「サイコム」を終えて

「サイコム」を終えて

プロジェクト「サイコム」について

平成27年度に京都大学大学院・理学研究科において科学ライティングの教育プログラム、「サイコム」を実践しました。

 

サイコムの内容ですが、科学ライティングに興味を持つ学生を対象とし、学生に共通の課題を毎月一つ与え、文章を書いてもらいます。学外から科学ジャーナリストのお二人に文章の添削をお願いしました。その添削指導のあと、学生が文章を直して完成です。それを8カ月間行いました。

 

毎月の課題選びで気をつけたこと、学生に要望したことは三つあります。

 
  • 科学そのものの内容について、分かりやすく伝えることを目的とする。エッセーのようなものや、科学政策について論じるような課題は選ばない
  • 読者の知識レベルをあらかじめ設定し学生に伝える。専門用語を使い難しくなりすぎないよう特に注意する。
  • 文章の長さは600字程度とする。初心者にとってトレーニング効果が高いのは、この程度の長さだと考えた。
 

研究科内で希望学生を募ると思いのほか希望者が多く、その中から10 人の学生の参加が決まり、下の八つの課題に取り組みました。

 
  • 7 月:自分の専攻分野の研究に関することについて、京大理学部を志望する高校生を対象に書いてください。
  • 8 月:広い意味であなたの専門分野の研究者を1 人選び、その人の業績について説明してください。
  • 9 月:あなたの専門分野に関することで世の中の役にたっていること、または他分野に応用されていることを一つ選んで書いてください。
  • 10 月:2015年のノーベル賞の科学関係の受賞から一人または一組選んで業績を紹介してください。
  • 11 月:科学に関することで、自分の専門分野でないことについて課題を一つ選び書いてください。
  • 12 月:自由課題(科学に関すること)
  • 1 月:自由課題(科学に関すること)
  • 2 月:科学的なものと科学的でないもの、それを分けるものは何であるか、事例を交えて説明してください。
 

私がサイコムを始めた動機を簡単に説明します。高度な科学技術は現代社会を根幹から支え、個人レベルでもたとえば高度な医療技術・知識に接することは日常的です。科学の知識に基づかない不合理な司法や行政の判断は、社会に大きな不利益をもたらします。したがって、質の高い科学ライターの存在は社会にとっても、そこに生きる個人にとっても必要不可欠なものとなります。

 

数学のアウトリーチ活動に私自身がここ数年取り組むなかで、多くの科学ジャーナリストの方と知り合い、科学ジャーナリストへの典型的なキャリアパスに日米で大きな差があることを知りました。

 

日本における典型的な経歴では、大学・大学院で理系分野を専攻した後、マスコミ・出版関係に就職し、オン・ザ・ジョブ・トレーニングでライティングスキルを身につけます。

 

一方、アメリカでは、大学・大学院で理系分野を専攻し、卒業後に(場合によっては数年社会に出た後に)、科学コミュニケーションを専攻として 大学院修士課程に入学し、そこでライティング技術を身につけることも多いようです。そのような大学院では科学コミュニケーションを学問として 学ぶことが主目的ではなく、ライティング・映像製作などのスキルを身につけることがメインです。

 

日本において、科学コミュニケーションのスキルを身につけることを目的とした大学院修士課程は皆無です。そのような現状のなかで、科学ライティングの小さい講座を、京都大学理学研究科で提供したいと考えました。しかし、私自身は数学者で、科学ライティングのスキルを教えることは出来ません。そこで、知り合いの科学ジャーナリストのお力を借りて、プロジェクト「サイコム」を始めることにしました。

   

プロジェクトを終えて、感じたことについて、まずは、参加学生の強みから述べます。

   
  1. 京大生の科学についての知識量が抜群であること。 
  2. 多くの参加学生に研究経験があること。これは単に知識量が豊富であることとは違う強みだと感じました。
 

複数の学生が参加するメリットとして、

 
  1. ほかのメンバーの書く文章とその添削過程から、専門分野以外の知識とライティングスキルの両方を学べる。
 

一方、プロジェクトに足らない点として、例えば以下があります。

 
  1. いくら科学の知識や研究経験があっても、科学と社会の関係や科学の成り立ちについて、考える手がかりを持つことは難しい。その対策として、科学と社会・科学哲学・科学の歴史・研究不正と科学・科学と政策、というようなテーマについてそれぞれ速習できる機会を提供するのが望ましい。
  2. 今回はライティングに特化しましたが、映像・画像・イラストなどによる科学コミュニケーションスキルも有用。
  3. 研究者へのインタビューの技法も取り入れたい。
   

サイコムの参加学生の理学研究科における専攻は多岐にわたります。また学年も学部4年から博士3年まで、男女比もほぼ半々でした。また、科学コミュニケーションのプロの教育支援を大学外から得ていること、大学院における教育内容にしては職業訓練的な 要素があることなど、サイコムにはいくつものユニークな側面があります。

 

参加学生のライティングスキルは大きく向上したと評価しています。科学コミュニケーションの専門家に進むだけでなく、研究者にとっても良いグラント申請書を書くためには、ライティングスキルは必須です。プログラムで身につけたスキルは、学生にとって一生の財産となるでしょう。

   

サイコムは平成27 年度京都大学総長裁量経費によって運営されました。また、事務サポートを京都大学大学院・理学研究科・数学専攻から受けました。それらのサポートに感謝します。

 

最後に、添削を引き受けてくださった読売新聞東京本社・長谷川聖治氏と共同通信ワシントン支局・浅見英一氏に深く感謝します。

   

平成28年5月
京都大学大学院・理学研究科・数学専攻 教授
藤原耕二