一面名古屋地下鉄が15日に還暦、欠かせぬ路線網に 2・4キロ→93・3キロ
名古屋市営地下鉄は十五日、開業から丸六十年たち「還暦」を迎える。一九五七(昭和三十二)年に一号線(現東山線)名古屋-栄町(現栄)間の二・四キロが開通してから、現在は六路線、九三・三キロの路線網に。一日百万人以上が利用し、市民の暮らしに欠かせない都市基盤の一つに成長した。 地下鉄開通は東京、大阪に次いで全国三番目。六五年には二号線(現名城線)市役所-栄町間が開業し、鶴舞線や桜通線も相次ぎ開通。人口増加や高度経済成長を背景に、路線を延長し、昨年度は一日平均で百二十九万人が利用した。二〇〇四年に全線開通した名城線は、全国初の地下鉄の環状運転となっている。 これまでに全八十七駅にエレベーターの設置が完了。一一年にはICカード「マナカ」のサービスを開始した。女性専用車両は〇二年、全国の地下鉄で初めて東山線に試行導入し、一五年には平日の全時間帯に拡大。名城線・名港線でも昨年七月から、午前九時まで運行している。 転落や列車との接触を防ぐ可動式のホーム柵は東山線、桜通線、上飯田線の全四十五駅に設置。名城線・名港線は二〇年度中を目指し整備を進める。経常収支は昨年度、約百六十億円の黒字だったが、累積赤字は二千四百億円超に上る。 河村たかし市長は「小学生のころに乗りに行った記憶がある。僕らぐらいの団塊の世代には思い出たっぷり」と振り返り、「市民の重要な移動手段。もっと面白く、いろいろ挑戦していい」と話す。 (梅田歳晴) ◆「一番列車 誇りと緊張」当時の車掌の一柳さん
ひんやりとした地下のホームは、開業の熱気に包まれていた。六十年前の十一月十五日、一番列車の車掌を務めた元市交通局職員の一柳義正さん(78)=名古屋市守山区=は「誇らしさと『とにかく安全に』との緊張で、体が熱くなった」。 岐阜県美並村(現郡上市)出身。高校卒業後、就職先を探していた時に新聞で地下鉄の求人広告を見つけた。一カ月後、合格が決まり、研修が始まった。電車の構造やレールの仕組み、車掌に必要なアナウンス技術などを学び、十一月の開業を迎えた。 当日は小林橘川(きっせん)市長(当時)らが駆けつけた。長年、地下鉄の顔だった黄色い車両は、当時としては珍しい扇風機付きで、特殊な車輪で静かに走れる最新型。「取材に来たマスコミに性能を喜んで解説しました」 式典の後、来賓らが乗り込んだのを確認した駅長の合図を受けて「出発進行!」と呼び掛けた。ブラスバンドの演奏が流れ、市職員らが見送る中で電車は動きだした。安全確認のために開けた車掌室の窓からほほをなでる風が、高ぶる気持ちを落ち着かせてくれた。 一柳さんはその後、運転士や駅勤務を経て交通局運転課長などを歴任。一九九九年に退職するまで多くの新路線の開業に携わった。 「わずか二・四キロだった線路が、九三・三キロまで延びるとは思ってもいなかった」と驚きつつ、「これからも便利に快適に使ってもらうため、安全運転を」とエールを送った。 (井本拓志)
|
|