両陛下 きょうから3日間 鹿児島の屋久島など訪問へ

両陛下 きょうから3日間 鹿児島の屋久島など訪問へ
k10011224981_201711160443_201711160444.mp4
天皇皇后両陛下は、16日から3日間の日程で、鹿児島県の屋久島と奄美群島の島々を訪問されます。
両陛下は、16日昼前特別機で鹿児島県入りし、鹿児島空港で小型機に乗り換えて、午後から屋久島を訪ねられます。

そしておととし爆発的な噴火が起きて、一時避難を余儀なくされた口永良部島の住民たちと懇談されます。

このあと再び小型機で、およそ380キロ離れた奄美群島の沖永良部島に移動し、夕方宿泊先のホテルに入られる予定です。

17日は鹿児島県最南端の島、与論島を行き来して、室町時代から伝わる「与論十五夜踊り」を鑑賞されます。

そして18日沖永良部島の農家や小学校を訪問するなどして、夜東京に戻られる予定です。

両陛下にとって屋久島は、45年ぶりで、与論島と沖永良部島は初めての訪問になります。

天皇陛下は、去年の8月8日のビデオメッセージで、遠隔地や島に寄せる思いを述べられていて、今回の訪問も皇后さまとお二人で強く望まれたということです。

奄美群島訪問は14年ぶり

天皇皇后両陛下が鹿児島県の奄美群島を訪れるのは、平成15年に奄美群島の日本復帰50周年の記念式典に出席するため奄美大島を訪問されて以来14年ぶりで、4回目になります。

両陛下は、奄美群島が沖縄と同様、戦後しばらくの間日本に復帰できず、アメリカに統治され続けた歴史に思いを寄せられていて、平成15年の式典では、天皇陛下が復帰運動に取り組んだ人たちの努力をしのび、島々の発展を願うおことばを述べられました。

両陛下は、その後も奄美群島に心を寄せられ、平成23年以降、折に触れてまだ訪れたことのない沖永良部島と与論島への訪問が検討されてきましたが、天皇陛下の心臓の手術など体調面の問題や、日程を組む難しさなどから、訪問はかないませんでした。

そうした中、今回、屋久島を訪れて、被災した口永良部島の住民と懇談される機会に合わせて、改めて検討や調整が進められた結果、初めてとなる2つの島への訪問が実現することになりました。

両陛下の今回の旅での移動距離は、3日間で3300キロ近くに及びますが、宮内庁は、侍医に加えて看護師も同行させるなど、万全の態勢で訪問を支えていきたいとしています。

全国各地の50の島々を訪問

天皇陛下はこれまで、皇后さまとともに全国各地のおよそ50の島々を訪ねられてきました。

昭和50年には、国際海洋博覧会の開会式に出席するため、皇后さまと初めて沖縄本島を訪れ、太平洋戦争に巻き込まれて命を落とした女学生たちの慰霊碑「ひめゆりの塔」を訪ねられました。両陛下は、その後も戦争で亡くなった人たちや遺族に心を寄せ続け、これまでに10回、沖縄の島々を訪問されています。

天皇陛下の即位後は、平成5年の北海道南西沖地震で大きな被害を受けた奥尻島や、平成7年の阪神・淡路大震災で被災した兵庫県の淡路島など、災害に見舞われた島々にも足を運んで被災者に寄り添われました。

戦後50年を翌年に控えた平成6年には、小笠原諸島を訪問されました。太平洋戦争の激戦地となった硫黄島で戦没者を慰霊したほか、父島や母島の人たちと交流されました。また島根県の隠岐島をフェリーで訪れたり、人口数百人の小さな島にも足を運んだりして、人々と触れ合われました。

天皇陛下は、皇后さまとともに、即位後15年で全国47のすべての都道府県への訪問を果たし、今回の鹿児島県への訪問で2巡目を終えられます。

これまでに500を超える市町村を訪れていて、訪ねられた島の数は、皇太子夫妻の時代も含めると、北海道から沖縄までのおよそ50に上っています。

島々への思い

天皇陛下は、去年の8月8日、ビデオメッセージで象徴としての務めについてお気持ちを表す中で、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、大切なものと感じて来ました」と述べられていました。

お気持ちの中で天皇陛下は、自身の務めについて「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」としたうえで、象徴としての役割を果たすため国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を育てる必要を感じてきたと述べられました。

そして「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」と胸の内を語られました。

そのうえで、皇后さまと行ってきたほぼ全国に及ぶ旅で、その地域を愛し地道に支える市井の人々がいることを認識したと振り返り、「この認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」と述べられていました。

両陛下 きょうから3日間 鹿児島の屋久島など訪問へ

天皇皇后両陛下は、16日から3日間の日程で、鹿児島県の屋久島と奄美群島の島々を訪問されます。

両陛下は、16日昼前特別機で鹿児島県入りし、鹿児島空港で小型機に乗り換えて、午後から屋久島を訪ねられます。

そしておととし爆発的な噴火が起きて、一時避難を余儀なくされた口永良部島の住民たちと懇談されます。

このあと再び小型機で、およそ380キロ離れた奄美群島の沖永良部島に移動し、夕方宿泊先のホテルに入られる予定です。

17日は鹿児島県最南端の島、与論島を行き来して、室町時代から伝わる「与論十五夜踊り」を鑑賞されます。

そして18日沖永良部島の農家や小学校を訪問するなどして、夜東京に戻られる予定です。

両陛下にとって屋久島は、45年ぶりで、与論島と沖永良部島は初めての訪問になります。

天皇陛下は、去年の8月8日のビデオメッセージで、遠隔地や島に寄せる思いを述べられていて、今回の訪問も皇后さまとお二人で強く望まれたということです。

奄美群島訪問は14年ぶり

天皇皇后両陛下が鹿児島県の奄美群島を訪れるのは、平成15年に奄美群島の日本復帰50周年の記念式典に出席するため奄美大島を訪問されて以来14年ぶりで、4回目になります。

両陛下は、奄美群島が沖縄と同様、戦後しばらくの間日本に復帰できず、アメリカに統治され続けた歴史に思いを寄せられていて、平成15年の式典では、天皇陛下が復帰運動に取り組んだ人たちの努力をしのび、島々の発展を願うおことばを述べられました。

両陛下は、その後も奄美群島に心を寄せられ、平成23年以降、折に触れてまだ訪れたことのない沖永良部島と与論島への訪問が検討されてきましたが、天皇陛下の心臓の手術など体調面の問題や、日程を組む難しさなどから、訪問はかないませんでした。

そうした中、今回、屋久島を訪れて、被災した口永良部島の住民と懇談される機会に合わせて、改めて検討や調整が進められた結果、初めてとなる2つの島への訪問が実現することになりました。

両陛下の今回の旅での移動距離は、3日間で3300キロ近くに及びますが、宮内庁は、侍医に加えて看護師も同行させるなど、万全の態勢で訪問を支えていきたいとしています。

全国各地の50の島々を訪問

天皇陛下はこれまで、皇后さまとともに全国各地のおよそ50の島々を訪ねられてきました。

昭和50年には、国際海洋博覧会の開会式に出席するため、皇后さまと初めて沖縄本島を訪れ、太平洋戦争に巻き込まれて命を落とした女学生たちの慰霊碑「ひめゆりの塔」を訪ねられました。両陛下は、その後も戦争で亡くなった人たちや遺族に心を寄せ続け、これまでに10回、沖縄の島々を訪問されています。

天皇陛下の即位後は、平成5年の北海道南西沖地震で大きな被害を受けた奥尻島や、平成7年の阪神・淡路大震災で被災した兵庫県の淡路島など、災害に見舞われた島々にも足を運んで被災者に寄り添われました。

戦後50年を翌年に控えた平成6年には、小笠原諸島を訪問されました。太平洋戦争の激戦地となった硫黄島で戦没者を慰霊したほか、父島や母島の人たちと交流されました。また島根県の隠岐島をフェリーで訪れたり、人口数百人の小さな島にも足を運んだりして、人々と触れ合われました。

天皇陛下は、皇后さまとともに、即位後15年で全国47のすべての都道府県への訪問を果たし、今回の鹿児島県への訪問で2巡目を終えられます。

これまでに500を超える市町村を訪れていて、訪ねられた島の数は、皇太子夫妻の時代も含めると、北海道から沖縄までのおよそ50に上っています。

島々への思い

天皇陛下は、去年の8月8日、ビデオメッセージで象徴としての務めについてお気持ちを表す中で、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、大切なものと感じて来ました」と述べられていました。

お気持ちの中で天皇陛下は、自身の務めについて「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」としたうえで、象徴としての役割を果たすため国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を育てる必要を感じてきたと述べられました。

そして「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」と胸の内を語られました。

そのうえで、皇后さまと行ってきたほぼ全国に及ぶ旅で、その地域を愛し地道に支える市井の人々がいることを認識したと振り返り、「この認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」と述べられていました。