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特別国会は、忙しくなりそう

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年11月13日(月)12時51分32秒
  現在、米空母3隻が日本海に展開中。

3隻と言えば文字通りの臨戦体制。いつでも実戦に移行出来るのだが、そんな中、11日から米韓合同軍事演習が始まっている。北朝鮮は当然猛反発。

北朝鮮の地上レーダーでは、米韓軍の動きのすべては把握し切れない様で、誤認誤解による北朝鮮の先制攻撃という事態も懸念されている。極度の緊張状態では何が起きるか分からない。

米韓朝がお互いの意図に反して、もしも偶発戦争に突入した場合、自衛隊はどうするのだ?

安保法制に従って自動参戦するのかどうか、その辺りを国会で詰めなくていいのかと、テレ朝の玉川氏が指摘していたが、まったくその通りだ。

自分とお友達の命は最大限大切にするが、それ以外、自衛隊員や国民の命はホイホイ差し出しそうな安倍政権。

長期戦になれば、兵站業務ぐらいは必ずやるに違いない。
脆弱な戦闘力故に、最も狙われやすい危険な業務だが、国を守る為に国民は血を流すべきだと、前防衛相が熱弁する様な内閣だ。

モリカケから目をそらせられるなら、小規模戦闘程度はむしろ望むところなのかも知れない。
それほど今の内閣を私は信用していない。

自公が強行採決した安保法案のせいで、実は憲法を変えなくても自衛隊は既に戦争が出来るのだ。

国民は自公に、既に騙されている。

その辺りの問題も含めて、必ず今国会でハッキリさせるべきだろう。


トランプ大統領。どこまで本気か知らないが、金正恩の友だちになるよう頑張ってみよう、とツィート。(笑)
外交経験の少ないトランプ氏が今回の歴訪で、アジア的外交というものの極意を学習したのなら歓迎したい。

少なくとも気持ちが揺らいでいるのは確かだろう。

学習能力ゼロ、圧力一辺倒の安倍首相だけが置き去りにされる日は、意外に近いのかも知れない。

アメリカでも話題の、あのバンカー転落事件の映像は、返す返す実に暗示的だ。(笑)



 

「日蓮世界宗」の旗揚げ失敗

 投稿者:シャクソンファイブ  投稿日:2017年11月13日(月)09時46分37秒
  皆さん、おはようございます。

執行部による「日蓮世界宗」の旗揚げについて。
すでに皆様ご存じのことですが、自分自身確認のため記述します。


SONSで様々つぶやかれているように、執行部は旗揚げ強行を断念。
ある国のメンバーから聞いた情報によると、理由としては次の通り。

1)SGIの反発
2)世界各国での反対勢力の台頭
3)各国の法令と整合性をとるのが実質不可能だったこと

他にも理由はあるが、この3つが主なもの。

SGI規約も改正されたが、それも当然目的があってのこと。
執行部にとって都合の悪い人間を排除するため。

よって「査問」は国内に留まらず、
全世界で行われると推測される。

今後も執行部の動きに注目が必要。
 

会憲公布と会則改訂

 投稿者:-Q-  投稿日:2017年11月13日(月)09時22分40秒
  既存の「会則」から、前文をそっくりコピペしてでっち上げた「会憲」。意味不明にも思えるこの規定の制定理由は、第9条、11条、14条を読めば明らか。

いわば最高権力者たる会長の絶対化と、各国SGI組織を、事実上「この会」の下部組織に位置づけること。
会憲の公布者でもある会長は、来る2017年11月18日以降、最高権力者としてあらゆる人事権を掌握し、名誉会長・SGI会長の任免すら彼の意のままになるということなのだ。

(会憲公布と時を合わせて会則も改訂施行される。逐条的に改訂個所を確認したわけではないが、会憲の「最高法規」性を裏付けるための、第15章の条文だけの変更が行われたものと思われる)


 

壮年さん

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年11月13日(月)09時16分48秒
  男子部Nさま

素晴らしい、体験と戦いご苦労様でした。

正義の主張は人に感動を与えるということですね、大変参考になります。

また、「壮年さん」は素晴らしい力のある方ですね。こういう方達が副会長なり、主任副会長であれば

創価・SGIも大きく変わり、大発展間違いなし・・

いや、いや、それよりも、今後大事なのは「この壮年さん」のように、

一人でも多く「正義・師子の地域の灯台」となる方が多く出てくることが大事ですよね

いや、でも確実にいまその水かさが増しているように見受けられますが・・

4人組+3味一体や毒が深く回った患部連中が気がついたときは、既に完全包囲されている状態でしょう。

先生の本物の弟子たちを侮ってはいけません。

ここに来られる方皆さんもその中のお一人です。
 

素晴らしい童話です

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年11月13日(月)09時03分54秒
  dekahappyさま

二編の創作童話を読んで大変感動しました・・

どうか、他にもあるのであれば創作童話を続けて投稿していただけないでしょうか・・

また、続けて創作を続けてくださいまし・・

・・・法華経の魂、大聖人の魂、先生の魂があります・・

・・・悪の執行部・患部連への大いなる折伏にも成ると思います・・

いずれは出版も・・・
 

京都乃鬼新聞

 投稿者:京都乃鬼  投稿日:2017年11月13日(月)08時21分27秒
  京都乃鬼新聞
2017年11月12日


【創価学会会憲制定について】


2014年に漏洩した所謂「教学レポート文書」ー
ここに書かれていた原田会長以下その執行部により制定されそうになった「創価学会会憲案」

そして本年11月18日に施行される「創価学会会憲」は、
当時その推認される構想からは、内容が大幅に後退した。


創価学会教学部の一員が、当時の執行部(創価学会会長:原田会長)に対して、忘備録として認めてた文章が、初めて京都乃鬼一家経由で、創価学会執行部周辺や京都乃鬼一家関係者周辺に出回り、衆目を集めた。

後に、京都乃鬼一家が関知しない経路で、その「教学部レポート」がインターネット上で出回り、またその延長上に置いて、所謂「遠藤文書」なるものも併せて話題になった。


では何故「創価学会会憲」が、当初予定していた内容より後退して発表せざるを得なかったのか、その背景や教学的意義について各方面に取材を行なった。

その中で、興味深い部分を分かりやすく何点かにまとめて説明してみよう。


①本来の会憲案では、原田執行部が全力をあげて獲得しようとした「新宗教団体」の立ち上げを意味する「日蓮世界宗創価学会」は、断念せざるを得なかったと見るべきであろう。

これは池田先生の意向が働いた結果だと思われるが、
一方、11月11日付の聖教新聞に
「創価三代の肖像が厳然と見守るなか、『創価学会会憲署名式』は厳かに挙行された。」とある様に、今回の不完全な会憲の全てが池田先生のご意向通りであると言わんばかりの記事になっている事は、いつもながらではあるが執行部の責任転嫁の表れである。



②教学レポートから類推される事のもう一つの重大な件として、当時の原田執行部が、創価学会常住の御本尊を「大御本尊」化するつもりであったが、これも断念せざるを得なかったとみるべきであろう。

だが、会憲の前文に
「2013年11月5日、池田先生は、『大誓堂』の落慶入仏式を執り行なわれ、『広宣流布の御本尊』を御安置され」とある様に、「広宣流布の御本尊」と言う新たな名称で「創価学会の大御本尊」との位置づけを意図した形跡が見られることに注視しなければならない。

その一方で、日蓮正宗との決別を意図しながら、創価学会の会則変更や教義変更までしたのだが、その日蓮正宗大石寺住職であった第64世水谷日昇が認めてた御本尊(新名称:広宣流布の御本尊)を創価学会の大誓堂に御安置していることに関して、宗教的、教義的正当性を会員に対して、未だに原田会長は説明出来ないでいる。

何故、原田会長に説明責任があるのかといえば、創価学会会則に

「(教義・化儀の裁定)
第11条 会長は、教義および化儀を裁定する。

(会務の執行)
第12条 会長は、次に定める会務を行なう。
1) 御本尊に関する事項を司る。」とあるからだ。


③大誓堂を正本堂化する意図があるのであろう以下の会憲では

「世界の会員は、国籍や老若男女を問わず、『大誓堂』に集い来り、永遠の師匠である『三代会長』と心を合わせ、民衆の幸福と繁栄、世界平和、自身の人間革命を祈り、ともどもに世界広宣流布を誓願する。」とあるだけで、教義的に三大秘法の「本門の戒壇」についても言及出来ていない。


本来の日蓮仏法を行ずる上で、日顕宗との教義的戦いは避けられないのだが、差別化をしようとすればするほど、日顕宗の考え方に似通ってきているのでは無いだろうか?

その一例として「教師、准教師」の制定であるが、
これについては次号で詳しく説明する。

創価学会独自の教義も未熟で未確立のままに体制だけを整えようとする今回の会憲の施行には、邪宗門にならない様に祈るばかりである。

つづく


提供は敵からは恐れられる
味方からは畏れられる
京都乃鬼新聞社でした。
 

(無題)

 投稿者:自由の凡夫  投稿日:2017年11月13日(月)08時08分34秒
編集済
  ●参考としてです

現在、地球の波動が上昇しています。(次元上昇)・・・意識に影響しています。

「非二元」「悟り」に行きやすいチャンスが到来していますが・・・何の為の信仰なのでしょうか。

今の「創価信仰」では追従できにくい事を認識してもらえたらと思います。今の転換している時代に追従できていない。

「目に見えない世界」があるということが解らないからです。⇒ 「自我機能」に偏りすぎている 「自己機能」「意識機能」がうまく働いていないのか。

また、「体感知」を重要視しない。(エネルギー感覚も)

明るい話題を例えて言うなら、地球は「闇」から「光」の世界に反転しています。

「闇」の勢力は、自然的にもハジカレていきます。(俯瞰的眼差し)

まだ多くの人々は気づいてませんが、すべての人間的な事象・価値観が転換する時代に既に入っています。

一部の「気づいた人」「目覚めた人」には解っているのです。徐々に、加速度的に増えていきます。

 

“とっておき”の心は実在する!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月13日(月)06時45分4秒
編集済
  おはようございます。

 “とっておき”の特別の組織から、“どこにでもある”ような普通の組織へ変質するというのでしょうか。普通の組織なら、普通の組織としてお付き合いします。なにせ、こちとらは、批判も受け、ないがしろにもされてきた、普通の組織の林立する社会の中で育ってきましたから慣れっこです。庶民の中では、その方が「楽」ですからね。

 かつてTV、ラジオなどでも活躍するタレントが、青年部主催の友好祭の手伝いにきてくれた時でした。その顔に笑みを見せながらも、創価学会の司会は「胃が痛くなる」からイヤだと言うのです。「神経を使う」からだそうです。プロの人間も、“とっておき”の“仕事”をしようとしていたのです。普通の仕事なら、普通にしたでしょう。胃も痛くなりません。創価学会は、「そうではない」と決めていたから、みんな、“とっておき”の対応をしてきたのです。

 いまは、あまりしませんが、財務の啓蒙で、壮年部員を回っていた時です。「ああ、会費だね」――。絶句して、あとの言葉が繋げませんでした。「ああ、いいよ」とは言ってくれましたが、そんな認識もあるのだと、つくづくと感じさせられました。みんな、大半の人は“とっておき”の「心」で供養してきたのです。それが、大半の創価学会の人にとって当たり前のことだったのです。それを“変えよ!”と言うかのような今の“流れ”です。

 疑問を思う党への選挙支援、とても先生のお手紙扱いとは思えない聖教新聞の多部数購読、そして友人への無償贈呈。普通の企業、団体なら、“普通”かも知れません。あんがい、そんな調子でお付き合い購読して見える友人もいるかも知れません。

 これからは、普通のお付き合い程度でいいということですね……。今の“路線”が変わらない限り。

 正常で清浄な団体がなくなるということは、世の中が一段と荒れていくということなのでしょうか。

 「仁王経に云く『国土乱れん時は先ず鬼神乱る 鬼神乱るるが故に万民乱る 賊来つて国を劫(おびや)かし百姓亡喪し 臣・君・太子・王子・百官共に是非(※言い争い)を生ぜん、天地怪異し二十八宿・星道・日月時を失い度を失い 多く賊起ること有らん』と」(立正安国論19㌻)。

 牧口先生が「一宗が滅びるのを嘆くのではない。一国が亡びるのを憂うるのである」(主旨)と仰ったのも、戦後の不安定な日本で、創価学会が社会の安定に貢献したというのも、決して誇張なのではありません。民衆の「心」の動きが国の安・不安定なのです。正法、正義をないがしろにし、組織の“保身”にのみに走るリーダーはそれを知っているのでしょうか。いままで言ってきたことはすべて嘘なのでしょうか。国民の前で明らかにすべきです。決して一宗、一団体の話ではありません。

 人間が共存するための“条件”は、おおよそ決まっていると言えます。“我欲”ではない、“支配”でもない、“歓楽”でもないということなのでしょう。自他ともの、むしろ「利他」が前面に出た依存関係なのでしょう。これを“仏智”と言います。「利他」の裏返しで、自身の安穏もあります。自身の“開花”も原理は同じです。国を問わず、地域を問わずの、人類の智慧です。“我欲”だけでは開けない、むしろ、“他者”を開くという貢献や慈愛の中に、自身を開く道筋があります。

 別に、「勧善懲悪」を言うのではありません。「生命」の構造というか、その実在する「姿」を言っているのです。トインビー博士が仰る「究極の精神的実在」と同じです(笑い)。
 それが「仏法史観」です。この「史観」が必ずしもそのまま受け入れられるとは限りません。動物としての人間は、やはり、自己本位、自己保身の欲張りで動いているからです。我慢、上慢、不信の「三失心」です。だが、とにかくも、人間が人間共和の世界に持っていこうとしたら、支配でもない、強制でもない、我欲でもない、この人間共和の「史観」なくして不可能だということです。世界の多くの池田先生のお友達が讃嘆するように、この「史観」を使うよりないということです。これが「仏法平和思想」です。動物管理の「史観」とは、立脚そのものがそもそも違うのです。

 単に理想というのでもない、独善というのでもない、分け与えるというのでもない、もちろん、強制というのでもない。“希求”です。自由に、共に、合意をなして築き上げようとする行き方です。“希求”をないがしろにしたら、もはや、人類ではなくなってしまいます。「共存」というのは、“体内”にある人と同じだということです。“わが子”を思う心と同じです。自分の身体の一部です。放っておいても“慈愛”が流れます。

 

おはようございます!

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年11月13日(月)06時28分24秒
  男子部N様

すごいことですね。実証ですね。

ずっとこの宿坊で、男子部N様は「祈る」決意を言われていました。


悪党たちは、自分らが起こした人権蹂躙もはなはだしい事件を口封じ、隠ぺい。

その横暴の輩が平然とのさばる組織の中で、ただ「正義」を問うた。

それなのに、男子部N様は、ありえないほどの圧迫を受けてこられました。


腐った組織の、腐った幹部や公明党の、悪をただそうとする人を迫害する、

どうしようもない腐敗状況と、戦ってこられたのです。


祈りの戦いの進展は、目には見えない。 でも決して徒手空拳ではない。

必ず、事態が動き出す。

その希望の兆しを、見事に見せてくださって、ありがとうございます。


壮年さんは、諄々と破折されたと。

まさに「鬼に金棒たるべし」!(涙)

学会健児、こうこなくちゃ、という姿を見せていただいた思いです。

本当にすごいです。

 

おはようございます。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2017年11月13日(月)06時16分44秒
  男子部N様、ありがとうございます。

お話を伺い、私も歓喜いたしました。(^^)
 

21世紀への選択 情報革命に欠かせない「魂の触れ合い」 P316 を投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月13日(月)03時20分13秒
  第九章人間の安全保障・・・核兵器のない世界へ P290

21世紀への選択 情報革命に欠かせない「魂の触れ合い」 P316 を投稿します。

ポイント

*、テヘラニアン
 インターネットなどの通信手段を効果的に使ったICBLの運動は、旧来の

意思決定の手法の限界を打ち破ろうとする試みでもありました。

 民主主義は、ややもすると政治資金の集め方によっては腐敗します。

 政治家は一般の市民よりも、寄付金を出してくれる、兵器製造業者をふくむ企業の

利益に従いがちです。

*、池田
 インターネットに象徴される「情報革命」の利点は、博士の指摘されるように、

知識や情報が一部の人やグループに独占されることを防ぎ、民主的に、多くの人々に

共有されていくことにあるといえましょう。

であればこそ、知識や情報だけでなく、これらを真に活かす「知恵」をともに薫発して

いくことが重要となると私は思うのです。

 そのためにもやはり、人間同士の直接の対話を通した「魂の触れ合い」が欠かせない

と私は考えます。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
インターネットでフェイクニュースを流して、米大統領は当選したのではないかと疑われていま
す。
一般でも、政治家でも宗教家でも、油断はできません。

昔は、秘密を知っても公表する場がなかったので、3号4号が居ると言う事も誰も知ることが無く
済みましたが、いまや、全世界に知られるようになりました。

しかしネットニュースは、真実と嘘のニュースとがごちゃ混ぜでネットに挙がってきます。
それに騙されないためには、正邪を見抜く智慧を磨かなければいけません。

牧口先生は、【「教育の目的は児童を幸福にすることである」】とされましたが、富国強兵が教育

の国是であり、目的だった当時にこのような言辞を述べることは、職を賭する覚悟の上だったとそ
の覚悟が、日蓮大聖人と相通じるものがあります。

鈴之助

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まなこ様の法華経の智慧 第三巻 より いただきました。 感謝!!
法華経は秘妙方便 ( p148)

名誉会長: 牧口先生は、教育の混乱の原因は、その目的があいまいなことであるとし、「教育の
目的は児童を幸福にすることである」とされた。

当時、“国家の役に立つ”人間をつくるのが教育の目的であると多くの人々が考えていた時に、余り
にも画期的な「児童本位」「人間本位」の教育観であった。


この信念から、創価教育の眼目も、一人一人が「幸福になる力を開発する」こととされたのです。
そして、医学にも技術があり、農業にも工業にも技術があるように、教育にも技術が必要である。

機械的な「注入主義」でも、無策の「人格主義(感化主義)」でもいけないと主張された。
技術 ?- すなわち「方便」です。

そして教師を「無技術」「技術」「芸術」と三段階に分けられたのです。
どう子どもたちを幸福にするか。

どう子どもたちの「幸福になる力」すなわち「価値創造の力」を引き出し、開示悟入させるか。
この一点に、牧口先生は全精魂を傾けられた。

それは学者の机上の教育論ではなく、現実の教育実践の中で、子どもたちを愛し、子どもたちを
救いたいという慈愛から生み出された教育の体系であった。


斉藤: 子どもたちへの慈愛から生まれた知恵だった ?- そこに創価教育学の生命があると思い
ます。
それで思い出されるのが、釈尊が仏法を説き始めるときの悩みです。
自分が悟った法を説くべきか否か、釈尊は迷いに迷います。

なぜ釈尊は逡巡したのか。そのときの様子を、方便品には、こう説かれています。

「私は仏眼をもって衆生を見た。彼等は貧しく、幸福への智慧もなく、生死の苦しみは絶え間なく
続いている。欲望に執着するありさまは、牛が自分の尻尾を追うがごときである。

貪りで自分自身をおおい、『大いなる仏』と『苦悩を断ずる法』を求めようとしない。このような
衆生のために、私は大悲の心を起こした」(法華経 p185、趣意)と。

遠藤: そして、衆生の余りの救い難さに愕然としたのですね。
「どのように救えばよいのか。悟った法をそのまま説くと、彼等は信ずることができなくて、反対
に法を破壊し、悪道におちてしまうだろう。

それなら、いっそのこと説かないでおいたほうがよいのか。過去の仏と同じような方法で説くべき
か」(法華経 p186、趣意)

斉藤: その時、十方の仏が、釈尊をこう励まします。「すべての仏と同じように、方便力を用いな
さい。
私たちも皆、そうしてきたのだから」(法華経 p187、趣意)それを聞いて釈尊は「仏のおっしゃる
通りにします」と喜び、決意する。

「我濁悪世に出でたり 諸仏の所説の如く 我も亦随順して行ぜん」(法華経 p187)
この場面は、先生の小説『新・人間革命』の「仏陀」の章で、学ばせていただきました。

名誉会長: 釈尊は「大悲の心」ゆえに悩んだのです。慈悲の「悲」とは「同苦」を意味する。

「救いたい」という思いがあるから、「どう救えばよいのか」と悩むのです。

そういう慈悲があるからこそ智慧がわく。それが「方便力」です。「人間教育」の芸術です。

仏とは、ある意味で、悩み続ける人のことかもしれない。人々の「幸福になる力」を開くために。
自身の使命を果たすために。

斉藤: 私たちが日々読誦している寿量品の最後の部分に「以何令衆生」(法華経 p510)とあり
ます。
「以何」とは「何を以ってか=どのようにして」という意味です。

ここにも、人々の幸福のために、どうしたらよいか常に考え続けているという仏の慈悲が表されて
います。

名誉会長: 方便品に「種種因縁。種種譬喩」(法華経 p153)とあるが、仏は相手に応じ、さま

ざまな因縁や譬喩を使って、正しい軌道に導こうとする。この仏の力を「方便力」と言います。

これは、その人のために、今、何を教えたらよいのかを知る力です。

言い換えれば、人々の生命状態を洞察する力であり、適切な教えを選びとる智慧の力です。
また、いかなる衆生をも成仏へと育んでいこうという慈悲の力です。

その根源には甚深無量の仏智があるのです。
 

21世紀への選択 情報革命に欠かせない「魂の触れ合い」 P316

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月13日(月)03時14分3秒
  21世紀への選択 情報革命に欠かせない「魂の触れ合い」 P316

テヘラニアン
 インターネットなどの通信手段を効果的に使ったICBLの運動は、旧来の

意思決定の手法の限界を打ち破ろうとする試みでもありました。

 民主主義は、ややもすると政治資金の集め方によっては腐敗します。

 政治家は一般の市民よりも、寄付金を出してくれる、兵器製造業者をふくむ企業の

利益に従いがちです。

そういった腐敗も、市民勢力の動員によって幾分は是正できますが、そのためには、

市民自身が十分な情報と意識をもっており、なおかつ活動を厭わないという条件が

そろう必要があるでしょう。

 その点、インターネットは、具体的な問題について、市民が世界的な情報を得て

結集し、一つの勢力を形成する上での新しい民主公共的な媒体になりえます。

 私は、この地雷禁止の運動が「コンピュータを善用する新しい民主主義が、市民の

教育と結集によっていかに有効に活動しうるか」を例証したと強く確信するのです。

市民がコンピュータを価値的に利用したことの勝利ともいえるのです。

池田
 インターネットに象徴される「情報革命」の利点は、博士の指摘されるように、

知識や情報が一部の人やグループに独占されることを防ぎ、民主的に、多くの人々に

共有されていくことにあるといえましょう。

であればこそ、知識や情報だけでなく、これらを真に活かす「知恵」をともに薫発して

いくことが重要となると私は思うのです。

 そのためにもやはり、人間同士の直接の対話を通した「魂の触れ合い」が欠かせない

と私は考えます。

新たに開発される技術そのものは、人間社会を幸福にも不幸にもする力があります。

要は、その技術がもつ特性と本質を見極めながら、人間のために価値的に生かしていく

・・・私たちはテクノロジーに対し、そうした基本姿勢を失ってはならないといえますね。

仏法では、物事をよりよい方向へ導く「知恵」を開発することの重要性を説いています。

人格と人格が触れ合う対話には、知識の一方通行もなければ、「魂なき情報」の洪水も

ない。

声と声、生命と生命が触れ合い、通い合いながら、ダイナミックな対話のドラマが

織りなされる。ここに、みずみずしい「知恵」も育まれていくと思うのです。

テヘラニアン
 これまで私たちは主にマクロな問題を論じてきましたが、平和はミクロな問題の領域に

おいてこそ、最も効果的に達成できると思います。

そこでカギとなるのは、会長のおっしゃるとおり、人間同士の対話にほかなりません。

対話による意思の疎通が、最も効果的でありうるのは、多数のメンバーとの距離を

へだてた間接的コミュニケーションにおいてよりも、小さな輪のなかでの"一対一の対話"

なのです。

ゆえに私は、E・F・シューマッハーと同様に、「スモール・イズ・ビューティフル

(小さいことは素晴らしい)」と言いたいと思います。

家族や、友人や、信仰者のサークルのなかでのように、少人数のほうが、親しみや互い

に理解し思いやる心が育まれるものなのです。

ですから、私はSGIに見られる座談会などの、自主的な小規模のミーティングのもつ

役割を高く評価し、着目しています。

現代の国家や企業といった、マスの次元だけでは、どうしても、非個性化、非人格化、

貧欲性、攻撃性が優勢になりがちだからです。
 

花の輪様

 投稿者:男子部Nメール  投稿日:2017年11月13日(月)01時08分23秒
  こんばんは。

ありがとうございます。

自身の油断を排し、天界に安住する事なく、天子魔打倒の題目を猛然と上げ抜いて参ります!
 

男子部N様

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年11月13日(月)00時53分55秒
編集済
  素晴らしい座談会、おめでとうございます
まさに
大白11月号の巻頭言の通りの座談会になりました
おめでとうございます

「魔は天界に棲む」
気を引き締めて、先生直結で頑張ってください

先生は教えて下さいました
「高慢は敵に利用される」
高慢になり利用されている原田学会
同じ轍を踏まないように
一層、お題目を上げ、進んで行きたいですね
正義は、我等にあり!です

流れが変わってきた事を感じています
皆様のおかげで、目覚める人が「澎湃」と湧き起こっています
 

座談会参加しました。

 投稿者:男子部Nメール  投稿日:2017年11月13日(月)00時35分56秒
  こんばんは。

私の営業先で、初めて会った婦人部から公明党を頼まれました。
私は「池田先生を裏切った公明党には入れません!」ときっぱりお断りしました。

すると婦人部は「あなたは学会員ね!それでも聖教新聞や公明新聞読んでるの!」と怒ってこられたので、私は「読んでません!」と言いきりました。

そしたら、尚更婦人部はおさまらず、「あなたに公明党の議員を会わすから連絡先を教えなさい!」と言われました。

私は素直に連絡先を教えて連絡を待ちました。

すると、選挙が終わって間もなく連絡があり、座談会があるから参加するようにとの事でした。

どうであれ、原田ら天魔の本部から除名された私を、ここまで座談会にお誘いして下さるとは驚きました。

私は喜んで、婦人部に招かれた座談会に参加をしました。

座談会には、私を説得しようと地区部長と公明党の議員が待ちかまえていました。

今回は、断じて勝つ事といざという時の為に壮年さんにも来ていただきました。

座談会が始まり、私の自己紹介と共にパニック障害の体験を語らせていただきましたが、早速、地区部長と議員が組織と公明党の正統性を言いだしました。

壮年さんが、議員さん達の話を聞き終えると、対話をするかのように、議員らを淡々と明確に破折し始めました。

長沢、樋口の先生と会員を裏切った不倫などの不祥事問題の責任問題として山口なつおを斬りまくり、米国の軍産複合体と絡む安倍自民党の権力や不正を明らかにしました。
また公明党が、その権力と不正に迎合傾注し擁護している事実を糺しながら、六項目ほど議員が訴えてきた内容を完全に論破しました。

そして、そのやりとりを聴いていた会員さんらが、「その通りだ!」と納得し歓喜したのです。

更に、本部と公明党が池田先生を裏切った実態を聞いた公明党議員は「私はもう、公明党の議員を辞めたいです」と会員の前で真剣に言い出してしまいました。

地区部長や議員を始め、全員が壮年さんの話しに納得し歓喜し最高に盛り上がった座談会になったのです。

時間を忘れる楽しい会合が終わるのを惜しみながら、地区部長中心に題目三唱して終了しました。

こんな素晴らしい座談会は始めてです。

今日より更に、原田ら天魔打倒を祈りに祈り、呵責し戦い抜いて参ります!
 

二枚の美しい絵

 投稿者:dekahappy  投稿日:2017年11月13日(月)00時02分17秒
  時様
ご感想ありがとうございます!

『 怖い獣たちに対して、武器を持って殺すよりも、松明を以て危険を避けるというのは
智慧ですね。そしてある意味、双方に対する慈悲にも通じます。』
のご感想。

本人まったく意識していなかった視点でした。(笑)
学べます。ありがとうございます。

もうひとつ長男に話したおとぎ話を、投稿させてくださいませ。
先程、仕事から帰宅し、聖教に目を通し様々思うことがございましたので。


『二枚の美しい絵』

むかしむかし、
あるところに、宇宙で一番美しい絵をかく人がいました。

この人は、何故か、かいた絵を他の人には、みせませんでした。

なぜでしょう?

美しい絵をみれば、心が気持ちよくなり、大きくなるのに、なぜでしょうね?

いじわるな人だからでしょうか?

ちがいます。

本当に美しい絵をかく人には、いじわるな人はいません。

それはひとつ心配なことがあったからです。


ある時、
村に、争いがおき、続いて、大きな地震もおきて、村の人々の心は暗くなり、食べものも少なくなって、死んでしまう人もできて、人々は食べものをとりあい、ケンカばかりするようになってしまいました。

村の優しい心を持った二人の若者が、美しい絵を村人にみせ、仲良くなり、元気になってもらおうと話し合い、絵をかく人に、絵をもらいにいこうということになりました。

絵をかく人のところに、二人はお願いに行きました。

お願いを聞いた絵をかく人は、しばらく考えて、二人に絵を渡すことにしました。

ただし、ひとつ二人に注意しました。

この絵は、村人が元気になるためにつかうこと。自分のために使わないこと、と話し、誓えるかい?と二人に話しました。

二人は、はい!と答え、絵を二枚、村に持ち帰りました。

絵を持ち帰り、二人はそれぞれ、絵を村人にみせてまわりました。

村人は美しい絵をみて、心が広くなり、優しくなり、元気が出てきて、仲良くなり、食べものをつくり、分け与え、しあわせになって行きました。

しばらくして、二人にちがいが出てきました。

一人は、村人が元気になることが、うれしくて、そのことで、自分も元気になって、うれしくてうれしくてしかたがありませんでした。

もう一人も、最初は一緒でしたが、そのうち、小さなことで少しずつ変わってきてしまいました。

それは、絵をみせて、よろんだ村人が、お礼に、わざわざきてくれたので、少し食べものを渡そうとしました。
最初は、一人の若者はことわりましたが、そのようなことが何回かつづき、少しならいいかと思い、少し食べものをもらいました。

そのうち、食べものが少ないので、少しのお金をお礼に渡す村人もいました。

このお金で遠くにいく馬が借りられる。
また、少しならいいか。と思って受けとりました。

少しずつ理由をつけて、お金や食べものを受けとるようになりました。

そのうちに、この若者の心にへんかがおきてきました。

村人がよろこび、元気になることもうれしいのですが、お金や食べものがたまっていくことも、うれしくなってきました。

そのうち、また、少し理由をつけました。
たくさん人にみてもらうために、立派な絵のために、立派な大きな建物をつくってたくさんの人にきてもらおう。

そのためにまた、村人からお金をもらおうと。

村人は元気になったお礼にお金をだすことに協力しました。

この若者は、まるで、お金がたまることが、目的になってしまったようです。


このことの話しを聞いたもう一人の若者が、心配してきました。

ふたりの対話がはじまりました。

心配した若者が、語りかけました。

二人で最初話しあったこと覚えている?
絵をかいた人との誓いを覚えている?
と。

覚えているよ!たくさんの人にみてもらうように頑張ってるよ!と怒って、大きな建物をたてようとしていると若者はいいました。

心配してきた若者は静かにいいました。

お金や食べものや建物のことはどうでもいいんだ。

村のみんなが、仲良く、元気になることで、君がうれしくて元気になっているかっていうことだよ。

そのことだけだよ。と静かに言いました。

もう一人の若者はだまってしまいました。



絵をかいた人の心配はこのことだったのかもしれませんね。

この二人の心をそれぞれ考えてみてくださいね。

おしまい。


私も私の立場で頑張って参ります。










 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年11月13日(月)00時00分35秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
先生が政治意見をどの様に話されたかで
意見が対立するのは、良くない事だと思います
題目を真剣あげて、自分は、先生の声をこの様に聞いたと
思える事が大事な事と思います
ありがとうございました
おやすみなさい

 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年11月12日(日)22時54分53秒
  23時に開始です。よろしくお願い致します。
池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈ります。
 

池田先生のご指導

 投稿者:なつこメール  投稿日:2017年11月12日(日)22時38分29秒
  『仏法では、この地球は、「第六天の魔王」が支配しているから、悪人を守り、善人を嫌う世の中になっていると説く。

第六天の魔王の心が、権力者の心に入りこんでいく。

日蓮大聖人も大迫害の連続でした。

仏法は、魔との勝負なのです。

強い信心によって、戦うのです。

悪人は、なりふりかまわず、結託しやすい。

善人は、なかなか連帯できない。

善人が、ともに手をつないでいける世界をつくっていくことが理想です。

「自分さえよければ、人はどうなってもかまわない」

━━そういうのは、原爆と同じ思想です。

悪魔の思想です。

国においてもそうだし、人においてもそうです。

だから、大事なことは、自分が悪魔のほうにつくか、正義のほうにつくか。

自分はどっちの生き方を進むべきか。

ある哲学者は言っている。

「正義によって立て。汝の力、二倍せん」

いくら迫害を受けても、わが弟子たちよ、正義のために立て!

そうすれば二倍の力が出るのだと、私は教えたい!』

『永遠不変の正義とはなにか。

それを追求しなければならない。

その結論は、宇宙とともに永遠である「妙法」という生命の法則にのっとって生きることです。

「生命の尊厳」を実現していく戦いです。

ここに、最高にして、永久の正義がある。

要するに、広宣流布(こうせんるふ)こそ、正義の中の正義です。

悪に敗れてしまうような正義であるがゆえに、人類の不幸が続いているのです。

歯止めをしなければならない。

歯車を組み替えなければならない。

個人においても、一家においても、団体においても、国家においても、です。

正義は勝ってこそ、本当の正義と輝く!』
 

紳士たれ!

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年11月12日(日)21時23分31秒
  池田先生の名言ですね。全くこの通り!!
どう考えるか?どう行動するか?
「紳士たれ!」
私は、そのように言われた者の立ち振る舞いを厳しく指し示したと思います。この言葉を理会できない者はケダモノであると!
不文律ほど厳しいものはない、自らの責任を立ち振る舞いの中で、全員で監視される。
逆に、明文化して監正審査会とかわけの分からない機関まで作ってしまうと、そこで許されれば、何でもかんでもOK~!!の腐敗堕落した組織となるのです。

この展開は、The logic in the placeさんのレ・ミゼラブル展開で詳しく述べられていましたよ。文盲・無学の主人公を19年間牢獄に繋げる悪法です。何故か、SNS禁止とかネット見るな!の原田奴隷学会みたいですよね。
 

法律は、最低道徳!!

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年11月12日(日)20時15分38秒
  奴隷頭のような、臆病者で不信の塊のような者は、なんでもかんでも明文化して民を拘束したがりますよ。
法の番人にでもなったかのように錯覚しているんです。

実は自らが、その法の奴隷となり下僕となって終いには、自身を窮地に追いやる先が見えずにいるんです。
蜘蛛が自ら吐いた糸に身体を巻き付けて死ぬ様と同じです。末路は哀れですね・・・
 

滝山寮

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年11月12日(日)19時17分37秒
  滝山寮が出来た時、寮長が寮の規則を考えた
ドンドン規則が増え、数10条になった
先生にお届けしたら
先生は全てに×をされる、一言書かれた
「紳士たれ」

原田学会が作った会則、会憲は間逆ではないか?

朝鮮動乱の時、日本はアメリカが作った憲法のおかげで戦火に巻き込まれずに済んだ

今、反対に日本人の安倍さんが作る憲法のせいで、日本が戦争に巻き込まれる怖れがある

アメリカにとって日本の憲法9条は「目の上のタンコブ」
まさに「しまった」と思っていただろう
歴代の総理は、そこを上手く利用しながら
戦争を回避してきたのではないだろうか

安倍さんが「改憲」する事で利益を得るのは、
日本国民ではない
アメリカではないか?
世間では、こういう人を「売国奴」と呼ぶのでは、ないだろうか?

大量の武器を税金で買うと国民の批判を回避する為に、危機を煽る必要が出てくる
危機を煽っている間は、まだいいが
かつての盧溝橋事件のように
「自作自演」で事件を作り、戦争へと突入して行くような事が起きたならば大悲劇
そして、そんな時代を、公明党が与党の時代に作ってしまったとしたら?
また、原田学会に言われるままに、自民を応援した会員は、どう思うのか?

牧口先生、戸田先生、池田先生にあまりに申し訳ないと思わないか?


 

仏法の智慧と慈悲

 投稿者:  投稿日:2017年11月12日(日)17時49分37秒
  SaySaySay 様
dekahappy 様
レスありがとうございました。

dekahappy様のおとぎ話、示唆に富んでいて素晴らしいですね。

怖い獣たちに対して、武器を持って殺すよりも、松明を以て危険を避けるというのは
智慧ですね。そしてある意味、双方に対する慈悲にも通じます。

これは誰でも持っている負の生命である暴力性を、それを顕在化させないという兵法
又、獣の怖さを無明、松明の光を涅槃(仏界)とすれば、光でもって無明の闇を克服するということにおいて仏法に通じるものだと思います。

そしてあとはその慈悲と智慧の継承の問題ですね。
これは、この肝心のところをはずさなければ大丈夫だと思います。

公明党議員もほとんどが学会員であれば、仏法の智慧と慈悲を政治の分野に反映させてほしいと切に願います。

勝手な分析で失礼いたしました。
 

不思議な縁だ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月12日(日)17時47分47秒
  実は、話そうと思っていたものがあったのだけどね。
そろそろ話そうかと思いつつ機会を失っていたのだけど。

昔のテレビドラマ「スクールウォーズ」というのを覚えてますでしょうか。

『ここは学校じゃない、戦場だ!』
『愛とは相手を信じ、待ち、そして許してやることだ』
『ひとりはみんなのために みんなはひとりのために』

などなど、なかなか名言といえるセリフのあるドラマでしたね。
あの病気持ち役だった「イソップ」は思いがけぬほどふくよかな体格になりもうしたようで・・・ f^^;

そのドラマの元になった学校がどうやらなくなるようで、そのヤフーニュースです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171112-00051239-nksports-spo
最後の「伏見工」花園出場逃す、決勝宿敵に逆転負け (日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
から引用

▼▼▼▼▼▼
 泣き虫先生こと山口良治総監督(74)が、荒れた学校を率い、79年度に全国大会初出場。翌80年度に初の全国制覇を果たした。その快進撃はドラマ「スクール☆ウォーズ」として描かれ、当時の視聴率20%を超えた。会場には山口総監督、同校OBで元日本代表の大八木淳史氏らもかけつけた。
▲▲▲▲▲▲

▼▼▼▼▼▼
 昨年4月の学校統合により、伏見工の3年、京都工学院の1、2年が在籍。今季限りで「伏見工」の名はラストになる。
▲▲▲▲▲▲

さて、僕は「スクールウォーズ」のこのドラマはまるで学会員が作ったドラマのように感じていたりなんですよね。

『ひとりはみんなのために みんなはひとりのために』
池田先生のいう「ひとりの人を大切に」という精神と同じではないかと感じるわけです。

『愛とは相手を信じ、待ち、そして許してやることだ』
宗教ではないからこういう言い方だけど、ここでいう「愛」とは相手の仏性を信じ、待ち、そして許してやることだ、ということになるんじゃないでしょうか。

『ここは学校じゃない、戦場だ!』
・・・・今はほんと戦場と化してますf--;

なんでこのドラマを出したかというと、このドラマはラグビーを通しての人間革命という内容に感じてたりなんです。
ラグビーではなく日蓮仏法に置き換えたら、ちょうど以前の池田先生が陣頭指揮していた頃の学会の雰囲気なんですよね。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

ブッダの死後・天台の死後・大聖人以降の教団⇒歴史的事実

 投稿者:アルベア  投稿日:2017年11月12日(日)16時52分2秒
  ブッダの死後・天台の死後・大聖人以降の教団⇒歴史的事実

ブッダの死後・天台の死後・大聖人の死後の現象と同様な現象が創価に起きているのです。「思

考・概念」による循環現象です。

歴史的事実⇒イスラムのスンニ派・シーア派、キリスト教のプロテスタント・カトリック

(宗教改革後の16~17世紀、 ヨーロッパにおけるカトリックとプロテスタントとの対立抗争に

よって起こった国内的、国際的戦争の経緯があります。)

創価教学・日蓮教学の未熟性、創価の信仰形態の「永遠性」は、日蓮大聖人死後、ほとんどの御

書をいただいた弟子・檀那は20年しないうちに退転しています。この事実を検証しなければ「永

遠性」なんてありえません。

例えば、大聖人時代の信者は途絶えている現実は「永遠性」を否定する現象です。都市伝説的な

妄想ではなく、日蓮系統を自認するならば立証することが求められます。⇒立証はできない、ど

う説明するのか?

大白蓮華で学ぶ御書の対告衆のその後の記載がない事に違和感があります。

「体感・体験」無き者たちの古今東西の現象です。「思い込み」「信じ込み」「上書き」による

「支配と服従」が現象化しているのです。「神」「仏」の利用が聖職者にあると、その働き作用

は消失しています。それが歴史の事実です。

副会長クラスの退転者の検証も必要です。⇒どうせ何もしない、やろうともしない視野狭窄の妄

信集団ですから、

貴族会員とフリー会員の対立が現象化しています。「相対的現象・現実」の世界ですから

「智慧」無き、教団の巨大化は、救済ではなく民衆支配の権力作用がもたらされているだけなの

です。

「思考・概念」では「平成の法難」は「法難」で終わります。まずなによりも「法難」の最中で

あることすら、気づけないのです。

本日の聖教は見事な「貴族仏教の栄光宣言」でした。「思い込み」「信じ込み」「上書き」の宗

教の現実は古今東西の宗教と同じ現象なのです。

希薄化する創価精神「新世紀の歌」の息吹は消えています。

新世紀の歌
1.
ひらけゆく大空に 舞う若鷲(わかわし) 日本の柱 師のもとに
苦悩にあえぐ ともどちを 救わん 地涌の 誇りもて.
2.
荒海に躍る鯱(しゃち) 轟く大号令 七つの海を 征くところ
世界を結ぶ大偉業 進まん 今ぞ 意気高く.
3.
師子王(ししおう)の雄叫びは 大地ゆるがす 広宣流布(こうせんるふ)の大進軍
破邪顕正(はじゃけんせい)の剣もて  築かん われら 新世紀
築かんわれら新世紀.

東北青年部の有志が作詞 作曲した東北健児の歌。昭和36年11月に披露されたこの歌に池田先生が加筆され、「新世紀の歌」として全国で歌われるようになった。
 

会則の改定

 投稿者:謎の弟子X  投稿日:2017年11月12日(日)15時59分28秒
編集済
  11月11日土曜日の1面の右下の最後に「会長の諮問通りに、会則の改正を了承した」旨の記載がありました。

会憲の次は、会則の改定なのですね。

条文が公表されたら、必ず何が変更されたか条文解説をして、問題を明らかにしてまいります。
 

壊憲は、先生滅後のため

 投稿者:ケロンパ  投稿日:2017年11月12日(日)15時49分36秒
編集済
  最初から壊れているもの、だから壊憲

先生滅後のため、
失効部にとって、毒走、暴走を繰り返すには会憲なるものが不可欠なのでしょう。

何かがおかしいとずっと思っていた多くの会員に先生滅後、「先生の了承」なる免罪符が通じなくなるからです。

狂った失効部の方針に、いよいよ様々な異論(正論)の声が、各所から火山の噴火のように上がってくるでしょう。

その多種多様な正論の数々を、失効部が権威権力で押し潰すには、先生了承?なる会憲というマヤカシの印籠がどうしても必要なのです。

この印籠が目に入らぬかー!
三代の正当継承者は我ら本部失効部なーりー!
失効部が黒を白と言えば、白なのであーる!
従わない会員は師敵対であーる!

これで様々な異論、正論が噴出したとしても、思考停止した大多数の学会員は獄卒失効部に黙って付いて行くだけです。

これにどう対抗するかの方途は、ジョーカー様がご示唆くださっています。
 

会憲と「先生の了承」

 投稿者:ケロンパ  投稿日:2017年11月12日(日)15時36分8秒
  ジョーカー様が「先生の了承があっても、これはダメである。」とおっしゃっていますが、
私は、本当の意味で「先生の了承」はなかったと推察しています。
若しくは、誤魔化しの了承らしきものを、失効部が「先生の了承」と強引に押し切ったと考えています。

容易に推察できること。

まずは、
先生への正確な情報を遮断し、曖昧な状況のまま勝手に「先生の了承」と解釈し発表した。
(多数の報告事項に紛らわせ、総括的に御了承いただいた項目の一つに会憲を隠し入れた等含)

または、
先生の御健康が深刻な状態で、組織を委任されている会長の決定を「先生の了承」と解釈し発表してしまった。


もとより無数の創作メッセージ(先生が実際に目を通さなかったものも多いでしょう)や、
新人間革命すらも執筆グループが作成したもの。
それら全てを、池田大作の名を冠して発表している状況です。

そもそも現執行部が続けて来ていることは、すでに「御了承」以上のものです。

今さら先生に逐次お伺いなどたてなくとも、それこそ(託された?)会長がGOサインを出せば、
すべて「先生の了承」となったしまうロジックです。


それにしても、先生の御健康が心配です。
毎年、関西小の修学旅行生に会うことだけは欠かさなかった先生、
今年はそれすらお出来にならなかった。
 

貴重な話ありがとうございます

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年11月12日(日)15時22分44秒
編集済
  会憲の試案
メチャクチャですね

「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」

かつて、日蓮正宗が、法主絶対論を掲げた時
日興上人のこの遺戒置文を持って破折しました

その創価学会が
同じ過ちを犯しているとは!

この一点だけでも、原田会長は先生に違背しているのではないでしょうか?

宿坊を見ると、たくさんの気付きを得ます
その気付きは、原田学会の日顕宗化ばかり
日顕宗化した原田学会から離れる人は、たくさんいます
未活8割から9割という実態が、全てを物語っています


たくさんの気付きを得た皆さん
離れるばかりでは、事態を変える事も成仏することも出来ません

諸天善神は
「正直の(教の)頂きに宿る」と立正安国論に書かれています

現代の「正直の教」とは何か?
池田先生のご指導だと思います
それぞれが、先生のご指導に、誠実に挑戦していく事が大事だと思います

自分は
「どれだけ、仏法の為に、自ら足を運んだか
   どれだけ、人々の為に、仏法の哲理を語り、綴り残したか
   どれだけ、多くの指導者に、正義の法理を勇敢に打ち込んだか
どれだけ、多くの民衆を温かく励ましたか」
このご指導に挑戦しています

また、後輩に対しては
「一人一人が信心の喜びに満ち溢れ、地域や職場で信頼を勝ち得て、勝利者になっていくことです
その為の力となる運動でなければならない」
と思い、話しています

そして、組織にあっては
「悪い人間をのさばらせて、正直な人間が苦しむような世界であっては断じてならない
虚偽や不正の人間と戦い抜いてこそ、本当の同志の和合僧が出来るのだ
悪と戦えない、臆病な指導者であってはならない」
とのご指導を肝に銘じ
「ゲラゲラ笑いながら」花の輪を広げています

これが
自分の知恩、報恩の道です

諸天が味方する信心をして行きます!

「悪は多けれども、一善に勝つことなし」


 

ピロりん失脚後、復活か?!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年11月12日(日)14時59分25秒
  組織の最上層部の事情通によれば、ピロりん今回の敗戦の責任を負わされて失脚するのは既定路線だが、そこは本部の地獄の権力闘争を生き延びてきた不死鳥、みごとに復活するのではないかと早くも取り沙汰されている。ピロりんの後ろ盾である皆よく行く氏の動向が注目されています。  

SaySaySayさんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年11月12日(日)13時36分4秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/76430

僕なんかは最初の任用試験が受かってるだけだけどf^^;
それも「一夜漬け」だしほとんど忘れていますよf--;
ものを覚えるのはほんと苦手だし

教義を生活に活かす工夫は自分で失敗を重ねながら学び取っていくのが常道なのかなって


http://6027.teacup.com/situation/bbs/46477
幹部も組織も人間だから間違える   投稿者:信濃町の人びと

>当初から幹部の不正などを告発していたのは、あまりに盲目的になっている現状を打ち破る為です。

池田先生自ら以下のように語っています。

戸田先生だって1割しか上手くいかなかった。
私も、上手くいったのは3割くらいだよ。
後は全部失敗。
でも、野球なら3割はすごいじゃないか。
みんな、どう?

(本部幹部会で、この部分は確かカットされています)
このような趣旨を赤裸々に語るのが我らの師匠です<

池田先生がご自身で3割というのは謙遜してるなぁと感じたのが正直なところだけどf^^;
逆に、戸田先生は1割だった、と池田先生は見てたのも意外でしたけど

どういう1割や3割なのか考えたりしたんですが、先師を見て学んで自分で工夫した効果が働いているんじゃないのか、そう感じられるんですよね

戸田先生は御書に相当するものや牧口先生をみて工夫したのが功徳論のようですが、それは御書から知りえられた大聖人様の経験と牧口先生の経験を継承&さらなる工夫があって1割になったんじゃないかと感じるんです
なかんずく「獄中の御達」が大きいでしょう
牧口先生との違いはそこなんじゃないかと感じるんです
牧口先生ほどの人格者でも、いや人格者だからこそ獄死することになったように見えるのです

戸田先生の「1割」は、牧口先生が命をかけて戸田先生に見せた経験と、戸田先生ご自身の9割の失敗があったから1割の成功を導けたといえます

そして戸田先生は池田先生がさらに多く成功させられるよう訓練したことになるんじゃないでしょうか
戸田先生の失敗した部分、成功した部分、そしてなによりも戸田先生の人間性で「池田先生」という存在が誕生することができたんでしょうね

こうした流れをみていきますと、池田先生の時代で現代にまさしく蘇った日蓮仏法といえるのではないでしょうか
牧口先生や戸田先生の時代では整備されてなかったところが、池田先生の時代でかなり整備されたと感じられます

池田先生は会員が3割以上の成果の出しやすい環境を作っていっていたように見えるんです
そう判断できるのは僕自身の現在からですけど

こないだ6割という数字を出しましたが、僕自身の周囲の6割は「順縁」というのでしょうか、そういう感応をしてる態度なんですよ
3割はどちらでもないというか
敵でもないけど別に味方というわけでもない感じ
いうなれば無関心

「逆縁」というのか、ロコツに反発するのは1割ぐらいなんですよね
あちこち流転してきたけどどこでもだいたいそのぐらい

僕はこんな感じだけど
4人組がおかしなことをしていなければ活動家さんはもっと良好な感応になりやすいでしょうから、今頃は活動家6割どころかもっとかなり多くなっていたことでしょう

・・・・ それがなぜに活動家1割~2割なんて水準になってるかって、4人組が組織をそのように仕向けてきてるからと見るしかないんですよねf--;

活動家さんは概ね真面目な心境で取り組んでますよね
その活動家さんを4人組は幸福に導こうともしない

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

成り切り阿保戦法

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年11月12日(日)12時58分2秒
  東京地検特捜部が、森友問題の佐川国税庁長官らに対する告発状を、受理した。証拠隠滅の罪だ。

告発したのは、醍醐聡 東大名誉教授らで作る市民団体。さすが東大の先生だ。
テレビでは、名前も聞いた事のない大学の、アベ寄り三流学者達ばかり見せられていたので、すごく新鮮に感じた。

昔、天皇のすぐ横の席に、総理大臣ではなく東大総長が座っている写真を見た記憶があるのだが、その序列は正しいと思う。道理や正義や普遍的真理を無視する総理大臣が居座る時代は、特にそうだ。

大崩壊を起こしているこの国の秩序体系を、これをきっかけに正常化して行く鏑矢だ。仏法的に言えば普賢菩薩の働きそのものに思える。

東京地検特捜部にも是非頑張ってもらいたい。
ドラマHEROの久利生検事の様な、国民的ヒーローになれるチャンスかも知れない。(笑)

圧倒的多数の国民が東京地検を熱烈に支持している。不正を恥じない厚顔な権力者に負けず、秋霜烈日のバッジの精神を貫き通してもらいたい。

毘沙門天の様な形相で、厳しく悪を追及してもらいたい。

怒るべき時に怒れない者は本物ではないと、池田先生もよく言われていた。正義の怒りが必要だ。


国会中継というものは大体平日の昼間。忙しい現役世代にとってなかなか観れるものではない。
私もまともに観たのは、安保法案の時が初めてだったぐらいだ。

実際に観て感じるのは、政府の徹底的な阿保戦法だ。
野党の攻撃に対し、徹底的な阿保になり切る戦法。

政府側の答弁が、99%の確率で嘘だという事は、観ているほぼ全員が気付く。
それどころか答弁している本人も、たぶんバレているだろうなと自覚しているのだが、それでも絶対に非を認めない。

野党が証拠書類の提示を求めても、黒塗りだらけだったり、もう捨てましたと答えたりで、まったく話にならないのだ。

モリカケ問題の結論がいつまで経っても出ないのは、政府がいつまで経っても証拠を隠し続けて出さないからに過ぎない。
出せば一瞬で終わる。

結論が出ないのでこれ以上の議論は無駄だという、政府の言い分に乗せられてはいけない。

驚異的な程の、嘘をつき続ける能力だけは確かに凄いが、嘘は嘘だ。
いくら時間が経とうが、重大な疑義は全然解消されず、今もそっくりそのまま残り続けている。



 

ピロりん失脚か?

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年11月12日(日)12時35分58秒
  奢れる平家は久しからず。ピロりん失脚は、官僚化した現信濃町執行部の終わりの始まり。と云う巷の噂でございます。  

たいまつ

 投稿者:dekahappy  投稿日:2017年11月12日(日)12時25分28秒
  ジョーカー様
時様
ご投稿賛同致します。

慈悲の灯。大切にしたいです。

以前、息子におとぎ話をつくり話しをしました。
次の世代が何かを感じる一助になればと思い。


長男に正解のない宿題をつくりました。
答えは、自分で選択し決断することですから、成長によって選択が変わってもかまわないと思いつつ。


(村人と松明のお話し)

むかしむかし
電気もない時代のお話しです。

夜になると、こわい獣たちが出てきます。

獣のたちが怖く、人々は夜は外に出ることができませんでした。

人々のことを想うある人が、大きな松明をつくり夜を明るく照らすようにしました。

獣たちは火を恐れてでてきません。
みんな夜に外に出ることができるようになり、村にも獣たちは近寄れず、とてもとても喜びました。

毎日毎日、松明に手を尽くし、何十年も照らし続けました。

村人たちは、とても感謝しその人のことを手伝う人もいました。

その松明の光は、周りの村も照らしておりましたので、自分の村以外の人からも、感謝されていました。

しかし、何十年もたち、大きな松明をつくった人は、死んでしまいました。

村人たちは、とてもとても悲しみました。
また、夜になると獣たちにおびえてしまうようになるのかと、思いました。

しかし、大きな松明をつくった人は、自分が死んだあと、自分以上に、自分の村や、もっと遠くの周りの村を照らすことのできる松明を作れる人を育てていました。

新しい人は、死んでしまった人との、約束を守り、大きな大きな松明をつくりました。

新しい人は、教えてもらった前の人から、松明のことだけでなく、村人のことも教えてもらっていました。

手伝だってくれる人が出てくること。
みんなから感謝されることをねたんでいじめる人が出てくること。
村人が夜明るくなっていることがあたりまえと思っている人が出てくること。

と教えてもらっていました。

ともあれ、
また、しあわせな時代がきました。

新しく大きな松明をつくった人は、火が消えないように毎日毎日、頑張り続けながら、考えました。

自分が、光をおくり出すことが出来なくなったことを考え、松明の作り方、手のいれ方を、村人に教えました。

村人たちは、松明の修理や手伝いは、喜んでしましたが、自分が一からこんなに大きな松明つくること、守ることは、自分には出来ないと思っていました。

自分の村だけでなく、遠くの村まで照らす大きな松明ですから、無理もありません。

松明をつくる人がいるから安心していたのでしょう。

また、何十年もたちました。

何十年も何十年も頑張り、
松明をつくる人は、年をとり病気になってしまいました。

松明はだんだん火が小さくなってきました。

このあと、村人たちはどうしたでしょうか?

また、自分が村びとのひとりだったらどうしますか?

おしまい。


ちなみに、息子の答えは、大きな焚き火をつくるとのことでした(笑)
私の答えは、パパは大きなたいまつはつくれないけど、小さなたいまつを仲間とたくさんつくる。
遠くからみれば、明るさは、大きなたいまつとかわらないからとしました。
 

今週のことば

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年11月12日(日)11時47分23秒
  「法華の題目は
獅子の吼ゆるが如く」
たゆまぬ勤行・唱題で
大生命力を出せ!
栄光は基本の持続から。
 

弟子の責任

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2017年11月12日(日)11時29分12秒
  創価学会会憲の内容は、組織主義の権化の様相を呈している。54年の生命の成れの果てといったところだろうか。信濃町が世界本部と位置付けられ、日本の会長がすべての主導権を握る形となっている。世界広布の重要事項や会憲改正は、会長だけが諮問することができ、会長が任命した人間が議決する。会長の会長による会長のための創価学会となっており、これを茶番という。

第六天の魔王の付け入る隙だらけの会憲になっている。先生の了承があっても、これはダメである。例え先生が良いといっても、「弟子の責任」としておかしいと反対する。この関係こそが師弟不二であると思う。師弟とは一方的な関係ではない。弟子は師と対等となり、凌駕してこそ師弟不二である。師の判断のみに頼り、思考しなくなったら弟子失格である。

11月18日から、創価学会は、「会長独裁学会」となる。会長が狂ったら終わりという、極めて危険な状況となる。こんなことがまかり通り、不思議と思わないのが、組織主義の54年の生命である。弟子の責任として、おかしいものはおかしいと指摘することが、正しい道であると信じる。人を賢くするのが仏法である。師に依存し、自ら思考することなく生きることは、愚かである。

弟子の時代とは、弟子が責任を取るということ。魔王の跳梁を許す会憲を、弟子が定めた。であるならば、弟子自らがそれを覆し、真の創価学会を構築することが使命となる。そのためには、組織主義の中において、人間主義の闘争を貫き通すしかなく、英知を磨いた人間にしか、その道を歩むことはできない。

日蓮大聖人の精神を受け継いだのは五老僧(最高幹部)ではなく、熱原の民衆であった。指導する側が必ずしも精神を継いでいるとは限らない。そして、創価学会はどこまでいっても民衆仏法である。役職や権威など関係ない。信心あるものが偉く、敬う存在である。会長が狂わないことが前提という傲慢な会憲のなかに、仏法の精神が躍動することはない。

54年の生命を具現化した、組織主義の会長独裁学会が姿を現した。毒が出なければ薬に転じることはできない故に、必然のことと言えよう。組織主義には人間主義で対抗する。組織主義にのまれ、思考を停止させたら魔王の思うツボである。弟子の責任を自問し、何ができるかを考え行動する。そうでなければたちまち仏法は死滅してしまう。

ホイットマン
「あなたが学校や教会でいわれたこと
 書籍に書いてあることを真に受ける必要はない
 あなたの魂が拒否することは採用しなくていい」

師から学んだことを自分のものにし、自らの魂に生きる。それこそが池田門下である。

 

およしになってねTEACHER

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月12日(日)10時48分3秒
  時さま
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76428
まさしく、それこそ最も恐れていたことです。令法久住ができなくなるのじゃないかと。「名ばかり教師」の方がいいですね。
まったく……♪『およしになってねTEACHER』
https://www.youtube.com/watch?v=2Ru4D0ZTvJA
 

ネバーエンディング・ストーリー

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月12日(日)10時32分12秒
  シャクソンファイブさん、いつもありがとうございます。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76403
>☆原田宗会最高議長(?)による日蓮世界宗立ち上げ断念宗会.
総括会議。四人組さま念願の、既に登録済みの新宗教名発表並びに新役職、新会則、新罰則、独断発表、覚悟独走の夢が、元3人の職員らの愚行、カマタら破門会員らのデモ、宮川日護ブログ、宿坊の掲示板ブログ、などなどなど、奴らのバカ騒ぎのタメに! 断念することに、なりました!らしい。<
皆さんの闘いは無駄じゃなかった! 良かったですね。暴挙をひとまず止めた。カマタさん、凄いですね。素晴らしい。尊敬します。

>これは、試案であり正式な書面ではない。この走り書きメモが、どういう経緯で私の手許にあるか、
――彼の資料の後文に、”師匠池田先生の、民衆救済の「 和楽のサンガ 」たる創価学会が、原田会長、秋谷元会長、谷川さん、八尋弁護士によって、破壊されゆく事、忍び難きゆえ ・・・” と、綴られている。又、”私の事は、心配いりません。公にして下さって構いません。私か、誰かの仕業である事は、やがて判明して処分を受ける事になるでしょうが、生命まで奪われる事はないでしょうから ” とも<
>そして、最後には、”あの3人のように、僕も早くから、先生の側に立って戦いたかった ”
と、記して下さっている。<
嬉しいですね。まだこんな人が生き残っている! 希望はあったのだ!

小説『新・人間革命 第30巻』。5章目「勝ち鬨」は最終章じゃない!
ということは第30巻は6章だてになる? これで第30巻はかなり分厚くなりそうですね。この小説はほぼ1巻あたり1.5年のエピソードが描かれていましたが、あの『嵐の4・24』以降をダイジェストのように駆け抜けて来たのは何のためだったのでしょうね。「勝ち鬨」以降は31巻ということにした方がいいでしょう。
ということは、やはり「暁鐘」は7・18新怪鳥誕生で結ぶのでしょうね。劇的に!? では、この「暁鐘」「勝ち鬨」はその新怪鳥のことをいっているのでしょうか?
いずれにしろ、まだまだ続きそうです。では、どこで完結するのか? 新怪鳥=提婆達多であったことが判明したところでしょうか? ミステリー小説みたいになってきましたね。法悟空のゴーストライター(責任重大)は東野圭吾? 宮部みゆき? 湊かなえ? アガサ・クリスティー? 死体が転がるのか? 『このミステイクがすごい!2018』!

“信じて、私は行間のどこにでもいるのよ 頁に書かれていること”
“それが終わりなき物語への答えなのよ”
『ネバーエンディング・ストーリー』リマール
https://www.youtube.com/watch?v=zeRoEBvBL4Y
 

教師・准教師

 投稿者:  投稿日:2017年11月12日(日)09時56分20秒
  教師・准教師が任命された。

これは逆に言えば、教師・准教師しか会員に教義を教える、そして会の教学を伝授する資格はないことになる。
学会は伝統的に教学に造詣が深い個人においても、自由闊達に任意で若い人や新会員に教学を教えてきた歴史がある。
心ある会員は今でもやっているだろう。

これからは、そういう事はできなくなるだろう。
それでも強硬に貫こうとするなら除名は間違いない。
学会組織の変化への前進を阻む事になる過去の教義?を教えられたら困るからだ。

100歩譲って、もしこの新学会教学が正しければ少しは救いようもあるが、今までの経緯を見ていると、つぎはぎだらけの理に適わない教義に思える。
しかも、どこが従来の教学と違うかなど、会員に対して真摯に丁寧に理解を求める態度など皆無である。
あわよくば、会員には何も知らさないで、時の経過で過去の教義をフェイドアウトさせようとしている意図は見え見えである。

問題はこのことによって起こってくる、因果の理法の成り行きである。
元々、現執行部のメンバーは因果の理法なんて信じてもいないだろうから、教義をどう変えようが何とも思ってないだろうが
大聖人の仏法ではこの事は最も大事なことなのである。

多くの人が御存じの様に、大聖人は全ての不幸は元をただせば正しい生命の法理に対する謗法の心、又はそれを見ていながら何もしないことによる間接的な謗法への加担からくるものだとの教えである。
私達にとっても、現在自分のしていることを深く考えてみれば自分の生命の傾向性がよくわかり、そういう行為を過去世にもしていたかもしれない可能性は大いにあるのである。

世の全ての不幸に、正しい道筋を与えたい、、とする大聖人の大いなる慈悲の灯を消してはいけない。
 

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年11月12日(日)09時46分58秒
  シャクソンファイブさん、いつもありがとうございます。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/76403
生涯&広布一筋兄弟さんに同感です。>1~2割とかはあっても驚きませんが8割とは<
「374919」「4号5号」「5口」に続く「8割」? ラッキーナンバー?

いずれ、
>2. 今までの 日本の学会本部からの援助を中止する。
各国の経済状況を考慮しつつも、日本の財務方式を取り入れ、独立採算を目指す。<
のなら、最初から援助なんか受けない選択もあるのでは? 日本もゼロからでした。
いよいよ戸田理事長が諸外国に生まれる時が来たということではないでしょうか。そして諸外国にはシンイチ・ヤマモトが生まれる!!!
そして……諸外国にも『嵐の4・24』が訪れるかも知れないが、その時は間違わないように。ジャパン兄さんはバカだった。
あの時、山本信一を裏切って広布は破壊され、立正安国は崩れて行った。「前車の覆るは後車の戒め」です。
日本会議みたいな日本学会と直結ではなく、大聖人・池田先生直結となる好機かも知れません。

けっきょく金かぁ。金の切れ目が縁の切れ目? 援助というが、奴らが言うと援助交際のように聞こえてしまう。世界と援助交際? 日本人のメンタリティならまだしも、これを本当に諸外国人が受け入れるかなぁ。海外SGI理事長と言っても実際には日本人ばかりなのでしょうか?

“それより今すぐ金くれよ それこそが俺の欲しいモノ それこそが俺の欲しいモノだぜ”
“お前は俺にゾクゾクする様な愛をくれる だが その愛じゃ請求書の支払いは出来ないぜ”
“今 俺に金をくれよ 俺が欲しいのはそれなんだからさ”
“俺が欲しいのはまさにそれだ 俺が欲しいのは金だけさ”
『マネー』ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=Ilnz6hyk3oU

“マネー・マネー・マネー きっと面白いでしょうね 金持ち男の世界”
“マネー・マネー・マネー いつだってお天気な 金持ち男の世界”
“何だってできるでしょうね 金持ち男の世界に行きたい”
『マネー・マネー・マネー』アバ
https://www.youtube.com/watch?v=ETxmCCsMoD0

“他のヤツなんか知らねぇよ。俺の金に手を出すんじゃねぇ。”
“金…こいつがイチバンだ。”
“さも食いつきそうな安物なんてよこすなよ。俺は忠実な連中に囲まれた特等席の客なんだから。”
『マネー』ピンク・フロイド
https://www.youtube.com/watch?v=-0kcet4aPpQ

“お金はすべてを変える お金はすべてを変えるのよ”
“私たちは自分たちに限ってそんなことは無いと思っているけど 他人の利益のために自分を犠牲にして動く人はいないわ”
“今や そうやって思っていたことはすべて過去の話になるのよ”
“お金はすべてを変えてしまうわ”
『マネー・チェンジズ・エヴリシング』シンディ・ローパー
https://www.youtube.com/watch?v=m1wj3tqRI6Y

“よく聞けよ,そんなの「仕事」なんかじゃないぞ,お前のやってることなんて”
“苦労もせずに金が入って,タダで女もよりどりみどり”
“苦労もせずに金が入って,タダで女もよりどりみどり 濡れ手に粟でやり放題”
“苦労もせずに金が入って,タダで女もよりどりみどり 濡れ手に粟でやり放題”
“苦労もせずに金が入って,タダで女もよりどりみどり 濡れ手に粟でやり放題”
『マネー・フォー・ナッシング』ダイアー・ストレイツ
https://www.youtube.com/watch?v=wTP2RUD_cL0

“どうでもいいんだよ 金のことなんか そのために働いてるわけじゃない”
“この仕事をしてるのは音楽を生み出して 幸せを感じたい それだけのためなんだ”
“だからって誤解するなよ この仕事は続けたいんだ”
“そのためにやらなきゃならないことだってちゃんと自分でわかってる バカじゃないんだから”
“だから協力してくれよ ちゃんと上手くいくように”
“なにしろこの俺は操り人形じゃないんだから そっちの言いなりにゃならないぞ”
『マネー・オン・マイ・マインド』サム・スミス
https://www.youtube.com/watch?v=K0G9T5Bnjlc
 

わたしの正体は,,,

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年11月12日(日)08時55分7秒
  原田奴隷学会さんとは別だよーん(笑)。本部では、わたしの正体は判明しているらしいよーん。  

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、世界広布新時代第28回本部幹部会・SGI総会の開催、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年11月12日(日)08時44分21秒
  おはようございます。原田怪鳥様、創立87周年「11・18」を祝賀する、第28回本部幹部会・SGI総会の開催、誠におめでとうございま~す(笑)

また、来年のテーマが「世界広布新時代栄光の年」となりましたそうで、誠におめでとうございま~す(笑)

それと、「珍・人間革命」の30巻の第5章が「勝ち鬨」となり、来月から開始されるとのコト、誠におめでとうございま~す(笑)


でもねぇ~、原田怪鳥様、せっかくの新役職「教師・准教師」の任命披露はされなかったんデスかぁ~(笑)

新教師・新准教師の方々にとっては、新役職となっての初舞台なワケデスからぁ~、一人一人御紹介いただいて、

「教師・准教師」の持つ意義の説明をされるべきではなかったのでしょうかぁ~(笑)

新任抱負の一つくらいあっても、バチは当たりませんよぉ~(笑)

それとも、「決まったコトには、黙って、文句言わずに随ってりゃイイんだよっ!」ってトコロデスかぁ~(笑)


また、原田怪鳥様の甚深の御指導もあったみたいデスが、紙面には紹介されていませんでしたが、財務のおハナシはされましたかぁ~(笑)

なにせ、「功徳は絶大デスッ!」な、ワケデスからぁ~、本幹放映を心して聞いてみたいと思ってまぁ~す(爆)

それと、原田怪鳥様、一言御忠告させていただきマスが、「御供養の精神」にこそ、「功徳が絶大」なのであって、

「財務」に「功徳が絶大」なのではありましぇ~ん(大爆)

「御供養の精神」と「財務(カネ)」をスリ替えて、カネ集めに走るようであれば、どこぞの新興宗教とナニも変わりませんよぉ~(爆)


さらに、「珍・人間革命」新章デスが、まさかの31巻か? 短い章で、お茶を濁した結論で終わるのか? 新たな連載開始となるのか?

執筆チームの皆さんも、アタマが痛いコトでしょうねぇ~(笑)

第5章としてならば、他章が六十五~六十八デスから、短めでなければ製本上困ったコトになりマスし、

長くなれば、一冊に収めきれないモノとなりまぁ~す(笑)

ハナシも、反転攻勢になるみたいデスが、師匠を辞任に追い込んだ当時の最高幹部の有様はカットして、

山本伸一の行動を、羅列するだけでは、とても「正史」と呼べるモノではないデスよぉ~(爆)

ともあれ、ようやく海外訪問のハナシから、日本へと展開していくわけデスので、山本伸一でなければ描けない描写を期待しないで待ってまぁ~す(爆)



 

同感です。

 投稿者:コンペー  投稿日:2017年11月12日(日)08時30分54秒
  匿名希望様に全く同感です。ほぼ、継続決定ですね。
新人間革命30巻の次章は勝ち鬨の章。先生のメッセージには、最終章とはないですし。
先生も新人間革命のまえがきに「30巻を予定」としています。しかし、それは「限りある命との闘争」と。先生の思いとしては、執筆途中で倒れることもあるかも知れないとお考えになり予定としたのでは。ご構想としては、30巻で昭和54年4月24日の会長辞任の真実を満天下に明らかにして、後世の誡めとしたかったのでは…そして、どんな事があっても師匠を守れ!と教えたかったと。30巻の大山の章は、随筆 新人間革命 「嵐の4.24」とは、あまりに違いすぎますし。

いつ、どう発表するか?
逆に、楽しみです。笑
 

二十一世紀への対話 173

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年11月12日(日)08時22分5秒
  2 欲望の超克

【池田】 人間には種々の欲望があります。生物として種を維持するための本能的欲望から、名誉欲、権力欲、さらには知識欲や美への欲望などもあります。人間的な愛や慈悲もまた、大きな意味で、人間生命に内在する欲望です。
ところで、現代文明は、種々の欲望のなかでも、とくに本能的欲望や権力欲・所有欲等を人間生命のなかから無制限に引き出し、増殖しようとしているようにみえます。しかも、その欲望の放縦が人間同士の対立抗争を生み出し、生命と自然の破壊に向かわせているのが、現代の一断面であるように思えます。

【トインビー】 私も、欲望――とくに貪欲性――が現代社会で示している働きについては、これまでも何度か述べてきましたように、きわめて深い関心を払っています。

【池田】 博士は常に「権力は自己中心性の産物である」と主張しておられますが、私もこれに同感です。また、その自己中心性を克服するものとして宗教的愛をあげておられますが、私も、宗教こそエゴイズムを乗り越えるための最も本源的なものであり、普遍的な方途を見いだそうとするものであると思います。しかし、われわれが宗教的愛によってエゴイズムを克服することができるとすれば、それはどのようなメカニズムー――人間心理のメカニズム――によってなされるのか、ということが問題になると思います。
人間には、さきにあげましたように、種々の欲望がありますが、私は、それらの欲望を、人間的生を創造する方向に生き生きと発動させるものとして、“本源的欲望”とでも名づけることのできる、生命内奥の衝動的エネルギーがあると考えます。この、私のいう“本源的欲望”とは、宇宙生命との合一を求める欲望であり、宇宙の底流から生へのエネルギーを汲み出してくるものです。つまり、“本源的欲望”とは、人間生命全体の感情――生命感情――に生の脈動を伝え、その高揚をもたらすものです。人間生命の起こす種々の欲望は、この“本源的欲望”と連係を保ちながら新たな創造性を強めていく、というように考えています。

【トインビー】 欲望とは、生命を生み出し、支える精神的エネルギーの別名であるという御意見には、私も同感です。一生物種中の一個体に生を与え、その生を持続せしめ、またそうした個体間の生殖によって種そのものを存続せしめる推進力としてのこの欲望は、そのエネルギーの精神的側面において、宇宙エネルギーと同一のものです。いいかえれば、欲望とは“究極の実在”と同一のもの、あるいは少なくともその一側面と同じものです。

【池田】 しかしその反面、人間生命の内奥には、本来、生命を維持するためにある種々の欲望を暴走させ、他の人間や自然の征服と破壊の方向に発現するよう突き動かす力も渦巻いているようです。ニーチェやアドラーのいう“権力への意志”や、マルクーゼ、フロイト等が指摘した死への本能的衝動も、このような生命内奥の働きに迫ろうとする思考から見いだされたものであると考えられます。
私は、種々の欲望を自己中心的な欲望に変形させ、突き動かすような、生命に潜む力を“魔性の欲望”と名づけたいと思います。

【トインビー】 生物の各個体が宇宙との同一性をもっているとはいっても、そのことは、これら各生物が同時に宇宙からの分離性をももっていることと、相反するものではありません。この分離性は、分離した生物のなかに、たんに互いに異なるだけでなく、実際に正反対な二つの反応のうち、いずれか一つを起こさせます。
そうした反応の一つが、宇宙全体との調和を求める“愛に向かう欲望”であり、もう一つの反応が、宇宙を従属させ、利用しようとする“魔性の欲望”です。“愛に向かう欲望”は自己否定を要求し、ある場合には自己犠牲を要求することもあります。愛とは、自己を他の生物や宇宙の万物のために捧げようとする衝動なのです。

【池田】 “魔性の欲望”とは、人間が他の人間を支配しようとしたり、人間が自然の支配者として君臨しようとするのは、すべて“魔性の欲望”に魅入られた各種の欲望のなせるわざであると考えられます。“魔性の欲望”は、“本源的欲望”と各種の欲望との連係を分断し、それらの欲望を自己の支配下におこうとするものといえます。
 

捨て去った後に残った自身の本地!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月12日(日)07時45分14秒
   いままで積み上げてきたものを捨て去り、捨て去って、捨て去って、捨て去って、その上に、というか、その下に出てくるものが“自身”なのかも知れません。それまでに、学んで、学んで、学びあげた基本や鍛錬の繰り返しがありながら、その下のほんの少しの“地”がのぞき出ることが本地、無作三身というのかも知れません。ある種の開き直りのような、あるいは「形振り構わず」というか、その鍛錬の上の鍛錬で造られたものを捨て去るような形で出てくるもののようです。

 「本地」というのは“自身”のものです。一方の基本や鍛錬は身につけるものです。「声」なら前に出すものです。「文」なら書き出すものです。その基本や鍛錬の上に乗せて“自身”の“地”を出すことが“無作”の“三身”だと言えるでしょうか。“地”であって、“地”ではない。基本や鍛錬だけかというと、そうでもない。理屈ではない。基本や鍛錬の上に出てくるものです。「くそっ」と奮発して出てくるものです。

 このことを“無作の三身”と仰せなのでしょう。

 「無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり、六即の配立の時は此の品の如来は理即の凡夫なり 頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり 聞き奉りて修行するは観行即なり 此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、さて惑障を伏するを相似即と云うなり 化他に出づるを分真即と云うなり 無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり、惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず 唯凡夫の当体本有の儘を此の品の極理と心得可きなり、無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり」(御義口伝752㌻)

 「今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり 所謂信の一字なり、仍つて経に云く『我等当信受仏語』と 信受の二字に意を留む可きなり」(御義口伝753㌻)

 「森羅万法を自受用身の自体顕照と談ずる故に 迹門にして不変真如の理円を明かす処を改めずして己が当体無作三身と沙汰するが本門事円三千の意なり、是れ即ち桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば是れ即ち量の義なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無作三身の本主なり」(御義口伝784㌻)

 「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり 所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御義口伝790㌻)

 「本門」の「無作の三身」の方が出ておられる間はまだよかった。「迹門」の「垂迹」もまだ活きた。「垂迹」というのは“仮想”のものです。“伽藍”や“組織”もそうです。いくら“伽藍”の“城”を“栄”させようとも、それだけは“永遠”は不可能だということがはっきりしてきました。「ひとは石垣 人は城」です。「人が要(かなめ)」なのです。それで初めて「人法一箇」です。“伽藍”や“組織”だけでは「無理」があるのです。「億劫の辛労」に思いを馳せるべきです。


 

(無題)

 投稿者:末端信者  投稿日:2017年11月12日(日)07時22分29秒
  学会の役職は、何だったんでしょう?

全国婦人部長、女子部長経験者たち、
あれ程、先生に大事にされ、護られていたのに、

後世の人達から不知恩の誹りは、免れないと思います。

天魔原田と腐敗堕落の執行部、方面幹部、それに諂う畜生根性の幹部達、
自身の保身の為に、学会員さん達を騙し、蹂躙し、広宣流布を破壊する報いは、仏法に照らして厳罰必定。

池田先生が指導されています。

「増上慢が仏法を破壊する。人間を軽賤し、名利を貪り、権力の魔性と結託して正義の人を迫害する。これほどの悪はない。不惜身命で増上慢と戦い、勝ってこそ、仏となることができる。悪人たちは、すぐに野心で手を握る。だからこそ、善が勝つために正義の連帯を広げていくのだ」

                (2010年3月 第38回本幹)

世界の学会組織がガタガタみたいですが、
その中に、この掲示板に投稿する多くの人々の様に、池田先生の指導を守っている人々が、多々居ると思います。

先生の言われる、真の連帯を築き、真の学会組織への改革に頑張ります。
 

新人間革命

 投稿者:匿名希望  投稿日:2017年11月12日(日)06時24分27秒
  新人間革命は、第5章「勝ち鬨」に来月から入るとのこと。先生が昨日の本幹で発表されました。

メッセージ紹介は、谷川主任副会長。。。

個人的には、31巻も有り得るかも?  と思ってます。
 

「楽しい」というのは意味の世界!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年11月12日(日)06時17分9秒
   人生は「楽しい」としたら楽しい。「つまらない」としたらつまらない。結局、「一念」が「決める」ものです。「決める」とはそのまま、「信じる」ことです。「決める」ことと「信じる」ことは同じものです。その「一念」に“希望”を注ぎ込んでいくのが「信仰」だという言い方もできます。その意味で、「信仰」は無限の“希望”の源泉です。

 「一念」は、凝縮された“一瞬”の拡大です。「生と死」の二法です。「開と合」の二法です。「師弟」も、「使命」もこの中にあるといえるのでしょう。「恋愛」も同じです。「著(じゃく)」から出発する見てよさそうです。自身の中の「因」(五陰)が「縁」に反応し、たちまちに「著(じゃく)」となります。その「著(じゃく)」が“一瞬”に集約し、「一念」として花開くということなのでしょう。

 「著(じゃく)」は、「一念三千」の「三千」でもあるわけです。どういう「三千」があるかです。「一念」即「三千」の原理から、「一念」と「三千」は同列のものです。「一念」はまた「妙法蓮華経」でもあり、「法性」でもあります。その変化相が「三千」です。異なる「五陰」、異なる「衆生世間」、異なる「国土世間」から生じてきている「三千」がまったく同じものになるということはありません。しかも、その「三千」も刻々と変化するというのが生命の実相です。「三千」を同じものにするということはあり得ませんし、それは「桜梅桃梨」の否定ですから「法華経」の否定です。

 だから、「切る」という行為は、慎重であるべきです。草木の“剪定”作業でもそうです。「次から次へ切る」ということになってしまいます。「一念」がそうさせてしまいます。これも余分、これも無駄、これも邪魔と、一念がカット、カットとなります。やがて“丸坊主”になってしまいかねません。そばにいる人が助言してあげないと、とんでもない事態に巻き込まれます。いや、そばにいる人が、そうさせるということもあります。

 「空(そら)」は、無限に「心」を開いてくれます。「空(そら)」は、「心」と同じものです。否、「心」を「空(そら)」と同じものとすることができます。東天に向かっての「唱題」というのは、それと同じことなのでしょう。「無限に開く」と決めれば、無限に開いていきます。「一念」がそうさせます。

 「理想」に虚飾はいい、だが、どこまでも“自分”が基盤であるべきです。「十界本有」がいいということです。「理想」は、突出した虚像ではなく、平易の自然の中に求めるべきなのです。夢見る空想や、理想があるからこそ、楽しめます。安楽もあります。智慧の菩提も浮かびます。してみると、どれだけ楽しい、しかも有益な理想を取り込んだのかということになります。「智慧」のなせる技(わざ)です。「智慧」が一切を決めていきます。

 どんな「夢」を見ようと、どんな「物語」を編み出そうと、「仏」の所説に乗る限り、それは自由自在です。だから、どの所説に則ったのか、どのようにそれを自由展開したのかだけは、人に明らかにした方がいいということです。独自のものにせよ、借りるものにせよ、編み出した「言葉」や「文章」を明らかにしなければ、その「意」が伝わらないということです。正しいのか、間違いなのかもわかりません。そして何よりも、人が見て「楽しい」とするには、それが「仏」と同じ“慈愛”に充ちているかどうかだと言えます。

 人は、「楽しい」と感じるから、そこに居ます。「楽しい」ことが居場所があることです。もうひとつは、「意思」があるからです。「楽しい」と感じなくても、「意思」ある人にはそこに居なければならない必然があるから居ます。

 「認識」という“概念”の組み立てというのは、どうしても自身の経験識、つまり「三千」を使ってしまうようです。「脳と仏教」を語ると言っても、すれ違いが多い。「科学と仏教」ということでもおそらく同じなのでしょう。人はどうしても、自分の概念を使って他者の言葉を受けとめてしまうようです。“自分の概念”とは、「一念三千」にほかなりません。二つの対話を進めるには、「一人」が両方の概念を認識するようにして組み立てるよりないようです。「概念」というのは、意味の世界だからです。

 「徳」は、「五陰」の中にある、否、「五陰」そのものが「徳」の実像です。と同時に、「衆生世間」そのものが、「国土世間」そのものがその実像です。衆生、国土の“環境”は、「五陰」の中にある“智慧”の反映です。「そのように」しか見えない現実があります。「餓鬼は恒河を火と見る・人は水と見・天人は甘露と見る、水は一なれども果報にしたがつて見るところ各別なり」(法蓮抄1050㌻)です。「此の心の一法より国土世間も出来する事なり」(三世諸仏総勘文教相廃立563㌻)です。「人生は楽しい」と見る「一念」が「一念三千」を「楽しい」世界に彩(いろど)っていきます。


 

災害と凶作の歴史から

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年11月12日(日)03時43分56秒
  私は今、江戸時代から大正時代までの、利根川近辺の資料を集めている。



徳川家康は、江戸開府後、利根川の東移という世界的一大土木事業を進め、文禄3年

(1594)から60年の歳月を費やし、銚子に河口を開く巨大な利根川の本流を作った。

しかし、利根川の開さくとともに、洪水が頻発するようになった。

享和2年(1802)から文久2年(1862)の60年間で17回の洪水に見舞われている。

この洪水災害は明治になっても続いた。



最近でも、利根川の支流である鬼怒川決壊、2年前の常総市の大水害が起きている。

そう、太田国交デージンが、自分の本陣をおろそかにして、政治資金パーティのほうを

デージにした(※大水害で一人の地区部長さんが亡くなるというその時に)忌々しいあれだ。



また、江戸時代のこのころは、洪水に輪をかけて大干ばつなどの凶作被害が起きた。

明和7年(1770)~天保10年(1839)に至る70年間の豊凶をみると、

豊作・良作の年は合計8年。 不作の年が実に41年に及ぶ。

人々は、枚挙にいとまがない災害の年を乗り越え、幾多の死者を出しながら生き抜いてきたが、

天保に至り、これでもかというほどの試練に見舞われた。天保の大飢饉である。



当時の、筆を持たない農民の苦しみを今に伝えるものは、実はきわめて少ない。

わずかに、天明の飢饉についての資料が残っており、当時の農民の窮状が推し量れる。

それによると、2月ごろの食料は底をつき、タンポポやオオバコなど、あらゆる草根を探して食

べた模様である。


餓死者が道に充つる状況が起きた。

それは「60歳」以上と「3歳」未満の老幼者がほとんどだった。



さて、江戸時代の飢饉といっても、わずか200年たらずの昔である。

日本がこのように栄え、食料豊富な時代となったのは最近のことだ。

世界に目を転じれば、江戸時代の飢饉の状況が今でもこの地球上にあるではないか。

今の日本に、わずか200年たらずの過去のことが、再び繰り返されることは、ないのだろうか?



日蓮大聖人の立正安国論に記されている謗法の国に起こる末法の様相

これが、とても空事とは思えない今の有様だと、私は思う。



公明党、創価学会執行部よ、蓮祖の御金言を、これ以上おろそかにしてどうするつもりなのだ?

会員の信心を利用して、カネと権力を私用にし続け、君たちはまるで餓鬼界・修羅界の魔物である。

未曾有の災害を、これ以上生み出すつもりなのか?

しかしまあ、本物の大馬鹿になってしまったものである。。。










 

21世紀への選択 メディアと民主主義の新たな可能性 P313 を投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年11月12日(日)03時21分16秒
  第九章人間の安全保障・・・核兵器のない世界へ P290

21世紀への選択 メディアと民主主義の新たな可能性 P313 を投稿します。

ポイント

*、テヘラニアン
 その新しい倫理には、国際ジャーナリズムの慣行と紛争の調停に資する

規範を含むことが、重要でしょう。

それには世界市民の意識に立った、真にグローバルなジャーナリズムが必要です。

私は思うのですが、メディアにとって本当にやりがいのある課題とは、ソフト・パワー

を国際社会の平和と相互理解のために用いることではないでしょうか。

*、池田
 抜け道を許さない画期的な条約が頓挫しなかったのも、ICBLが随時、反対国リスト

を公表し、国際的な圧力をかけ続けるとともに、「国防上の理由」を盾に否定的な

態度を見せる各国政府に対し、粘り強く再考を促した結果だったのです。・・・中略・・・

その功績をたたえ、一九九七年度の平和賞をICBL(地雷禁止国際キャンペーン)に授与した

「ノーべル賞委員会」が授賞理由をこうあげたのは、民衆が主体となって進めた軍縮運動

への期待の表れともいえるでしょう。

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平和への歩みは、遅々として進んでいないように見えますが、私が思うには先生の祈りが必ず
通じるときは来ると信じています。

今は弟子の戦いを先生は、静かにそして信じ切っておられるように感じます。
先生の弟子は世界中に散らばって、世界平和を念じ、行動し主張しているのではないでしょうか。

桜梅桃李の原則によって、政治家は政治家の使命をもって、学者はその言論と筆を剣に変えて、
工員は仕事の上で実績を積み、主婦は常日頃の、社会の基盤としての言論活動で世界平和、核兵器
廃絶を訴えておられます。

この広宣流布の流れを止めるものは、大六天の魔王です。
そう見切って、先生の弟子との意気込みで、戦う者のみが常楽我浄であり、所願満足の境地に至る
のだと確信していきましょう。
鈴之助

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まなこ様の法華経の智慧 第三巻 より いただきました。 感謝!!

須田: 日本軍のアジア侵略でも、狂気としかいいようのない「人間のモノ化」が行われました。

遠藤: 「権力の魔性」はいつの時代にも存在していたわけですが、二十世紀においては、それが
巨大化し、組織化されたわけですね。

名誉会長: イデオロギーで「正当化」されもした。
その上に、科学技術の進歩が、悲劇を拡大した。

原爆、(ナチスの強制収容所の)ガス室などがその象徴ですが、人間の虐待を大規模に、また
徹底的に行える力を人間は手にしてしまったのです。

また科学技術そのものの本性として「一切を数量化する」傾向がある。“魂なき科学技術”は
「人間のモノ化」に拍車をかけます。「原爆」は「権力の魔性」の象徴です。

「魔王」が形になったようなものです。
「魔」とは「奪命者(命を奪う者)」という意味なのです。その反対が「仏」です。
「命を蘇生させる者」です。

斉藤: 「核兵器を使った者は魔ものであり、サタンである」との戸田先生の原水爆禁止宣言は、
そういう生命の洞察に裏づけられていたわけですね。

名誉会長: 戸田先生は、全生命で宇宙に瀰漫する魔と戦っておられたのです。戦いは壮絶でし
た。
その苦痛、その緊張感は、だれにもわからないでしょう。普通なら、病気になるか、死ぬか、自殺

するか、精神に異常をきたすか ?- それくらい、生命への猛烈な圧迫があるのです。

原爆は「無明」が形になったものと言いましたが、それは「人間不信」と「人間憎悪」が形になっ
たものとも言える。
 

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