サブカル男子を目指し、挫折した日々……。デイリーポータルZ・林雄司さん 思春期の“背伸び”を語る
- 2017年11月16日
世間で注目を集めるキーパーソンにも、普通の人と変わらぬ悩みやつまずきがある。そんなエピソードを聞くと、あこがれの人物を身近に感じたりするものだ。
そこで、各界で活躍するリーダーたちに、誰もが親近感を抱けそうな恥ずかしい過去のみを語っていただくのがこの企画。トークテーマはずばり「思春期の背伸び」だ。
話す方も勇気がいる企画だが、人気ウェブマガジン「デイリーポータルZ」の創設者、林雄司さんがトップバッターを担ってくれることになった。
「デイリーポータルZ(以下DPZ)」といえば、2002年の開設以来、好奇心と実験精神にあふれる記事を日々アップしてきたおもしろメディアの草分け的存在だ。
編集長としてこのサイトのカラーを形づくってきた林雄司さんは、書き手としても数々のヒット記事を飛ばしている。
林さんの書くモノは常に視点が独特で、肩の力が抜けていて、そして何より空気感がほのぼのしているのだ。そんな彼にも、自意識やコンプレックスをこじらせた“中二病”的な過去があったのだろうか。
いただいた「恥歴書」をもとに、林さんの思春期の過ごし方を聞いてみた。
ゴダールに手を出して挫折する典型的な文化系男子
──背伸びしていた頃の履歴書、拝見しました。これは何歳頃の話ですか。
林 ほとんど17歳の時ですね。「自己PR」以外は高校時代の話です。
─―DPZのクリエーティブなイメージからすると、思春期からかなり個性的だったのかなと想像しますが。
林 いやぁ……この話をいただいてから改めて過去の自分を振り返ってみたんですが、僕、本当に普通なんですよ。
──“普通”というのは?
林 女子にはモテなかったし、友達もゲーセン仲間が3人いるだけだし、取り立てて特技と言えるものもなかったんです。でも、漠然と「俺には何かできるはずだ」という思い込みだけはあって。それで高校時代にマンガを描いたり、自主映画を撮ったりするっていう……もうくすぶった高校生が普通に手を出すことばかりなんですよ(笑)。
──当時はどんな作品を作られていたんですか。
林 マンガは良く言えば「不条理モノ」。『ガロ』に影響されていて、「これなら絵が下手でも描ける!」って思っちゃったんですよ。映画は泉重千代(いずみしげちよ)という、1800年代に生まれて、一時「世界最長寿」としてギネスブックにも載っていた老人の作品です。彼がなぜかフランシスコ・ザビエルに出会うという時代設定がむちゃくちゃなストーリーで、タイトルはすっかり忘れていたんですが、探してみたら『泉重千代の富士』と書いてありました。きっと勢いでつけちゃったんでしょうね。
──それらをどこかで発表したりとか。
林 マンガは『週刊ビッグコミックスピリッツ』の「相原(コージ)賞」に応募しましたし、映画も8mmフィルムで撮って文化祭で上映しましたが、どちらも全然ダメでしたね。ただ、一度だけ投稿したマンガが『ファミコン通信』の読者ページに載ったことがあるんです! 僕の中で初めて人に認められた出来事ですよ。
――スゴイじゃないですか!
林 正直そんなにたいしたコーナーじゃないんですが(笑)、自分の名前が活字になったのはうれしかったなあ。それにしてもネットのない時代は本当にイヤでしたね。出版社の編集者とか偉いオトナに認められないと、作品を公にできないんですから。
――その満たしきれない承認欲求とはどう付き合っていたんですか。
林 どうってこともないんですけど……当時は基本、家でファミコンばかりやってるか、西荻窪の「キャロット」というゲーセンに行って『ファイナルラップ』というレースゲームで遊んでるかの毎日だったんです。でも、「これじゃいかん!」と思って小難しい映画や本に手を出し始めたんですが、名画座でモンティ・パイソン(編注:イギリスのお笑いユニット)を見てみたり、フロイトの本を読んでみたりしたところで、全然おもしろいと思えなかったんですよね。まあ、正直よくわからんなと。
林 雄司(はやし・ゆうじ) イッツ・コミュニケーションズ株式会社勤務。「デイリーポータルZ」ウェブマスター。主にインターネットと新宿区で活動。編著書は「死ぬかと思った」(アスペクト)など。イカの沖漬けが世界一うまい食べものだと思っている。
──いわゆる文化系男子が通る典型的な道ですよね。例えばゴダール作品を見て挫折したりとか。
林 ああ、見ました、見ました。つまらなかったなー(笑)。でも、内容をよくわかってないくせに、「オレは他のヤツらとは違う」って自意識が芽生えたりして、まわりの人間を心の中で見下し始めたりするんですよ。「あいつらセンスねえな」って(笑)。
──趣味の欄にある「レコード収集」も文化系の雰囲気がしますけど、音楽はどんなものを聴いてたんですか。
林 どうだったかな……。基本はロックが好きでしたけど、小沢健二と小山田圭吾のフリッパーズ・ギターもよく聴いてましたね。彼らのマネしてハンチング帽とか買ってみたんだけど、頭がデカいから、もうパンパンなんですよ! わかります? キツすぎて血が止まっている感じというか。
そんないでたちで、名画座で渋い映画を見ている自分に酔いしれて、「タートルネックを着たかわいい女の子と映画館で出会えないかな〜」とか思ったりしてましたね。
──林さんにもそういう青臭い妄想をしていた時期があったのは意外でした。
林 いやいや、そんな毎日ですよ。僕は練馬が地元で、遊んでいたのはいつも池袋。文芸坐で小難しい映画を見て、レコファンで中古レコードをあさって、リブロでわからない本を立ち読みして帰るというのが定番のコースでした。渋谷は怖くて行けないんですよ。新宿から先は「世界の果ての崖」みたいなイメージだった(笑)。本当に狭い世界ですよね。
そんな生活の中で、父親から「車の免許を取るなら援助してやる」という名目でもらった10万円もCDとか買ったりして何となく使い切っちゃうっていう……。
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