「豊崎愛生さんと僕」について
という題目で、"その時"が来たら書こうということは実は何年も前から決めていて。
僕のTwitterが思いのほか取り上げられてしまったので、ほとぼりが冷めてから公開しようと思っていたら、気付けばスフィアさん充電期間前最後のライブ直前になっていたので、
会ってみて数日後に前言撤回することにならないようにしようと思い、遅ればせながらこのタイミングで。
スフィアさんのことも、本稿の閲覧数がそこそこ伸びたら気が向いたら書こうか。
ナルシストなのでほぼ自分語り、且つ長文になってしまうが、自分のことをあまりオープンな形で語ってこなかったと思うので、まあ適当に読んで頂ければ。
■略歴
知っての通り(という表現はおかしいのかもしれないが)、豊崎愛生さんの現場に最多回数、他のファンと桁違いに参加してきた人間ということになる。
某記録ツールによればかれこれ400回弱参加してきたらしいが、その内の130回くらいは最前列だった模様。
しかしながら僕は地方出身で、いわゆる現場の『古参』ではなく、彼女を生で最初に見たのは2010年が最初になるので歴としては今年で8年目になる。
当時は学生だったこともあり、また決して裕福な家庭で育ったわけでもないので、イベントに参加するだけで手一杯だった頃もあれば、毎月数十万円のクレジットカード代をやり繰りしていた頃もあった(但しリボ払いに手を出した事はない)。
彼女をどんどん好きになり(この辺の話は後述)、会えるなら全部行く、誰よりも前に行くと考えるようになり、その為なら出来ることは何であれやってきた。
そして、気付けば誰よりも多く参加していた。
チケットや音楽CD、書籍、その他アニメBlu-ray等の豊崎愛生に関連するコンテンツに支払ってきた金額は(後に回収した分を含めて)、恐ろしいことに千万の桁に入ってしまうと思う。
サイン会や握手会といった『接近戦』も幸い落選した経験が(ほぼ)なかったし、生電話(CD封入キャンペーン、各10名)等も何度も当選(苦笑)した。
と言ったものの、僕は決して現場としての側面だけ必死に追いかけていたわけではない。
声優としての出演作品、ラジオやテレビ番組は当然のこと、雑誌等の各種メディアや記事、出演規模や情報量の大小に関わらず、可能な限りチェックしていた。
豊崎愛生というひとに少しでも触れられるなら追いたいと考えていたし、一方で自分の時間も当然有限なので、据え置きないしスマホのゲームまで全ボイス聴けないのを残念に感じた頃さえあった気がする。
ラジオへ等の投稿は非積極的だったが、容姿や本名は認知されていてもハンドルネームは覚えられていないのも悔しいと思い、がむしゃらに送った時期もあった。
ありがたいことに彼女の活躍は年を追うごとにどんどん拡がっていき、僕の生活の大半を彼女に費やしていたと言っても過言ではない状況にあった。
豊崎愛生さんに関して、大体のことは知っていたつもりである。
そんな中で、自分と同じように追いかけられる特異なファンというのがやはり居なかった。
現場で頑張っていた人もさすがに細かいところまで追う気がない感じがしたり、推察したことをブログ等でアウトプットする人は生の豊崎愛生が知れていない感じがしたり、僕から言わせれば"点"でしか見えていなかった。
そういう意味で僕は"線"どころか、時系列まで含めた"多次元的"に彼女を見ていた。
アニメ作品のイベントでの発言は数年前のブログに同様のことが書いてあるとか、ラジオでの発言はどの雑誌に書いてあるか初出しかとか、
ライブパフォーマンスを見てこの曲を前回歌ったのは何年前のどこでどの程度成長しているかとか、そんな感じで豊崎愛生の一挙一動をひたすら分析していた。
声からその日のコンディション、何気ない仕草や表情から何を考えているかまで、決して妄想ではなくいつも見てきた根拠ありきで何となく把握出来た。
最前列に居ながらそんなことを考えているのだから、自分でも救いようがないと感じるし、自分のような存在が他に居たら不気味だと思う。
仲良くさせて頂いたと思っている『推し被り』はたくさん居たが、豊崎愛生さんに対するモチベーションという観点では常にひとり孤高だった。
豊崎愛生という人が誰よりも好きだった。
言ってしまえば、現場の参加回数なんて好きだった過程の中で出た結果の一つでしかない。
個々の感情は比較出来ないとか綺麗事を言う人も居るが、それを論破するだけのことはしてきたつもりだし、これだけは絶対的な矜持がある。
■彼女の最大の魅力
閑話休題。
僕が何年もの間好きだった豊崎愛生さんについて、魅力を綴り始めれば本稿の字数が全くもって足りないことになると思うが、容姿や性格については今更語るまでもないので
ここ近年で僕が感じていた一番の魅力をこの機会に記しておこうと思う。
この件は、昨年の彼女と数分間話せた機会に本人にも伝えていることだし、そこに居合わせた9人+その後話した数人しか知らないはず。
豊崎愛生さんには"無限の可能性"を感じた。
世間的な評価として、豊崎愛生は「けいおん!/平沢唯」で一躍名前の売れた人だというのは間違いがなくて、アニメ出演もふわっとした天然系のキャラクターが当初は多かった。
昔はコンプレックスだったと本人は言うその特長的な声は活かしつつ、そこから低めの声色のキャラクターから少年のキャラクター等、役のレパートリーは次第に増えていった。
2017年の出演作品で言えば「クズの本懐/皆川茜」「Re:CREATORS/アルタイル」「メイドインアビス/マルルク」の3役だけ取っても、声優に詳しい人が聴かなければ「えっこれがけいおんの豊崎?」となるのではないかと思う。
出演作品が減った年もあったが、今の彼女なら競争の激しい現行の声優業界でもずっとやっていけるはず。
また音楽活動に関しても、ユニットないしソロを始めた当時は歌がうまいかと言えば決してそんなことはなかっただろうし、ダンスパフォーマンスも上手な方ではなかった。
しかし、スフィアでハモる時は一番高音を出す彼女の声は昔のライブ映像と今のライブを比べれば見違えるほどだし、歌唱力で言うと4人の中で贔屓なしで最も成長したと感じる。
特にソロに関しては、彼女自身が尊敬してきたアーティストに頂いた曲を歌うという方向性で始まった音楽が、次第に"自分がやりたい"音楽へと変遷し、オールドロックな曲からジャズ調な曲まで、ジャンルを問わずどんどん自由度が高くなっていくとは全く想像していなかった。
更に、声優業や音楽活動のみならず、舞台や朗読劇への挑戦、そしてテレビ番組へのレギュラー出演をしていたと思えばお天気お姉さんに抜擢されてしまうし、やってみたいことは本当に何でもやれてしまうひとだなと常々思ってきた。
僕が追いかけてきた豊崎愛生さんは、本当に留まることを知らなくて、次はどんな姿を見せてくれるんだろうという期待がいつまでもあった。
高すぎる熱量が惰性で続くわけがないのに、僕は彼女のことを知り尽くしているのに、それでも更新されていく魅力に触れることが出来て、だから何度も何度も好きになった。
そんな豊崎愛生さんのことをずっと尊敬していたし、感謝していたし、本当に大好きだった。
端的にまとめたつもりで長いが、以上が僕が思う豊崎愛生さんの最大の魅力である。
■彼女への恋心
前述の内容は飽くまで僕がファンとして、あるいはそれを通り越してしまった『評論家』として豊崎愛生さんが好きで追ってきた話になると思う。
前述のこと自体は偽りのない事実なのだが、結局のところ次第に豊崎愛生さんのことを一人のひととして、女性として好きになってしまっている側面もあった。
イベントに何度参加しても彼女を見ていると動悸が止まらなかったし、目が合うと恥ずかしくて逸していた。
写真を見るだけでもどことなく落ち着かない気分になった。
雑誌等のグラビアは修正が入っているので好みではなかったが、とりわけ映像を見るのが僕は好きで、時には一時停止したりスロー再生しながら床を転がっていたり、…これ以上晒しても今後の尊厳がなくなるだけなので、やめておこうと思う。
さて、振り返れば僕が"恋に落ちた"と言えばいいのか、少なくとも熱量が爆発的に上がってしまった契機は存在して、それは2011年6月の1stソロコンサートツアーだった。
作品やイベントは追っていたものの、初めて最前列を経験したのがこの時で、そこで見せられた笑顔や仕草によって恋のステージの扉を叩かされたのだと思う。
(とは言え、この頃は楽曲がどうとかより「愛生ちゃんが可愛いから」参加していると思われるファンが多く、既に一線を画している自負はあった。)
そこからが、略歴の項に示した僕の"覇道"の始まりだったのかもしれない。
5年前のスフィアツアーで3週連続で最前列に座ったりした結果、当時の握手会では僕が話し掛ける前に「いつも目が合うね」と言われた。
認知されているのは当然のことなのかもしれないが、何を思ってこんなことを言ってくるのか意味がわからなすぎた。今でもわからない。
ちょうど約4年前には目の前で似顔絵を描いてもらう(先日のTwitterアイコン)というとんでもないイベントがあったが、当時は「いつもわたしのことを考えてくださって」と言われた。
僕に振り向ける笑顔や言葉がリップ・サービスだということくらい分かっていたものの、少なくとも僕にしか向けられていないもので、それに完全に翻弄されていて、だんだん全部欲しいと思うようになったのかもしれない。
自分でも頭がおかしい自覚はあったが、気付けば界隈の中で僕は病気扱いされていた。
少し話が逸れるが、僕は豊崎愛生さんの魅力的だと感じるところの一つが【想いやり】だった。
ここでは端的に語ると、大別すれば【作品に対する想いやり】が1点と、もう1点は【ファン一人一人に対する想いやり】だった。
その想いやりが魅力だと言いながら、地方公演でもその地方でしか会えないファンを差し置いて前列に居る自分の存在は矛盾していて、本人に対していつも目の前にいて申し訳ないとか釈明し始める事態にも陥った。
一般的に考えて、もはやstk扱いされても不思議ではなかった。
それでも彼女は「いつもにこにこ見守ってくれて安心します」と言ってくれた。
別に会話した時間をトータルしたところで1時間にも満たないのかもしれないが、全てがかけがえのないひとときだった。
50回/年=週1ペースで会っていようが彼女は優しくしてくれて、多少の『恋心』を抱いても赦してもらえると思えたのかもしれない。
彼女のことを想うと、胸がいっぱいで、愛おしくて、止まらなかった。
■入籍に関して
発表を僕はどう受け止めるべきか、それを受けて僕はどうなるんだろうと何年も前から想像することがなかったと言えば嘘になる。
結局"その時"が来てしまっても、驚いたり、あるいは発狂したりすることもなく(世間的に見ればそうだったのかもしれないが)、様々な感情が入り混じっていた。
本件は一大ニュースだったのかもしれないが、そこそこ追っている人からすれば衝撃的なことではなかったと思う。
代表的なところで言えば山登りの話とか、一人じゃ作らないであろう料理の話とか、聞いていればある程度察しが付くところもあっただろう。
僕のレーダーからすれば、様々な日常トークの中でも"そういう空気"を感じたし、いつからというのも僕の中には回答がある(ここでは言及しないが、決して近年の話ではないとだけ)。
彼女のことを知りたいと思う一方でそんな些細なことを感じる度に、少し憂鬱になった。
何でも知ってるようで、プライベートな側面は何も知らないという事実を認めてしまえば、全てが終わる気さえした。
繰り返しになるものの、彼女のことをひとりの女性として見ていたということはどこまで行っても否めない。
にも関わらず、略歴の項で述べたように最前列に居ながらあれこれと冷静な分析も出来たのは、『評論家』の自分と『恋心』を抱いた自分が独立して存在していて、うまくスイッチして使い分けられたからである。
そのスイッチを俯瞰的に選択する冷静な自分も居たかもしれない(僕は常日頃から頭おかしいわけではなかったし、自分で言うのも変だが真人間だと思っている)。
しかし、この"2人"はしばしば脳内戦争していて、自分でも何が正しいのかよくわからないことが多々あった。
軽率な発言をするとまた叩かれそうだが、例えば業界に入る選択肢も僕のスペック的にはゼロではなかったし、あるいは非正規な方法で近付くことも選択肢の一つだった。
しかし、僕はリスク・マネジメントの塊みたいな性格だったので、それらの選択で"うまくいく"可能性は限りなく低いことくらい把握していたし、
長年築き上げてきた彼女からの信頼や、"関係性"をすべて壊してしまうことが何よりも怖かった。
そういったことを天秤に掛けた結果、『恋心』さんには嘘を付いて、同じスタイルをし続けていく選択を取っていたのかもしれない。
入籍を素直に祝福出来ない理由を考えてみた結果、彼女のことを「応援する」という気持ちがあまりなかったからだと思う。
そういう意味では自分のことをファンとは全く認識していなかった。
ひたすら愛おしい彼女の人生に寄り添いたかった。
しかし5年ほど前、(いわゆる週間なんちゃら事件を経ても尚)熱量を上げていた僕は、豊崎愛生にとっての何になりたいのか考えた結論は『理解者』だった。
恋人未満で良かったし、友達未満でもいいから、数ヶ月後に世に出るアフレコや楽曲の話とか、仕事で困っていることとか、こっそり教えてくれるくらいでも良かった。
実際「舞台やらお天気お姉さんの次は何がやりたいか」とか積極的に尋ねていたので、その延長線上に踏み出したいと思う中、気付けば恋をしていた。
先日のスフィア幕張公演に幸か不幸か最前列で参加し、彼女と僕の"関係性"は変わっていないことが分かり、文字通り嬉しいやら悲しいやら。
しかし、僕あるいは彼女自身がどう思おうが、これまでの全てがなかったことには決してならないし、大事な時間だったことは変わりようがない。
彼女の人生に影響を与えただろうし、現場を牽引してきた自負もあるし、その上で彼女から少なからず信頼されてきたのだから、何も報われなかったわけでもないと誇りにする程度がちょうどいいのかもしれない。
いつまでもしあわせに、僕が愛した笑顔で居てほしいと思う。
■僕の今後について
正直、明日からどうやって生きていけばいいのか。――これに対する回答はまだわからない。
念のため記しておくが、僕はオタクを辞めるとは言っていない。
しかしまあ、豊崎愛生さんだけに比重を置いた生活は当然続けるつもりがなく。
少なくとも12月のソロコンサートは見守るつもりだし、その先のことはもう少し考えたいと思う。
僕が豊崎愛生さんに対して世界の誰よりも真剣だったということは絶対に否定させない。
若気の至りと言われても仕方ないのかもしれないが、現に僕は彼女より年下だったし。
人生経験も決して多くないので、これから先、まだまだ何でも出来ると思ってる。
常人を逸した別のなにかになるかもしれないし、平凡な人生を歩むかもしれないし、それもいつか振り返る時が来るだろう。
締めとして、数年間に僕と知り合って頂いた皆さんへ謝辞でも。
これまで様々な支援を賜ったり、先の件でご心配をおかけしたり、本当にありがとうございました。
こんな僕ですが、今後も飲みに行ったりして、また話でも聞いてやってください。
先日のTwitterは反響大きく、申し訳ないと思っている一方で、心底真面目に書いた本稿がそうならないことを祈ります。以上