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山一證券の「消滅」から20年

2017年11月16日

山一證券の「消滅」から20年


 まだ少し時間がありますが、山一證券が「消滅」した1997年11月24日からちょうど20年となります。そこで今もあまり明らかになっていない山一證券「消滅」の裏側について書いておきます。破綻とか倒産ではなく「消滅」としている理由も出てきます。

 日経平均は最近の上昇でバブル崩壊後の高値を更新しましたが、その高値とは1996年6月16日の22666円(終値)だったため、その1年半後には山一證券が「消滅」したことになります。そしてその前段が三洋証券と北海道拓殖銀行の破綻でした。

 バブル期に巨大なトレーディングルームを江東区塩浜に建設するなど積極経営を続けていた中堅の三洋証券は、バブルが弾けるとたちまち経営不振に陥っていました。とりわけノンバンク子会社の「三洋ファイナンス」への債務保証が大きくのしかかり、1992年3月期から1997年3月期まで6期連続の赤字決算となっていました。

 1994年に大蔵省主導で大株主の野村證券が200億円の第三者割当増資を引き受け、生保各社も200億円の劣後ローンを提供したものの、三洋証券はその劣後ローンの期間延長でやっと自己資本比率200%を維持する状態が続きました。劣後ローンは返済期限が近づくと自己資本に算入できなくなるからです。

 しかしその劣後ローンも1997年10月末をもって延長されず、三洋証券は同年11月3日に会社更生法の適用を申請し、翌4日に資産保全命令が出ます。ところがそこで三洋証券が群馬中央信用金庫から調達していた10億円の無担保コールがデフォルトしてしまいました。金融機関同士の信用で成り立っているインターバンク市場における最初のデフォルトとなりました。

 その余波はたちまちコールなどインターバンク市場を直撃し、綱渡りで運転資金をやりくりしていた都市銀行の北海道拓殖銀行が11月15日に破綻し、11月24日には巨額簿外損失を抱えていた山一證券が「消滅」し、さらに翌1998年には巨額の不良債権を抱える日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が破綻する本格的な金融危機となりました。

 このコール市場の「たった」10億円のデフォルトが、すべてのきっかけだったとは言いませんが、そこから山一證券の「消滅」に至る背景には、もっと恐ろしい旧大蔵省の「思惑」が働いていたようです。

 当時の首相は橋本龍太郎で、その最大の政策は行政改革でした。しかしそこで掲げる「財政と金融の分離」は、当時の旧大蔵省にとって絶対に潰したいものだったはずです。

 1997年11月14日の夕方、大蔵省の長野証券局長を訪ねた山一證券の野沢社長に対し、長野局長はハッキリと「山一證券は三洋証券とは規模が違う」と支援を約束していました。この時点では山一證券の抱える巨額簿外損失も長野局長に詳しく説明してあったはずです。

 ところが同じ1997年11月14日に橋本首相が小村大蔵省次官に「財政と金融の分離」を最終通告したため、そこで旧大蔵省の態度が一変しました。

 つまり山一證券が破綻して(今から考えると北海道拓殖銀行の破綻も同じ理由だったはずですが)財政出動となるなら、金融政策も一体として旧大蔵省が主導権を取らなければならないという理屈です。

 また旧大蔵省は橋本首相が主導した金融ビックバンも、金融危機が発生する懸念を無視した軽率なものであり、それが三洋証券を破綻させてコール市場のデフォルトを引き起こしたと批判したかったようです。

 つまり三洋証券破綻・コールのデフォルト・北海道拓殖銀行破綻・山一證券「消滅」は、すべて橋本行政改革とくに「財政と金融の分離」を潰すための旧大蔵省のクーデターだったことになります。橋本首相の秘書官だった江田憲司氏もそうおっしゃっています。

 そして運命の1997年11月22日、行政改革に向けた集中審議の最終日であり審議が翌23日未明までずれ込み、橋本首相が記者会見を行っていた午前3時20分に日経新聞が「山一證券、自主廃業へ」との第一報を打ちます。その段階で行政改革も「財政と金融の分離」も消し飛んでしまいました。

 日経新聞の報道はもちろん旧大蔵省のリークで、一番驚いたのは当の山一證券の野沢社長だったはずです。つまりこの時点の山一證券は債務超過にはなっておらず、したがって巨額簿外損失の相談なども受けたことがなく、ただ山一證券が自主的に廃業したとして見事に梯子を外してしまいました。

 山一證券はあくまでも「自主廃業」となったあとに巨額簿外損失が見つかり破産に追い込まれたことになっています。山一證券はそのままでもすぐに破綻していたはずですが、そうなる前に旧大蔵省の責任逃れと橋本行政改革とりわけ「財政と金融の分離」を潰すために「消滅」させられたことになります。

 しかしここまでして潰した「財政と金融の分離」は、たった数か月後の1998年3月に検察庁が過剰接待で旧大蔵省のキャリア官僚を逮捕したため、結局旧大蔵省は財務省と金融庁に分離されて現在に至ります。官邸の圧力をはねのけた旧大蔵省は、同じ官僚組織(検察庁)に足元を掬われた(すくわれた)ことになります。

 20年も前の山一證券「消滅」など、もう世間の関心を引くこともないと思うので、このタイミングで記事にしました。


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