いつも科学技術研究の当事者である、すべての皆様へ-「科学技術コミュニケーション」と対話へのお誘い

気象変動は、「科学と社会」を象徴する問題の一つ。(提供:アフロ)

 科学技術は、専門家のものなのかもしれません。しかし、ある日突然、科学技術の問題の当事者になりうる可能性は、すべての人にあります。福島第一原発事故は、その可能性を誰の目にも分かる形で明らかにしたと言えるでしょう。

 原子力だけではありません。「ある日、ガンに罹患しており、先進医療が必要だということがわかった」という事態は、多くの人に現実となりうるものです。

 ある日突然、それまで馴染みのなかった技術、あるいは、専門家のものだと思っていた科学と付き合わなくてはならなくなる可能性は、すべての人にありえます。かといって、すべてに備えるためにすべてを学ぶことは、現実の問題として不可能です。

 その時になって、動揺しながら大慌てで対応するしかないのでしょうか? そうかもしれません。でも、動揺と「大慌て」を減らし、すこしでも上手に状況を乗りこなすことなら、できるかもしれません。カギは「コミュニケーション」にあります。科学技術なら「科学技術コミュニケーション」です。

 なお本記事は、「科学技術だけの問題じゃない」という観点から、「科学」カテゴリーではなく「社会」カテゴリーで公開しています。

新しい伝染病は科学の問題、悪質なコンピュータウイルスは技術の問題ですが、伝染病が生む犠牲者遺族への支援やコンピュータウイルス被害への対処は社会問題だからです。

専門家のかなり勝手な言い分からスタート

 現在、「科学コミュニケーション」「サイエンスコミュニケーション」「科学技術コミュニケーション」と呼ばれているもろもろは、一言でいえば

「一般ピープルは科学を知らなさ過ぎる、これは問題だ」

という動機からはじまりました。

ジェフリー・トーマスとジョン・デュラントは1987年の著書で科学の公衆理解、すなわち科学リテラシーを向上させるよう訴え、様々な根拠を提示した。公衆が今以上に科学を享受するようになれば、科学研究費の水準が向上し、法規制がより進歩的になり、訓練された科学者の人材が増加するとされた。また、訓練された技術者や科学者が増えることで経済的な国家競争力が強められる可能性があるという。

出典:Wikipedia:サイエンスコミュニケーション(太字は筆者による)

 今となっては「いや、それはちょっと」と感じられる文言が連続します。科学について無知すぎる一般ピープルが、もっとよく知ってくれるようになったら、私たちの研究費が増加し、法制度が研究がやりやすいものに改正され、科学教育を受ける人々も増えるだろう(=大学のポストが増えるだろう)と言っているわけですから。しかし、1980年代当時~1990年台前半あたりの時代の雰囲気を思い起こすと、「まさにそれ」だったことは間違いありません。

 同じ人々は、「科学そのものが魅力を持つこともあり、例えばポピュラーサイエンスやサイエンスフィクションではその側面が利用される」(Wikipedia)とも言っています。1985年に日本で開催された「つくば科学万博」は、その一例といえるかもしれません。現在、開催の地に設けられている「つくばエキスポセンター」には、同万博のメモリアル展示があり、雰囲気を感じることができます。いずれにしても、楽しい科学ショーを見るのは、私も大好きです。

「欠如モデル」は上から目線、だけど必要なはず

 「一般ピープルは科学を知らないから教えてあげなくては」というタイプの科学コミュニケーションは、「欠如モデル」と呼ばれます。コミュニケーションが双方向的ではなく、「専門家から一般ピープル」「よく知っている人から、より知らない人」と一方的なのが特徴です。一般ピープルから専門家、より知らない人からよく知っている人へのフィードバックは、あまり重要視されていません。

 もちろん、「欠如モデル」でかまわない場面もあります。「知らない人に正しい行動を教える」ということ自体が必要な場面は、少なからず存在します。このことは、「地震だ、火を消せ」「津波だ、高いところに逃げろ」「インフルエンザが疑わしかったら、いきなり病院の外来に行かず、電話して指示を待つように」といった文言と状況を考えれば、明らかでしょう。

 「欠如モデル」を成り立たせているのは、専門家の専門知、能力、そして誠実さでした。自信をもってウソをありがたく教えるのでは困ります。

「欠如モデル」を揺るがした事件

 ところが1990年代、科学コミュニケーションの先進地だった英国で、「欠如モデル」の根幹を揺るがす事件が起こります。

 1989年、BSE(いわゆる「狂牛病」)について、オックスフォード大学の高名な研究者たちが「人間に伝染る可能性は極めて低い」という結論を「さらなる研究が不可欠」「もし結論が誤っていたら大変なことに」という注意とともに出しました。しかし行政関係者や政治家は、「安全です」という結論を「つまみ食い」しつづけました。

 そして1996年、牛肉を食べたことによるクロイツフェルト・ヤコブ病患者が少なくとも10名いることが確認されました。英国国民は、政府や政府機関の研究者に対して、不信をいだきました。

 「公衆の科学理解」を推進してきた米国政府は、「科学への公衆の不信を取り除く」ことへと方針転換せざるを得なくなりました。「欠如モデル」自体も批判されました。

「みなさんの自分なり」モデルへ

 実際には、公衆は「無知」とは限りません。その科学・その技術が自分に必要ならば、自分なりの方法で知識を持ち、理解しています。それは、自分の抱えている問題を解決するために必要だからです。「欠如モデル」でありがたく教えていただくのでは、たいていは、問題解決はできません。

文脈モデル

 人々は、自分の生活環境の中で、状況に応じた、文脈に応じた知識を持っています。科学技術についていえば、「社会の中の一事業」としての知識です。

素人の専門性モデル

 農村で鍛えあげられる気象への対応、農耕そのものへの知識のように、その場その問題に対する専門知が作りあげられることは、数多く見られます。難病に罹った我が子のために両親が専門家化した一例は、映画「ロレンツォのオイル」にも見られます。

夫婦にとって、その図書館は「学び」や「研究」などという言葉とはほど遠い「命」をかけた凄絶な空間である。5歳になる一人息子のロレンツォは確実に死に向かっている。(略)父と母ができること。それは息子を死の淵から引きもどすために戦うことである。治療のすべてを二人で見つけ出そうと考えた。(略)父は銀行員、母は主婦である。専門性の高い文献、資料。基本から学ばなくてはならない。(略)父、オーグスト、母、ミケーラの表情は憑かれたように厳しい。

出典:河内鏡太郎「愛と勇気の図書館物語」

市民参加モデル

 「教えてもらう」のではなく、元気になる(エンパワメントされる)、双方向コミュニケーションが行われる、科学的合理性ではなく社会的合理性を目指すものです。

 科学技術「のために」や科学技術「から」ではなく、科学技術「と」、と呼べるかもしれません。

日本では2005年から

 科学技術コミュニケーションに関心を持っている人々は、日本の科学界にも1990年代から「ぼちぼち」とは存在しましたが、2005年、国家予算が科学技術コミュニケーションに割り当てられるようになりました。

 東大・北大・早大などに講座が設置され、多数の科学技術コミュニケーターが養成され、現在も日本各地で活躍しています(ただし常勤職は少なく、問題となっています。養成されても職業としての活動の場がなければ、あまり意味がないわけですから)。

(本稿のここまでは、主に石村源生氏『科学技術コミュニケーションの原点と座標軸』を参考にしています)

そして2011年

 2011年3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故が起こりました。特に福島第一原発事故では、近所にいて避難を余儀なくされた方・避難できずに取り残されるなどの結果として亡くなった方を含め、多くの人々が「原発」というものと直面することになりました。関心があろうがなかろうが、原子力についての予備知識があろうがなかろうが、原発はそこにあったわけです。そして、事故は実際に起こってしまったわけです。

 結果として、数ヶ月のうちに「ベクレル」という単位が広く知られるものとなり、環境放射線計測は「誰でも、やろうと思えばやれる」という状況になりました。福島第一原発事故は、自分と家族と身近な人々のために「知らなくちゃ」「考えなくちゃ」「何かしなきゃ」と思う機会を、日本中に強制的にもたらしました。

 このことは、日本の科学技術コミュニケーションの状況を大きく変えたと思われます。「一般の人々」あるいは「素人」という言葉の意味が、根本的に変わってしまったわけですから。

注目されにくくなった「科学技術コミュニケーション」

 2017年現在、科学技術コミュニケーションへの関心は、かなり下がっています。「あたりまえ」になったということなのか、それとも、あったからといってお金になるわけではないことが判明して失望されたのか。なんとも判断の難しいところです。

 しかし、「ある日突然、知らないうちに、科学技術の当事者になっている」という状況は、誰もにあります。

「軍事」を避けて通れなくなった日本人と、デュアルユース研究

 2015年11月、日本は武器輸出三原則を撤廃しました。とはいえ日本製品への軍事分野での需要が高いわけではなく、転売されてテロに使用される可能性も低くありません(ニューズウィーク記事)。いずれにしても日本人は、海外に出たとき「武器輸出三原則のある日本」と言えなくなりましたし、そのような平和主義の国の国民として扱われることもなくなりました。

 このことは、科学技術の研究においても同様です。軍事にも非軍事にも適用できる研究をデュアルユース研究と呼びますが、これは許されるのでしょうか? 許されないとして、どこまでが「デュアルユース研究ではない」と言い切れるのでしょうか? 逆に「デュアルユース研究だから許されない」と言ってしまってよいものでしょうか?

 よく切れる包丁は、おいしい料理を作るためにも、凄惨な殺人にも使えます。よく切れる包丁の開発そのものは殺人の促進ではありませんが、結果として殺人にも役立ってしまいます。では、よく切れる包丁を開発しなければ、殺人を抑制できるのでしょうか? それもちょっと違います。

 デュアルユース研究の問題は、科学技術研究にかかわる人々、その結果を良くか悪くか分からないけれど利用する人々のすべてに、間接的に、あるいは直接的に、関わる問題となっています。

 これこそ、現在もっともホットな科学技術コミュニケーションの課題の一つでしょう。「臭いものに蓋」をせず、積極的に、疑問や問題意識を持ち寄って、対話しつづけることが大切だと思います。

参考:軍事研究と科学者~どう向き合うか?(榎木英介氏)

 2017年11月25日、私自身も加わって、ささやかな対話の場を設けます。参加費は無料です。

 まずは趣旨をお読みいただければ幸いです。

「こりゃ確かに、専門家だけに任せておけないな」と思われたら、ご参加をご検討いただければ幸いです。

本音で語るデュアルユース~幸せになれる科学研究とは?(11/25(土)13:00-16:00からお台場 テレコムセンタービルにて)

「サイエンスアゴラ」の季節です ~ 初冬の午後、本音で語ろうデュアルユース