95歳にしていまも毎日執筆活動を行い、法話を行う作家の瀬戸内寂聴さんと、テレビ、雑誌、新聞、書籍、インターネットとあらゆるメディアで活躍される池上彰さん。今回『95歳まで生きるのは幸せですか?』で対談されたおふたりには、共通点がありました。50歳を過ぎたころに、「第二の人生」を自ら選んだのです。
寂聴さんは、51歳で出家をされました。池上さんは、54歳でNHKから独立されました。「人生100年時代」と言われるいま、50歳からどう生きるか、は、あらゆるビジネスパーソンの課題でもあります。おふたりに、「50歳からの生き方」について、御指南いただくことにいたしましょう。
まず、最初に登場するのは瀬戸内寂聴さん。彼女の元には、いまも多くの迷える男女が法話を聞きに訪れます。ところが、問題は「男のほう」でした。
新刊『95歳まで生きるのは幸せですか?』では、ジャーナリストの池上彰さんと対談されました。
池上さんとお会いしたのは2回目です。今回は、京都・嵯峨野の私の寂庵にいらしていただき、世の中のお話をうかがいました。何歳になってもわからないことばかり。池上さんのような博学の頼れる大先生にお話をうかがえるのは、またとないチャンスでした。
1章を割いて、なぜ米国でドナルド・トランプが大統領になったのか、池上さんにご質問されていましたね?
自分が生きている世界に起こるあらゆることに、無関心ではいられません。テレビや新聞を通じて知るトランプさんの言うことはなんだかむちゃくちゃで、戦争がおきたら困るなあ、と思っているんです。
昭和18年に渡航
寂聴さんは、第二次世界大戦のときにどんなご経験を?
私は今年95歳で、生まれたのは大正11年(1922年)です。第二次世界大戦のときはもう大人で結婚していましたから、戦前のことも、戦中のことも、戦争直後のこともよく覚えています。私は戦時中、東京女子大学の学生だったのですが、昭和18年(1943年)の9月に繰り上げ卒業させられました。21歳のときでした。
繰り上げ卒業?
当時、大学4年の3月に卒業するところを、半年繰り上げてその前の年の9月に卒業となっていたんです。男の学生を早く卒業させて兵隊にして戦場に送るための急な制度だったのね。それに伴って、私たち女学生も一緒に繰り上げ卒業させられました。
このとき、私は婚約をしていました。相手は支那古代音楽史を勉強している学者の卵。学者に憧れていましたので、良縁だわ、と。彼は外務省の留学生として中国に渡り、北京で暮らしていました。留学期間を延ばして北京に居たのです。これ幸い、半年儲けたわ、と思って、卒業式もそこそこに10月、婚約者と一緒に北京に渡りました。新婚でいきなり海外生活です。喜んで渡航しました。
昭和18年の日本ってもっと緊迫した状況だと思っていました。
戦場は大変なことになっていたはずだけど、本土にいた私たちはそれを知りませんでした。本土空襲もまだ本格化していませんでしたし。
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