様々な業種のトップライターの講義を通じて「これからのライター、これからのライティング」について学び、考える「明日のライターゼミ」。講師の一人である田中泰延さんに、そこんとこインタビューしました。
これからライターはどうなるのか?
西島
おはようございます。
田中
おはようございます。今日はヌード撮影はありますか?
ありません。
失礼いたしました。
まず、田中泰延さんが今までにないくらい真面目な話をされる予定の「明日のライターゼミ」に関してです。そもそも、どうしてこの講座に登壇しようと思われたのですか?
あんたに頼まれたからや。
そうでした。
本日は「これからのライターはどうなるのか、これからライティングという仕事はどうなるか」についてお聞きしたいです。
その前に確認ですが、今日はヌード撮影はありますか?
ありません。
そうですか。
今後、田中さんはライターの仕事はどうなって行くと思われますか?
たばこを吸う人がいる限りライターの仕事はなくならないと思います。
なるほど、マッチはなくなってもライターはなくならない。ライターは田原俊彦なんですね、って真剣に答えてもらっていいですか?
ごめんなさい。一通りウォーミングアップしないとダメで・・・。
どうですか? 火をつける方の仕事じゃなくて、書く方の仕事です。Writerはどうなると思われますか?
書くことに関して、食べていくことは無理になると思います。
ズバッと来ましたね。さっきまでの話と落差がありすぎてすんなり入ってこないですが、どういうことでしょう?
最終的には書きたい人が多くて、読みたい人が少ない訳なので、お金を取れる人はごく一部になってしまうと思います。
なるほど、ではどういうライターが淘汰されてしまうと思いますか?
まず「文章は自分の思いを伝える場だ!」と思っている人は滅びてしまうと思います。
田中さんがよく言われている「調べて事実だけを羅列する」というお話でしょうか。
はい、「明日のライターゼミ」の講義タイトルを「物書きは調べることが9割9分5厘6毛」にしたのですが、書くという行為において最も重要なのはファクトです。
なるほど。
例えばNHKスペシャル。誰の思いも入っていないですよね。調べたことを並べれば、読む人が主役になれるんです。だから「私の想いを届けたい」と思ってライターをやっている人はこれからさらに危ないと思います。「調べる」とか「用意する」が9割。フィクションであれノンフィクションであれ、同じです。
映画とかはどうですか? 例えばクリストファー・ノーランの「ダンケルク」。いわゆる史実を描いたもので、ディレクターの演出が入ったものに関してはどう思われますか?
ダンケルクだって、実際のダンケルクの戦場がどうなっていたか、スピットファイアはどんな飛行機か、そのスピットファイアや本物の駆逐艦を借りてくる、など「調べる」と「用意する」が9割ですよね。ノーランが画面に出てきて「僕はこう思うんです!」とは一言も言わない。だから、フィクションであれノンフィクションであれ、エッセイであれ随筆と呼ばれるものであれ「僕はこんな熱い想いを持っているんだ」ということをしてしまう人は失敗するんです。
熱い想いを持った人、登場したての頃は一瞬ワッてなったりしますよね。「お、熱くて面白い奴が出てきた。新時代の到来だ」的な感じで。
一瞬は面白いんです。でも、一瞬じゃなく本当に熱く「俺の話を聞いてくれ」と思っているホンモノは、ミュージシャンに置き換えると分かりやすいんですが、短命なんですよね。
ミュージシャンとして短命ということですか?
ミュージシャンとして短命か、命として短命か、どちらかですよね。
どんな人が思い浮かびますか?
尾崎豊もそうですし、ジャニス・ジョップリンもですね。
そうか、なるほど。そうするとミュージシャンとして長続きする人は、「調べる」や「用意する」が9割あって、1割新しい要素を付加するということなんですか?
その通りです。長続きしている人ほど自分が過去に聞いてきた音楽の好きな所を引用しているんですよね。これクラシックの音楽を勉強しているとわかるんですが、バッハ、モーツアルト、ベートーベン、ブラームス、マーラーと、すべて過去を引用しながらちょっとづつ新しくなっているんですよ。
「ダンケルク」を見た時、不思議に思ったんです。クリストファー・ノーランは、あえて「ダンケルクに影響を与えた11本の映画」を公表してますよね。わざわざそんなことする必要あるのかなと思ったんですが、それも、この映画は「調べる」ことがベースになっているという表明なんですね。
そういうことです。
だから、音楽や映像と同じく「書くこと」に対しても同じ考えということですよね?
はい。でも、これも今回伝えたいと思っていることであり、今の話と矛盾したようなことですが、これからのライターは自分を売らないといけないんです。原稿を仕上げる時は「調べる」と「用意する」を9割で書かないと駄目だけど、好き勝手書いてるこの人のSNSは面白い。そういう二極のブランドが必要になってくると思います。
ライターの収入はどうなっていくのか?
ライターの収入に関してはどうなっていくと思われますか? 書くこと一本で、今でも食べていける人といけない人が分かれていると思いますが、今後ライターという職業一本でやっていけるものなんでしょうか。
私が、ある人から言われたのは「田中さんはガソリンスタンドとかコンビニで働きながら書いた方がいいよ」と(笑)
「やりたくないことを、やらないでいられるから」ということなんですか、田中さんがツイッターで呟かれていたことを引用すると?
そうです、好き勝手書けるという意味で。でも一方で、自分を売ることをしていれば他に稼ぐ方法はいくらでもあると思ってもいます。
田中さんのように、書くことでは儲かってないけど、書いたことによってイベントに呼ばれたり、番組を持ったり、書かない時には繋がれなかった人たちと繋がって何かが生まれるということですよね。
そうです。
コピーライターとWebライターの違いは?
田中さんはコピーライターを約24年やられて、その後いわゆるWebライターとしても活動されるようになりましたが、2つの仕事で違いをあげるとすればどんな所ですか?
そうですね・・・。順を追って人の気持ちを動かすかどうか、じゃないでしょうか。調べたり、考えたり、仮説を立てたり、結論を出したり、思考の過程に相手が共感してくれるというのが長い文章の特徴だと思います。
キャッチコピーは、いわゆるビジュアル的なアイキャッチということですか?
本来は、そうです。でも、最近は広告コピーが機能しなくなって来てるんじゃないかと思います。消費され尽くしたということかもしれません。
消費され尽くしたというと?
これはある作曲家の言葉ですが「21世紀に突入して、音楽がサンプリングとヒップホップだけになった。つまりビートと引用だけになった。なぜならバッハ以来やってきたメロディのパターンが終わったからだ」と言ったんですよね。ビートと引用とラップで音楽を楽しむようになったと。個人的には広告コピーも同じようなレベルに入ったんじゃないかなと思います。
そう言われてみると、最近はアイキャッチや説得という機能ではなく、遊び道具としてのキャッチコピーがより流通力を増している印象がありますね。「全部雪のせいだ」も、同じく「明日のライターゼミ」の講師をお願いしている電通の阿部広太郎さんの「いつやるか? 今でしょ」もそうですが。
確かに遊び道具としてはあるかもしれませんね。ツッコミ待ちみたいなことですね。
田中さんの文章について
阿部広太郎さんと話してたのですが、田中さんの文章ってここで笑ってもらって、ここでちょっとホロっと来てもらって、という読み手の感情の動きをかなり意識して書かれているような印象を受けていて、それが広告コピーで訓練されたプロの文章だなと感じているのですが、ご自身で文章を書きながらそういったことは意識されていますか?
それはたぶん、読み手として書いてるからだと思います。笑いたかったら自分で書いて笑って、泣きたかったら自分で書いて泣くという。でもそれってプロじゃなくて、究極のアマチュアリズムなんですよね。
究極のアマチュアリズムか、面白いですね。
ガソリンスタンドやコンビニで働きながら書いた方がいい、というのはそういうことなんだと思います。
田中さんが「書く」という行為をするにおいて、意識的でも無意識的でも影響を受けていると感じる人はいますか?
東海林さだおさん、筒井康隆さん、中島らもさんですかね。この3人の共通点は、文章の中で自分が消えてることなんですよね、
調べること、用意すること、そして客観性ということでしょうか?
はい。
では、田中さんが文章を書いたり、インタビューする時に、絶対にやりたくないことはありますか?
やりたくないこと、というか、絶対に失ってはいけないのは「敬意」だと思います。
敬意?
「映画のことを書く」でも「学生に話を聞く」でも同じなんですが、自分の外側にあるもので、映画として成り立っていたり、人として生きているものに対して先入観を持って「評判が悪いからおもしろくないに違いない」とか「学生だから未熟に違いない」と思ってしまうと、そこで終わりなんですよ。これは「調べる」と同じなんですが、自分の外には外部があって、その存在に敬意を払わないと書く意味がないということなんです。
なるほど、じゃあ学生に話を聞きに行って気がついたら説教してた、みたいなのは最悪なんですね(笑)
あと、人に話を聞きに行ったのに気がついたら自分の話したいことばっかり話している。あれも最悪です。
田中さんとツイッター
ツイッターの文章っていわゆるリアクション芸で、映画評は熟考して書く文章だと思うのですが、田中さんって両方得意じゃないですか。かなり手練れの書き手でも、意外と片方は不得意ということが多い気がするのですが、この2種類の文章って田中さんの中で作用しあってたりする感覚はありますか?
長い文章は、仕事ですよね。で、ツイッターは完全に逃げなわけです。書けないからツイッターで来たメッセージに返信したり、くだらないことを呟いたり。仕事と逃げの関係です。でも、どういうわけか逃げで書いたことが熟考する時の種になっていることがあるんです。
なるほど。リアクション芸も結局は刹那の熟考みたいなもんなんですかね。ただそれが苦手か得意かというだけで。
明日のライターゼミに参加する人へ
では、最後に「明日のライターゼミ」の講義に向けて言いたいことなどあればお願いできますか?
「書く」ということで食っていこうと思うな、ということですかね(笑)
それ?
書くことは、生き方ですから。どう生きるかを決めることと、それが儲かるか儲からないかは別問題です。
好き勝手書く、ためにということですよね。好き勝手書くために、売り込みもして、個人として名前が売れれば書くことの近くで沢山食っていくための種ができるということですね。
強引にまとめましたね。そうです。これも講義で言おうと思っていたのですが、いいエッセイというのは何が書かれているかじゃないんです。誰が書いたかなんです。
同じことを言うにしても、主語が大事ということですよね。
はい。だから「誰が書いたか」の方に近づくためにも、自分を売る必要があるんです。
本日は、色々とお話ありがとうございました。とても楽しかったです。
最後は、ヌード撮影ですか?
致しません。
編集後記
田中さんへのインタビューはいつもとても楽しい。9割はくだらない話なのだが、その9割の中に1割の本質があって、インタビューを終えるとくだらないはずの9割が実は1割のために必要だったんだと思わされる。
そんな田中さんに、これからのライター、これからのライティングを考える「明日のライターゼミ」に登壇して頂きます。コピーライター、Webライター、紙のライター問わず、書くことを仕事にしている人には必見の内容です。
田中泰延さんの講義の概要は以下です。
講義タイトル「物書きは調べることが9割9分5厘6毛」
(1)まず自分を売りましょう
(2)読み手として書くということ
(3)調べるとはどういうことか?
(4)田中泰延が書いたもの、調べたもの
(5)長い文章を書くこと思考の過程を披露すること
(6)書く人のこれから
詳細はDMMの募集ページをご覧ください。田中さんの他にも様々な業種のトップライターが登壇し、課題の提出、講評もあります。
80名限定ですので、ご興味ある方はお早めにご応募下さい。
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[撮影]Yoshiko Matsunaga