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2017-11-15

「シン・ゴジラ」の「国民は撃てない!」から、60年安保の赤城防衛相…そしてその裏の衝撃秘話「警官は死んでも仕方ない」を再論Add Star

| 「シン・ゴジラ」の「国民は撃てない!」から、60年安保の赤城防衛相…そしてその裏の衝撃秘話「警官は死んでも仕方ない」を再論を含むブックマーク 「シン・ゴジラ」の「国民は撃てない!」から、60年安保の赤城防衛相…そしてその裏の衝撃秘話「警官は死んでも仕方ない」を再論のブックマークコメント

最後のツイートが、思いがけずリツイートが多かったので、ブログ記事でも再論する…再論というか、もう一度書いているので、それを。

60年安保秘話自衛隊出動阻止の「ハト派政治家は「警官は死ぬ、それはしょうがない」と思っていた。銀英伝のレべロ的に… - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160329/p1

銀英伝のレベロ的に」がわかんない人はおいてきます(笑)義務教育や無いんやからねっ。

ま、それはそれとして、再度画像を。

f:id:gryphon:20160329093001j:image:w640

(略)

椎名悦三郎と、赤城宗徳は集まって相談し、「自衛隊治安出勤は見送る」という決定をし、それを岸に突き付け、岸は安保成立と引き換えに退陣した…とされる。

これは未来というカンニングペーパーを手にしてみれば、実に妥当な判断だったと思うのである。

(結果的に、警官側に多数の死者が出ることはなかった。まあ自衛隊が出たときに死者が出たか…も歴史のIfだが)


だが、、この決定を支えたのは、上の画像にあるように

『ともかく巡査は何人殺されても殺されたで済む。それは我慢してもらう』

という、とんでもなく血も涙もない決断、切り捨てによって選ばれた決断であったのだ。

(略)

赤城氏は、この「自衛隊出動せず」という決断によって、今でも「ハト派政治家」という冠を付けられ、好意的に書かれることが多い。

しかし、その「ハト派」の決断をするためには(福本証言によるなら)「警官は、何人殺されてもまあしょうがない。それはなんとか我慢しよう」という非情の発想があった、ということだ(結果的な警官の犠牲の有無はこの場合、無関係である)。もちろん警官一人ひとりに人生も、夢も希望もあり、家族がいることは言うまでもない。


政治本質的にいやなところは、そういう形の犠牲も間違いなく強いていて、手を汚さないでいることが不可能だからだ(といって、誰もやらないわけにいかないのもまた事実)。

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以上が過去の記事だが、これは敷衍していくと「作為の悪と、不作為の悪」ともいえます。

なので、こういう記事にも関連していきます。

銀英伝5巻のユリアンとシェーンコップの議論を、「不作為」の問題を混ぜて拡大してみる。 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160921/p2

 

「『たった10人』殺されてPKOが逃げたのがルワンダ虐殺に繋がった。増兵すれば止められた」(井上達夫氏、朝生で語る) - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170813/p1

そんな話題につながる、シンゴジラの名場面というか印象的な場面でした。