僕にとっての懐メロというのは、現実逃避の一環なのだとおもう。逃避しっぱなしなのは困りものだが、小休止としての逃避というのはあってもいいかなと。いまより純真だったころに還って、また現実に戻るのだ。
というわけで、先日聴いたラジオ番組「タブレット純 音楽の黄金時代」のテーマは”一発屋特集”。一発屋といえばあの人だなと思ったら、この番組でも一番最初に流れていた。その曲こそが、堀江淳の「メモリーグラス」である。
もうもはや電話リクエストなどというコトバも死語であろう。僕はやったことがないのだが、やったヒトはどのようなコトバで、どのような気持ちであちらのオペレーターさんに話をしたのであろうか。
自分の聴きたい歌を人にいうことじたい、なにかこう恥部をさらけだしているような気がする。この気恥ずかしさがあったからこそ、もっと簡略かつ機械的にリクエストができるよう、インターネットの技術が発展したのだ。嘘つけ。
このメモリーグラスという歌、カラオケに行くとよく歌うのだが、けっこう難しい。学校の音楽の授業では、歌声は腹から出せと習ったものだが、この歌は腹から出すと、とたんに歌そのものが台無しになる。
そうはいっても自分なんかはガラスの喉なので、一つまちがうと一気にやられてしまう。そのような危険性をはらんでいるのに、年輩のヒトにも若いヒトにも認知度が低いというハイリスク・ローリターンな歌なのである。
でもオリコン週間最高で3位の歌なんだかんなコノヤロー。と椎名誠先生のごとく言ってみる。一発屋とはいえど、堀江さんは昔のスタイルを保ちつつ今も活躍している。まったく誰だ。ちょっとむかしだが、死亡説流したのは。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。