あんまりテレビに出てないもんだから、母ちゃんと近所の蕎麦屋のオバちゃんに心配されるが、どっこい、ここ1年は自分の芸能生活の中で最も忙しい時間を過ごしている。

ライブをすればお客さんが集まるし、本を出せば売れる。
海外で個展をすることも珍しくなくなってきた。
まわりには常にたくさんの大人達がいる。

数年前の自分が憧れた状況に今あるわけだが、しかし、やっていることは「アレとコレを掛け合わせて…」という“編集作業”が多く、数年前に撒いた種から、ようやく咲いた花を回収するような作業だ。
貯金を食い潰しているような作業だ。

「たしかに活動の規模は大きくなってるけれど、これでいいのか?」

こんな時に振り返るのは、決まって25歳の自分だ。
あの頃の俺は誰からも求められず、まるでノラ猫のように、あがき続けた。

表向きには絶頂期を迎えていた頃だ。
自分の冠番組を多く抱え、そのうちの一本は日本で最も視聴率を取っていた。
ただ、その活動に先が無いことは自分が一番良く分かっていた。
あらゆるものを手にして、それでも突き抜けられていない自分に絶望した。

そして収録合間、スタジオの屋上に梶原を呼び出して、煙草を吹かしながら、「俺、テレビから軸足を抜くわ」と言った。
梶原は黙って頷いた。

その日から、モノ作りが始まった。
忘れもしない。最初は「中野TWL」という50人でいっぱいになる劇場での再スタート。
『グッド・コマーシャル』という芝居を書いて、チケットを捌き、美術セットは自分で軽トラックを走らせて持ち運んだ。
誰一人として、「はねるのトびらのキングコング西野」に創作物なんて求めちゃいなかった。

毎日、泥だらけになった。
無様だったかもしれない。
しかし、用意されたレールではなく、自分で敷くレールは、自分次第でどこまででも行けることが分かっていたので、俺は幸せだった。

今、あの頃の俺に戻りたいと思う自分がいる。

今回、何故、このような文章を書いたかというと、たった今、尾崎豊を聴いたからに他ならない。
尾崎豊がムッチャかっこいいのだ。
「尾崎豊になりたい」といっても過言ではない。

なので、普段は『僕』のところを、『俺』にしてみた。
尾崎豊が『俺』と言っていたからだ。

ちなみに、「あの頃の俺は誰からも求められず、まるでノラ猫のように、あがき続けた」と書いたが、自分でも何を言っているのかサッパリ分からない。
ノラ猫って、あがくの?

そして、収録合間に梶原をスタジオの屋上に呼び出したエピソードは強烈な作り話だ。
スタジオの屋上なんて行ったことがないし、何より、俺は煙草を吸えない。
煙草を吸ったらケホケホしちゃうからだ。

あと、毎日、泥だらけになったのも嘘だ。
演劇をしても泥は付かない。
残念ながら、都内には、あんまり泥がないのだ。

ついでに言うと、あの頃の俺には戻りたくない。今の方が絶対に楽しいからだ。

ただ、
尾崎豊が歌で、そんなようなことを言っていて、それか凄くカッコ良かったから、俺も、そのスタンスでいきたい。
尾崎豊になりたいのだ。
俺は、いつになれば、尾崎豊になれるのだろうか?
いや、いつになれば、尾崎豊に這い上がれるだろうか?

最後になるが、「まわりには常にたくさんの大人達がいる」と書いたが、酔っ払いのダメ大人しかいない。
これは、昨日の焼き鳥屋での一枚だ。
2017-11-11_07.11.07.jpg
三日前も同じメンツで呑んだぞ。
呑み屋で呑んで、寝て、起きて、再び呑んで、酔っ払い同士で抱きついていた。

尾崎豊になれる気がしない。
夜の校舎窓ガラス壊して回りたいが、夜は眠いから寝ちゃうのだ。
20171111_121549.pngちなみに、昨夜は田端信太郎さんが途中参戦する予定だったのだが、別の店で呑み過ぎて酔い潰れて寝てしまわれたらしい。
ダメ大人しかいねぇ。死んだ。

#尾崎になりたい
#軋むベッドの上で寝たい



【Amazon】