今朝パソコンを開いたら、思わず苦笑!
ハリルジャパンのご一行がフランドル(フランダース地方)で早くも泥にはまっていたからです。下に記事を貼っておきましたが、選手たちを乗せたバスの運転手が道を間違え、右側のタイヤがぬかるみにはまってしまい、アクセルを踏んでも一向に動かない。それでスタッフや選手たちも降りて、後ろからバスを押すも、ついに脱出できなかったという。その後4台の大型ワゴン車に分乗してブリュージュ郊外の宿舎になんとかたどり着いたようです。
先日のブラジル戦は酷いものでしたが、ともあれ次のベルギー戦に向けてリール(フランス)で調整をし、夕方フランスから国境を超えてスタジアム近くの宿舎でリフレッシュしたいところでした。
記事の最後の文が可笑しかったです。
W杯まで残り7か月。ピッチ上では、迷い道や泥沼にはまる失態は許されない。
赤いピンが15日、ベルギーとの試合が行われるスタジアム。ブリュージュ旧市街からかなり離れている。☛ヤン・ブレイデルスタディオン - Wikipedia
ちょうど4年前、2013年も日本代表はベルギーと親善試合をしましたね。みなさん覚えていらっしゃいますか。世界ランキング5位のベルギーに3-2で勝ってしまったんです。もうビックリでした。
ベルギーはそれまで予選負けなしで突っ走ってきて、サポーターも含め、大盛り上がり。数日前の新聞に「相手が日本では物足りない」のようなことが書いてあったのも覚えています。
前日の試合の、オランダ✖日本が2-2で引き分けだったとき、「そんなランキングの低い日本にも勝てないのだから、オランダチームの病は相当に深刻だ」とあざ笑うような記事が載りました。
ところがベルギー戦、われらが日本代表の3点目が入ったとき、悲鳴や怒号が渦になってスタディアムを揺らしました。
監督(当時ウィルモッツ。日韓ワールドカップの時、選手として活躍した)は弁明しました。エデン・アザールをセンターで使ってみたかったのだ、親善試合はいろんなことを試す場じゃないのか?と。
ベルギー人はこのショックをどう受け止めていいかわからず、翌日からはしばらく反省会と分析が延々と続いたものです。
さて試合は15日です。「泥沼にはまる失態は許されません。」
(ポピーの日。イギリスでは戦没兵士を追悼するため、ポピーを胸に付ける)
フランドル フラン泥(ドロ)
オヤジギャグで失礼しました。
次はフランドルの泥がどんなに恐ろしいか、お話します。
さきほどの運転手はフランス人らしいですが、リールで雇った人ならフランドル地方の人なわけで、”泥”のこわさは子どもの頃から身に染みて知っているはずです。
ダンケルク 兵士40万人の大撤退作戦・「ダンケルク・スピリット」と負け戦 -1- - ベルギーの密かな愉しみ
前にダンケルクの所で書きましたが、フランスとベルギーにまたがるこの地域一帯は沼沢地で、雨が降らなくてもぬかるんでいる土地。だから人々は庭仕事をするときなど、木靴が欠かせません。もちろん現在はほとんどの道が舗装されていて、快適なドライブが楽しめます。でも脇道に逸れたらやはりどろんこ道…。
泥で溺死 最も悲惨な戦場のひとつ パッシェンデール
写真は 死屍血河の戦いだったパッシェンデールという村。ベルギーとフランスの国境近く(地図、黄色丸)。この名前を聞くとヨーロッパの人はすぐに第一次大戦と結びつけるようです。
そのすぐ左Ypres(イーペル)は小都市ですが、悲惨な歴史、過去を共有しているためか広島市と姉妹都市で友好な関係です。
ちなみにイーペルやダンケルクへはイギリスから修学旅行生が来ます。
第一次大戦100周年です。
2014年からヨーロッパのメディアは「100年前の今日は~の戦い」といった記事を日々載せているので、 想像力を膨らませて100年前にタイムスリップしてみることもできます。
おととい、ベルギーやイギリスのニュースはパッシェンデール一色でした。1917年11月11日から100年目、つまりパッシェンデールの戦い(=第三次イーペル会戦)が終わった日です。
ちょっとイギリスとベルギー(オランダ語)の新聞の表紙を見てみましょう。
両方とも戦没者墓地の写真です。まるで屋外博物館さながらです。
BBCによると、最近の調査でわかったことは、この戦いによる死者はこれまで報道されていたより遥かに多く、70万人にものぼるということです。激戦地の一つですが、ここの特徴は文字通り「泥沼」だったことでしょう。兵士も馬も戦車も泥の中に沈みます。その年の8月は大雨でした。砲撃で排水設備も壊されました。砲撃孔に水がたまって池ができる。そこにはまったら溺死してしまいます。なぜなら兵士は数十キロの装備を身につけていたからです。
(ウィキペディアに載っている有名な写真)
泥の中を這いずり回って溺死・・・ああ、兵士たちの無念さはどれほどだったでしょうか。こんなバカバカしい死に方ってあるだろうか。戦争は不条理で無意味で、私の理解を超えています。
連合国軍の目的は何かというと、「パッシェンデールを制圧し、ドイツ軍戦線に突破口を開き、ベルギーの海岸線まで進出、Uボートの活動拠点を占拠する」(wiki)ことでした。しかし「戦略的に重要な地域ではなかった」と指摘する歴史家も多いということです。
しかも5カ月と膨大な人命の損失のもとに勝ち取ったかに見えたパッシェンデールも、のちに3日でドイツに奪われてしまうのですから。
泥はヒトラーにとってもトラウマでした。第一次大戦にヒトラーは、バイエルン王国の義勇兵として北フランスやフランドル地方の戦いに参加。地域をよく知っていました。
のちに総統になってから「ドイツの戦車がフランドルの泥にはまりこむのは。我慢できない」とエヴァルト・フォン・クライストに言っていたと本で読みました。
泥にはよっぽど凝りていたんでしょう。クライストは電撃戦を成功させた司令官の一人ですね。
あと300年 毒ガス弾処理にかかる年月
この地域は初めて塩素ガスやマスタードガスなどが使われたところです。兵士だけでなく、一般市民も巻き込まれました。「イペリット」と呼ばれるマスタードガスは、イーペルの地名から来ています。
いまだに1年間で約5000発の不発弾が見つかっていて、廃棄は長いみちのり。それだけでなく今も乾いた泥の中から遺骨が見つかるそうです。
先日、ベルギー沖で発見された第一次大戦のUボートについて書きましたが、第一次大戦が遠い出来事のように思えず、不思議な気がします。
最後に毒ガスマスクの写真をいろいろ。
Gifgas - de chemische oorlogvoering in de Eerste Wereldoorlog
馬もラバも。
第一次大戦の毒ガス攻撃が悲惨だったので、ポーランド侵攻が始まったころ、イギリスではいち早く国民に毒ガスマスクを配布しました。
以下写真はピンタレスト画像を借りているので出典を入れていません。
悲しくもシュールです。
終わります。