2017/9/10
ネットカフェより その1 集団のいじめと自己意思より命令を優先する人間の集合体
お久しぶりです、ウォーカーです。
by 2017/09/10
さて、ブログをやめて今私が何をしているかというと、家族への借金返済と自分のPCを買うために週6で働いています(笑)
さて、ブログを休止してしばらくたちますが、本音をいうと私はブログを休んでいる間は少しは集団ストーカー・テクノロジー犯罪の被害が減るのではないかと淡い期待を抱いていましたが、やはり、逆に被害は酷くなるばかりです。
今は特に肉体を遠隔で操作される被害がひどいです。映画「サロゲート」の様に自在に遠隔で人間を操る技術がすでに完成されています。私への肉体操作も時間とともにより強力かつ正確になっています。
もし、ブログをやめたあと、集団ストーカーがおさまったのであれば、私は現金な人間なので二度と集団ストーカーに関する記事を書かなかった可能性もあります。
ただ、ブログをやめた後のテクノロジー攻撃の激化を受けて、私はこの被害は加害勢力が滅びるまで半永久的に続くと頭だけではなく、体でも理解しました。
つまり、私は覚悟を決めました。
被害は永遠に続くものと前提して、これからは行動します。
それとやはり、この犯罪にはナチス = シオニズム(破壊主義的共産主義)が深く関係している気がします、この犯罪には明らかに優生学と人体実験的要素がある。
昨日たまたまジャンプSQの「プラチナエンド」をコンビニで立ち読みしていたら、そこにも偶然優生学的思考が出てきて色々考えさせられました。
私は現在、ネット環境を切っていますが、集団ストーカー・テクノロジー犯罪について考えをやめているわけではありません。今はネットの代わりに様々な本を読んでいます。
皆さんに伝えたいのは書物の情報はネットと同等に重要な情報が多いということです。
例えば、私は最近加藤周一の「夕陽妄語 1984~1991」を買いましたが、その中の「いじめ流行」に集団心理に関する興味深い記事が載っていたので部分引用します。
興味がある方は、図書館などで全文読んでください。
(引用開始)
弱い者いじめの主体は、また、集団でもあり得る。集団対個人、あるいは多数派対少数派。
あたえられた集団内部での多数派は、彼らと対立する個人ないし少数派を、「みんなでいじめる」。その場合には、いじめの行動そのものによって、彼ら(多数派)の仲間意識が強化される。いじめは、集団の全体ではなくていじめ仲間の、団結の手段になるだろう。
彼らがほかの弱い集団をいじめるときには、そのことが、彼ら自身の集団内部での少数派に対する圧力としても作用する。対外的な闘争は、戦場の軍隊の場合に典型的なように、集団全体の団結を要求し、その団結は多数派が少数派を吸収する形で実現されるからである。
ムラの多数派が彼らの好まぬ個人を追い出す「ムラ八部」は、集団的弱いものいじめの極端な形式である。会社のなかで、大多数の社員と意見や趣味や行動様式を異にする個人を仲間はずれにするのは、その日常的な形式であろう。議会での多数派が少数派に対して傲慢な態度をとるのも、集団的いじめの一種である。
このような集団的いじめは、いじめる側により、集団全体の名において、正当化されることが多い。すなわち、ムラのため、会社のため、国家のために、ムラまたは会社または国家を代表する—と自ら称する多数派がいじめるのである。
多数派が集団を代表するという考え方は、もちろん、多数決原理とは違う。多数決原理は集団内部での意見の多様性を前提とするが、この考え方は、集団内部での意見の一致を理想とし、正常とし、当然の事とする。したがって少数意見の存在は、悪であり、異常であり、事故でなければならない。しかもそこには、集団に超越する価値の基準がない。集団はそのまま価値とみなされ、集団を代表する多数派は、多数派であるがゆえに正しいということになる。このような集団から成る社会では、集団的いじめが普及し、日常化し、正常化されないまでも批判されないはずである。
(引用終わり)
この記事を読み、日本には特に集団ストーカーシステムが運用しやすい精神土壌が昔からあったのかもしれないと考えさせられました。それと、私は集団ストーカーに関与していると確実に分かっている組織(軍・諜報機関・警察・カルト宗教etc...)を見たとき、ある事に気付きました。
軍・諜報機関・警察・カルト宗教…。これらに共通するのは自己意思よりも上部の命令を優先する人間の集合体という事です。技術レベルや目的、コスチュームが違うだけです。
極端な話、これらの人間は命令(プログラム)に従っているだけなので、仮に組織の上層部が今までとは全く異なる命令を出してもただそれに従うだけでしょう。
現在の日本は、音楽業界をはじめロボット型人間が量産されています。
集団に対して「NO!」といえる日本人が増えないと、この国は永遠に植民地のままでしょう。
また、そのようにはっきりと自らの頭で考え意思表示をする人間が増えない限り集団ストーカーという集団犯罪も永久になくならないでしょう。
ただ、最近ではそういった自立型の被害者も多く表れています。
これはすごい希望です。ぜひ、被害者の中にこういった方が増えることを望みます。
本の重要性
私へのテクノロジー被害が肉体的攻撃から脳への科学的干渉に切り替わり、何とか本を再び読める状態になっています。被害者の中にはかつての私の様に肉体的攻撃が酷すぎて本も読めない方もいるでしょう。ただ、本を読める環境がある方はぜひ多くの本を読んで視野を広げてください。
周知チラシなども、チラシを作成するための専門書を何冊か読むのが効果的だと思います。
いかに短く相手に難しい内容を伝えるか、そのヒントが得られるかもしれません。
さて、結果的に分かったのは私はブログをしていたほうが被害が軽いという事です(笑)
みなさんには1年ほどブログを休むと書きましたが、何とか早めに中古PCでもかって復帰できたらいいなと思います。
また、月に一度程度は今回みたいにネットカフェで記事を書くかもしれません。
それにしても、加害勢力はアホだな。私のようなやる気がない人間に対して攻撃を続けてわざわざ覚悟を決めさせるとは。彼らも有限です、こういった判断ミスが続けば大きな失敗を招くでしょう。
さて、今日はこの辺で、またいつか♪
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by 2017/09/10
さて、ブログをやめて今私が何をしているかというと、家族への借金返済と自分のPCを買うために週6で働いています(笑)
さて、ブログを休止してしばらくたちますが、本音をいうと私はブログを休んでいる間は少しは集団ストーカー・テクノロジー犯罪の被害が減るのではないかと淡い期待を抱いていましたが、やはり、逆に被害は酷くなるばかりです。
今は特に肉体を遠隔で操作される被害がひどいです。映画「サロゲート」の様に自在に遠隔で人間を操る技術がすでに完成されています。私への肉体操作も時間とともにより強力かつ正確になっています。
もし、ブログをやめたあと、集団ストーカーがおさまったのであれば、私は現金な人間なので二度と集団ストーカーに関する記事を書かなかった可能性もあります。
ただ、ブログをやめた後のテクノロジー攻撃の激化を受けて、私はこの被害は加害勢力が滅びるまで半永久的に続くと頭だけではなく、体でも理解しました。
つまり、私は覚悟を決めました。
被害は永遠に続くものと前提して、これからは行動します。
それとやはり、この犯罪にはナチス = シオニズム(破壊主義的共産主義)が深く関係している気がします、この犯罪には明らかに優生学と人体実験的要素がある。
昨日たまたまジャンプSQの「プラチナエンド」をコンビニで立ち読みしていたら、そこにも偶然優生学的思考が出てきて色々考えさせられました。
私は現在、ネット環境を切っていますが、集団ストーカー・テクノロジー犯罪について考えをやめているわけではありません。今はネットの代わりに様々な本を読んでいます。
皆さんに伝えたいのは書物の情報はネットと同等に重要な情報が多いということです。
例えば、私は最近加藤周一の「夕陽妄語 1984~1991」を買いましたが、その中の「いじめ流行」に集団心理に関する興味深い記事が載っていたので部分引用します。
興味がある方は、図書館などで全文読んでください。
(引用開始)
弱い者いじめの主体は、また、集団でもあり得る。集団対個人、あるいは多数派対少数派。
あたえられた集団内部での多数派は、彼らと対立する個人ないし少数派を、「みんなでいじめる」。その場合には、いじめの行動そのものによって、彼ら(多数派)の仲間意識が強化される。いじめは、集団の全体ではなくていじめ仲間の、団結の手段になるだろう。
彼らがほかの弱い集団をいじめるときには、そのことが、彼ら自身の集団内部での少数派に対する圧力としても作用する。対外的な闘争は、戦場の軍隊の場合に典型的なように、集団全体の団結を要求し、その団結は多数派が少数派を吸収する形で実現されるからである。
ムラの多数派が彼らの好まぬ個人を追い出す「ムラ八部」は、集団的弱いものいじめの極端な形式である。会社のなかで、大多数の社員と意見や趣味や行動様式を異にする個人を仲間はずれにするのは、その日常的な形式であろう。議会での多数派が少数派に対して傲慢な態度をとるのも、集団的いじめの一種である。
このような集団的いじめは、いじめる側により、集団全体の名において、正当化されることが多い。すなわち、ムラのため、会社のため、国家のために、ムラまたは会社または国家を代表する—と自ら称する多数派がいじめるのである。
多数派が集団を代表するという考え方は、もちろん、多数決原理とは違う。多数決原理は集団内部での意見の多様性を前提とするが、この考え方は、集団内部での意見の一致を理想とし、正常とし、当然の事とする。したがって少数意見の存在は、悪であり、異常であり、事故でなければならない。しかもそこには、集団に超越する価値の基準がない。集団はそのまま価値とみなされ、集団を代表する多数派は、多数派であるがゆえに正しいということになる。このような集団から成る社会では、集団的いじめが普及し、日常化し、正常化されないまでも批判されないはずである。
(引用終わり)
この記事を読み、日本には特に集団ストーカーシステムが運用しやすい精神土壌が昔からあったのかもしれないと考えさせられました。それと、私は集団ストーカーに関与していると確実に分かっている組織(軍・諜報機関・警察・カルト宗教etc...)を見たとき、ある事に気付きました。
軍・諜報機関・警察・カルト宗教…。これらに共通するのは自己意思よりも上部の命令を優先する人間の集合体という事です。技術レベルや目的、コスチュームが違うだけです。
極端な話、これらの人間は命令(プログラム)に従っているだけなので、仮に組織の上層部が今までとは全く異なる命令を出してもただそれに従うだけでしょう。
現在の日本は、音楽業界をはじめロボット型人間が量産されています。
集団に対して「NO!」といえる日本人が増えないと、この国は永遠に植民地のままでしょう。
また、そのようにはっきりと自らの頭で考え意思表示をする人間が増えない限り集団ストーカーという集団犯罪も永久になくならないでしょう。
ただ、最近ではそういった自立型の被害者も多く表れています。
これはすごい希望です。ぜひ、被害者の中にこういった方が増えることを望みます。
本の重要性
私へのテクノロジー被害が肉体的攻撃から脳への科学的干渉に切り替わり、何とか本を再び読める状態になっています。被害者の中にはかつての私の様に肉体的攻撃が酷すぎて本も読めない方もいるでしょう。ただ、本を読める環境がある方はぜひ多くの本を読んで視野を広げてください。
周知チラシなども、チラシを作成するための専門書を何冊か読むのが効果的だと思います。
いかに短く相手に難しい内容を伝えるか、そのヒントが得られるかもしれません。
さて、結果的に分かったのは私はブログをしていたほうが被害が軽いという事です(笑)
みなさんには1年ほどブログを休むと書きましたが、何とか早めに中古PCでもかって復帰できたらいいなと思います。
また、月に一度程度は今回みたいにネットカフェで記事を書くかもしれません。
それにしても、加害勢力はアホだな。私のようなやる気がない人間に対して攻撃を続けてわざわざ覚悟を決めさせるとは。彼らも有限です、こういった判断ミスが続けば大きな失敗を招くでしょう。
さて、今日はこの辺で、またいつか♪