私は今、宮城県で主人と娘、そして愛して愛してやまない愛犬のミニチュアダックスフンドの、Mackと暮らしています。
子供のころから一緒だったMackはもう18歳。小さな弟だと思っていたのに、いつのまにか私を追い越して、おじいちゃんになってしまいました。
「悲しい」介護より「楽しい」介護
愛犬Mackが前庭疾患を患い、寝たきりになってから約1年。介護が始まってみると、まるで別れの時がすぐそこに来てしまったような感じがして、とても悲しくて切なかった。
立てないし歩けなくなったMackは、夜鳴きをするようになり、食欲も落ちていきました。毎日寝不足で、困惑の毎日――
しかしわたしはある日、気付きました。
あんなに元気だったMack。おとなしくて、食いしん坊だったMack。
もしかすると、実はMack自身が一番困惑しているのじゃないだろうかと――
そう思うようになったわたしは、すっかり考え方が変わりました。
どんな姿になっても、Mackが側にいてくれていることが何より嬉しくて、頑張ってくれているMackと少しでも長く一緒に過ごせるように、精一杯介護を楽しもうと思うようになったのです。
ここまで来るには、いろんな葛藤がありましたが、今はMackの寝顔を見るとそれだけで幸せな気持ちになります。
いつかお別れの時がくるとは思っているのですが、今は毎日がとても楽しく、わたしはいつもMackにくっついて過ごしています。
老いに困惑しているあなたへ
犬や猫は、人間よりはるかに駆け足で老いていくもの。だから”ついこの前までこうでなかったのに――”などと、凄く悲しく、怖く感じてしまう時期があります。
我が家のMackも去年の夏頃から、段々歩けなくなっていき、それから坂道を転げ落ちるように老いていきました。出来ないことが増え、みるみる痩せて小さくなるMackを見ていて、わたしはとても困惑しました。
ついこの前まで帰宅すると喜んでくれたのに、帰宅しても気付かず寝ていることが増えた。尻尾を振らなくなった。うまく歩けなくなった、転倒するようになった。
その頃のMackは元気がなくて、食い渋りも酷かった……
毎日怖くて、毎日泣いてしまっていたわたし。
でも今振り返ると、Mackはきっと、毎日何かが変わっていく自分を、わたしより怖く不安に感じていたのかな、なんて思ったりもします。
やがて……
やがてMackは、立つことさえできなくなりました。
そして――、完全介護に――
わたしは初め、オロオロ、イライラばかりでした。しかし、自分の力の及ばないことでくよくよ悩んでいても、少しもMackの支えにはなりません。
私は次第に、Mackの老いを受け入れていくようになりました。
気持ちを切り替えたわたしは、「これが出来なくなった」「あれが出来なくなった」とネガティブな考え方をすることを止めました。「今日はこれができた」「あれができた」と考え方を変え、口に出して誉めてあげるようにしたのです。
ご飯食べてるときは、ペロッと舐めただけで、『おおー!舐めたの~!凄いねえ、おいしい?』と声を掛ける。食べ始めたら『美味しいね、凄いねぇ!パクパク凄いなぁ、かっこいい~!』と大喜び。
ウンチが出たときは、『良いウンチ出たの!凄いねぇ!立派だよ!』
圧迫でおしっこ出したときには、『上手上手!綺麗なおしっこだよ!』
何でもなくても『可愛いねぇ、世界で一番可愛いお爺ちゃん、私の自慢のワンくんだよ』と語りかけました。
とにかくわたしは、毎日何かしらMackを褒めるようにしました。
言霊(ことだま)
言霊っていうのは、きっと本当にあるんだなと思います。
Mackはだんだん目がキラキラしてきて、少しずつご飯も食べられるようになったり、立てるようになったり。
わがままを言って困らせる日もあるけど、今は私もMackも現状を受け入れて、生活が出来ていると思います。
老いには誰も勝てないから(自分のお肌見ても、本当にそう思う!笑)、あとはいかに楽しく生きるかだなって。
人間のお年寄りを見ても色んな方がいる。同じお年寄りでも、ある方は足が悪いからと引きこもる。また別の方は足が悪くても、楽しみにしているカラオケにいく。
やっぱり後者のお年寄りの方がキラキラしてますよね。(祖母のことです♪)
わたしはMackに、キラキラのおじいちゃんになって欲しいと思ってます。
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正直言って、Mackとはもう何年も一緒に居られないのはわかってる。
だからこそ、わたしは思う。
いつかずっと先に振り返ったときに、思い出は良いことばかりのほうがいいし、記憶の中のMackの顔も、落ち込んでる顔より、ニコニコのほうがいい。
老いはどんな犬も必ず通る道。犬も飼い主もどちらもが、いつかはそれに直面して困惑する。それは誰も避けられないこと。
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愛犬に”その時”が来たと思ったら、まずはプラスの言葉を沢山かけてみてあげてくださいね。そうすればきっとあなたは、ご自分の前に大きな視界が拓けている事に、気付くはずです。
わたしが、そうでした。
介護は、自分がたった一人で、見えない何かと闘っているんだと錯覚しがち。
だけどね――、あなたは一人ではないんですよ。
わたしが、そうであったようにね。
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