア開発をしています。サイトを開設した当時は、管理システムの開発を仕事としていて、ウェブ制作はあくまで趣味としてやっていました。現在はポータルサイト作りにも携わっているので、仕事と重なる部分も増えてきましたが。

 

サイト開設は1996年。当時のインターネットはどんな状況?

インターネット簡易年表。主な出来事はJPNICの「インターネット歴史年表」から、とほほのWWW入門は同サイトの「主な更新履歴」から一部抜粋して作成。

――今回のインタビューにあたり、サイトを開設された当時、インターネット周辺でどんなことがあったのか調べました。1996年7月にBIGLOBEがサービスを開始した翌月、プロバイダ契約をしてサイトを開設しています。かなり初期からインターネットに触れていたのですね。

サイト開設は1996年ですが、インターネットに触れたのは、それより8年前の1988年です。

――そんなに前なのですね! 当時の様子がまったく想像できないのですが、どういう状況だったのでしょうか?

1988年に今の会社に入った後、丁稚奉公のような形でグループの研究所に行きました。そこで、ちょうどインターネットの研究に携わりました。パソコンはまだインターネットにつなげることができず、ワークステーション(業務用高性能コンピューター)同士をつなげていました。フロア内にはLANが引いてある一方で、外部へは電話回線のモデム経由で「カリカリカリ……」という音を聞きながら、ものすごく遅いスピードで通信するわけです。

――電話回線の時代は私もギリギリ体験しているので、その部分は共感できます。ただ、当時はインターネットで何をしていたのか想像が追いつかず……。サイトを見ていたのでしょうか?

そもそも「サイト」という概念がないですね。それどころか「http」も「www」もありません。ファイル転送とメール、あとみんなが投稿したテキストだけの記事を読む「ニュース」というものがありました。

――なるほど。インターネットを当初から知っていたからこそ、サイト開設も早かったわけですね。

そうですね。「だんだんインターネット広がり始めたぞ、みんなが使い始めたぞ」というのが見えてきて。そのうち「『ホームページ』というものが流行っているらしい」と聞いたので、さっそく開設してみたんです。ところが、当時はまだウェブ制作に関する情報が少なく、体系立てて書かかれている日本語のサイトはありませんでした。だから、勉強がてら自分のためにまとめようと思って始めたのがこのサイトですね。

――当時はどんなサイトを参考にしていたのでしょうか?

やはり英語のページが多いです。今は懐かしのブラウザ「Netscape Navigator」の開発サイトや、HTMLの規約集を見ていました。

――英語のサイトを参考にするのは大変ですよね。杜甫々さんは英語が得意だったのでしょうか?

いえ、英語はあまりできません。本当はちゃんとやらないといけないのですが。私の場合は、英語の説明をそこまで読みこんでいるわけはないですね。それよりも、例を見て「恐らくこういうことを言っているのだろう」と予測し、実際に試して確かめるので、そこまで英語が読めなくても理解はしているかな、という感じでした。

――杜甫々さんがサイトを開設した翌年、1997年にGoogleがアメリカで検索サービスを開始し、2000年には日本語で検索できるようになりました。もはや検索以前を思い出すのが難しくなっていますが、当時はどうやって杜甫々さんのサイトへアクセスが来ていたのでしょうか?

正確にどこから来ているのかはわかりませんが、多くはウェブサイトの紹介ページから来ていたのだと思います。登録制のサイトがいくつかあったので、何カ所か申請して。「Yahoo!」も登録制のリンク集のようなものを作っていた頃で、そこに掲載されてから一気に流入が増えたのを覚えています。

――当時のYahoo!は登録制だったのですね。申請後に審査があるということでしょうか?

どのような形式かは忘れましたが、申請フォームを送った後、いつの間にか載っていた気がします。当時はYahoo!のオススメのサイトにつける「COOLマーク」というものがあったんですよ。それがついてから、アクセス数がグーンと伸びました。

――アクセス数はやはり気になりますか?

アクセスカウンターを設置して、数字が増えていくのを見るのがおもしろかったですね。現在はだいぶおとなしいですが。

――ピーク時はどのくらいだったのでしょうか?

アクセス数というより、ユーザー数を計測していたのですが、ピーク時は1日3万ユーザーほどですね。

――それはすごいですね。先ほどサイト開設は趣味とおっしゃっていましたが、アクセスが伸びるにつれ、広告を貼るなど収益を得ようとは考えていなかったのでしょうか?

一時期、何社かと契約して広告を置いていたこともあったのですが、請求書を送るなど、もろもろの作業が面倒になってしまい、やめました。アクセスが多いときはそれなりの収入になったのかもしれませんが、サイト自体長続きしないだろうと思っていましたね。飽きたらやめるのだろうなと。

――ここまで続ける確証は、特になかったということですか?

そうですね。同じようなサイトが出てきたら、わざわざやる必要もないですし。趣味の延長として、技術系ライターになることも少し考えましたが、今の仕事は給料もそれなりにもらっていますし、続けたほうが楽だと思って。そもそも長い文章が嫌いで、できるだけ短く表現したい性格なので、書いた量でいくらというライターの道はないな、と。趣味のままのほうが気楽ですしね。

継続期間は20年以上! 更新し続けるためのコツ、サイトへのこだわりは?

――気楽とおっしゃいますが、20年以上続けるのはすごいですね。続けるためのコツはありますか?

始めた当初は、毎週日曜日に何かしら更新しようと考えていました。1週間に1度など、「何か1つでもいいから定期的にコンテンツを出す」と、決めておくのが大事なのだと思います。

また、サイト更新の原動力にしているのは「ないものを作る」ことですかね。現在は新しい技術が登場しても、わかりやすく解説しているサイトがあるので、自分が作らなくてもいいかな、と。最近だと「Bootstrap(ブートストラップ レスポンシブデザインを採用しているウェブアプリケーションフレームワーク)」については、どのサイトもわかりづらかったので、自分でまとめました。

――現在は、別の方がリファレンス系のサイトを作るので、自分が作る必要はないとおっしゃいましたが、このようなサイトを作る際、杜甫々さんならではのこだわりはありますか?

一番は網羅性です。リファレンスの場合、説明が中途半端だと、それを一生懸命読んでも結局わからなくなってしまう。「とほほのWWW入門」も、HTMLやJavaScriptの情報が古いままになっている箇所があるので、新しい情報に書き直したいと思っています。仕事が暇になったら、がんばりたいのですが……。

ただ、先日テレビを見ていたら、プログラミングができるスーパー小学生が取り上げられていたんです。その子が見ているページが、たまたま「とほほのWWW入門」で。家族で爆笑しながら見ていたのですが、「情報が古くてごめんよ!」と思いました。

――ご家族、特にお子さんも杜甫々さんがあのサイトの管理人であることをご存じなのですね。

特に教えたわけではないのですが。「この部分、間違っているよ」と指摘されることもありますね(笑)。娘も、スタイルシートなどには凝り始めていて、私より詳しいです。もしかしたらこの先、娘がサイトを更新していくのかもしれません。

――次の世代に受け継がれていくのは、素晴らしいですね。更新を楽しみにしています!