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かしこい生き方 地図学者 今尾恵介さん 地図は、時代の肖像、記号化されたポートレートなんです
地形図は実際の風景の精密な記号化 景色が浮き上がってくる

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私は地図を見ながら目的地に着くというのは、ほとんど不可能で…。その地図が、どんな風に面白いのか、伺いたく思います。

今尾

僕が最初に好きになったのは地形図なんです。市街地図や道路地図というのは、交差点名やマンション、店舗、学校の名前といった細かい情報が載っていたり、色分けがされていたり、町の境界が分かりやすく表現されていますが、地形図というのは、それとは違って…地形図をご覧になったことはありますか? 例えば国土地理院の25,000分の1のものとか。

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はい。見たことはありますが、普段の生活ではあまり使う場面がありませんね。

今尾

そうですね。市街地図との一番の違いは、植生の記号があることです。田んぼ、畑、針葉樹林、広葉樹林、果樹園といった植生が記号によって分かるようになっています。市街地図に、白くて何も書かれていない部分があると、そこに家が建っているのか、空き地なのか、あるいは山なのか全く分かりませんが、地形図だと植生記号によって、それが分かります。それによって、その場所の風景が思い浮かべられる。誰でも、特に男の子は模型だとか、小さくて精密な物にあこがれる気持ちがあると思うのですが、僕が地図を好きになったのは、それと同じようなものかもしれません。地形図は、非常に精密に出来ていて、実物を25,000分の1に縮小して表したもの。しかも、単に実物を忠実に25,000分の1にするとしたら、それは航空写真と変わりませんが、地形図とは、航空写真から要るものと要らないものを取捨選択して、紙の上に分かりやすく表現したものです。小学生のころ、学校や神社、市役所といった地図記号を、覚えさせられた経験があるでしょうけれども、二条線で道路を表すのも、等高線で地形を表現したりするのも、すべて記号です。つまり地図というのは記号なんです。記号化することで機能的に表現されたものですから、当然そこから現物が復元出来る。地形図を見ても、風景を思い浮かべられない人のほうが多いかもしれませんが、慣れてくると、自分が行った事がないような所でも、大体どんな景色か分かります(笑)。

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ええ!見た事もない場所の景色が、地形図から分かるのですか。

今尾

少し前、北陸新幹線の車窓風景について文章を書く機会がありました。北陸新幹線の場合、まだ長野駅から先が完成していないので、もちろん誰も知らない。でも地形図を見れば、インターネットの情報なども頼りに風景を思い浮かべることができるので、北陸新幹線の紀行文が書けてしまう。まあ「見てきたような嘘」ですね(笑)。それが出来てしまうのが、地形図の面白さだと思います。

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北陸新幹線の場合、地形図を見て、どのような風景が「見える」のでしょう。

今尾

地形図を見れば、地形と土地利用、植生が分かりますから、例えば長野駅を出ると、りんご畑の中を走って、正面に山が見えるのが分かります。更に進むと、左から崖が迫ってくるとか、河岸段丘の特長的な地形が見えるとか、段丘の斜面の緑がきれい…というようなことが地形図から見えてくるので、それらしい紀行文が書けてしまう(笑)。
(ある土地の地形図を見せていただきながら)これは25,000分の1の地形図です。日本全国を、経度と緯度でもって、4,342面のマス目に分割したものですが、これを見ると、風景が浮かんでくるんですね。

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全く思い浮かびません…。

今尾

(笑)。例えば、この辺には山があり、茶色の線、つまり等高線が詰まっているので、急斜面という事が分かります。この辺りは平らで、また等高線が詰まって地形が盛り上がっていって、緩斜面になった所に家がちょっと建っていて、更にその向こうは、六甲山脈みたいな風景が広がっています。山の頂上に鉄塔などの記号があると「ああ、パラボラアンテナが立っているんだな」とか、高圧線がどういう見え方をするかも分かります。また、その辺りが、どの位の密集度の住宅地かも分かりますし、畑や果樹園の記号が書かれているとすれば…ああ、この「○」は、「その他の樹木畑」の記号ですから、漆か、ここの場合は、植木の苗かもしれないですね。インターネットで調べれば作物も分かります。

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地形図を読むというのは、そういうことなんですね。

今尾

あるいは、黒い四角は独立建物を表すのですが、並び方や間隔に時代の流行のようなものがあるので、そのエリアがいつごろ開発されたのか、大体分かります。大阪の千里ニュータウンなどは、緩やかにカーブを描いて団地が配置されていますが、こういう配置を見ると例えば「昭和40年代ごろに開発された場所だな」と分かりますね。

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そこまで分かるとすれば、例えば「昭和40年代っぽい風景の所に行きたい」と思ったら、地形図を見て「この辺りに、きっとそういう趣が残っているだろうな」などということも分かるのでしょうか。

今尾

そうですね。ただ、地形図というのは、どこにどういう街区と家があるかを示したものですから、その家が新築されたばかりということもあるわけで、必ずしも昭和40年代の趣がそこにあるとは限りませんが、例えば中高層建物は長細い四角記号で表されるのですが、間隔が狭くて短いと、高層ではない4、5階建て程度の建物で、昭和30~40年代ごろに建てられた感じの建物なのかなと分かったり、このグレーの網が掛かった中に黒い四角が描かれた記号は、「樹木に囲まれた居住地」を表します。ということは敷地内にケヤキや桜、柿などが植えられている農村集落やお屋敷の並ぶ高級住宅地などだと分かります。
外国でも同じです。日本のように開発時期までは詳しく分かりませんが、新しい街区か古い街区かは、はっきりと分かります。ドイツやフランスなどは特にゾーニングが厳しいので、日本のように田んぼの真ん中に大規模ショッピングセンターが建つということはありません。歴史的街並みを保存しているエリアと、そこに隣接する新市街地とが明確に分かれているんですね。日本でも意識が変わって来つつあり、京都では大文字を遮るような建築を制限するようになってきましたが、日本は地形図上で見ても無秩序な感じがしますね。でも慣れてくると、その無秩序な中に旧道が残っていたりするのが見えてきたりします。

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その一角だけが「何となく違う」という感じでしょうか。

今尾

ええ。僕は旧道を歩くのも好きなので、そういう所を目指していくと、石仏や祠があったり、昔の風景がちゃんと残っていますね。

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平面に描かれたものが、鮮やかに立体的な広がりを見せますね。地形図を年代別に並べて見えてくるものもありそうですね。

今尾

正に、年代別に並べることで立ち上がってくる風景があります。これは、今、お見せした地域の昭和22年の地域図です。昭和22年ごろと比べて、今は、随分建物が立て込んできた事が分かるかと思います。今、住宅地となっている場所が、以前は田んぼが広がっていたというような変化は全国どこでも起きています。昭和8年ころまで、東京の目黒に競馬場があったのは有名ですが、弧を描いたコースの形は今でも住宅地のカーブとして残っています。目黒には「元競馬場前」というバス停がありますが、バス停を見てもそこが競馬場だったとは分からないし、現地に行っても「何となくカーブしているかも」と分かる程度。ところが地図で見ると、ちゃんと半円形をしていると分かるんですよ。現地で分からなくても、地図を見ると分かることです。

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当たり前ですが、現地は原寸大だから、逆に分かりにくい。

今尾

縮尺25,000分の1というのは、4cmが1kmに当たります。とすると、地形図を40cmの距離から見たら、ちょうど高度1万メートルを飛ぶ飛行機から、陸上を見下ろしたのと同じ見え方になるんです。

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なるほど! そういう話を、学校でしてもらっていたら、もう少し地図が読めるようになっていたかもしれません(笑)。

今尾

それから線路を見ると「いかにも戦後にできた新線」とか「大正時代の路面電車系から発展した鉄道だな」といったことが見えてきます。時代によって、屈曲しているカーブの角度が違うんです。最近出来た鉄道のカーブが非常に緩やかなのに対して、昔のものはきつい。路面電車として有名な江ノ島電鉄も、非常に曲がりくねっています。明治時代に、遊覧電車としてスタートしているので、最初はほとんど道路を走っていたんです。その後、徐々に専用軌道が増えて、今、路面を走っているのは腰越・江ノ島間だけですが、そういうのも地形図の線路を見て分かります。江ノ電に「乗った」ので、横須賀辺りの地図を見てみましょうか。横須賀、鎌倉は、要塞地帯だったため、終戦まで一般に地図が売られていませんでした。

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秘密にされていたということでしょうか。

今尾

ええ。地形図というのは、非常に高度な軍事情報なんです。この辺りは、東京湾の入口にあたる要塞地帯ですから、等高線入りの地図が販売できなかったというか、地図そのものが一般には手に入らない極秘情報で、戦後になって、ようやく戦前の地図が解禁されました。これは昭和23年に発行されたものです。もしかしたら軍の施設があったのかもしれませんが、まだ鎌倉や材木座の辺りに空地がいっぱいあるのが分かります。こうした昔の地図を古本屋で買ってくるのですが、こうやって昔と今を比べるのも、なかなか面白いんです。順を追って集めて、昔はセロハンテープを使って製本していたのですが、分厚くなったので解体してしまいました(笑)。

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新横浜の辺りは、ぽつぽつとしかなかった住宅が、昭和58年になってぐっと住宅地化が進んでいるのが、よく分かります。

今尾

以前、北鎌倉の辺りで開発反対運動がありましたが、そうした動きも、地図を追っていくと分かります。新旧図比較というのは、非常に面白い遊びなんですよ。

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遊びなんですか(笑)。

今尾

少なくとも地形図から多くのことが見えてくるのですから、知らないともったいない(笑)。地図には、災害なども反映されるので、例えば三宅島の噴火前後の地形図を比べると、本当に驚きます。溶岩が流れて堆積したというのが、一目で分かります。あるいは、阪神・淡路大震災の前と直後の地図を比べてみると、明らかに直後は空地がいっぱい見える。更地になった場所でしょう。震災後、大学や高校の校庭に仮設住宅が設けられていましたが、当時の地形図には校庭にびっしりと仮設住宅が書かれています。それを見ると、その時どんな事があったのかということがしっかりと伝わってくる。地図というのは、その時代時代のポートレートなんです。だからそれを追うことで、その土地の歴史が浮かび上がってくるんです。

 

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地図はポートレートとおっしゃいましたが、地名なども、それに近いのではないかと思います。

今尾

地名に興味を持ったのは、高校生のころです。全国には実に変わった地名があって、どういう由来があるのかなと思いつつ大学ノートに書き留めていました。今は無くなってしまいましたが「野良犬(のらいぬ)」「猫(ねこ)」などという地名や「押入(おしいれ)」「見物(けんぶつ)」「引越(ひっこし)」「打上(うちあげ)」などという地名もあります。ちょっと嫌われる漢字というのもあって、青梅市に「日影和田」という地名があったのですが、「日影」という漢字を嫌って「和田町」となりましたし、あるいはよく「かみ」「しも」と付く地名がありますが「しも」が付く地名は消えて「かみ」が残る。世田谷区の「野毛」は、もともと「下野毛」ですからね。そんな理由から、昔は郵便番号簿も愛読していました。

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愛読ですか(笑)。

今尾

面白いんです。「木葉下町」と書いて「あぼっけちょう」って言ったり「三」と書くだけで「みむら」、「西広門田」で「かわだ」と読んだり…。「にしひろかわだ」じゃありませんよ。初めての人は誰も読めません(笑)。
方言地名というのもあって、福井には「大玉」と書いて「いかだま」と読む地名がありますが、その辺りでは「大きい」を「いけえ」と言うんです。だから「大きい玉」で「いかだま」と読むのは、そこの方にとっては自然な読み方というわけです。福岡の「荷原」は「いないばら」と読みますが、その地方では「荷う」を「になう」ではなく「いなう」と言うらしいのです。

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そこに暮らす人にとっては難読ではないわけですね。

今尾

そういうことです。ちょっと変わった所では、長崎に「女の都」と書いて「めのと」と読む地名があって、そこはバスの終点らしく、バスが「女の都」と掲示しながら走っているのを見ると、何だか楽しくなります(笑)。名古屋には「極楽」という地名がありますが、バスに乗ったら「次は極楽、次は極楽」と当然のようにアナウンスする。日常的に極楽で降りる人がいるというのが、何となくおかしくて(笑)。新興住宅地っぽい場所でしたが、地名自体は、長久手の戦いで命からがら逃げてきた侍が「ああ、ここなら大丈夫だろう。極楽極楽」と言った事に因んで名付けられたとのこと。諸説あるのですが、地名の物語というのは、実際の真実と違うものが多いんです。でも物語として語られるというのは、その地名が大事にされているということですから、僕は良いなと思います。

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地形に由来するものもありますね。

今尾

ええ。地名の付けられ方というのは、いろいろあって、川が合流しているから「落合」といったように、単純にその場所の地形に因むものもありますし、「地頭」「領家」といった鎌倉時代の制度に由来する地名のように、当時の社会体制を反映したものもあります。あるいは「青物町」「大工町」「鍛冶町」などのように、江戸時代に同じ職種の人たちが寄り集まって住んでいたのに由来する、社会的な出来事を保存するような地名もある。他にも、その土地に無いものを、無い物ねだりするような地名もあります。低湿地だから、あえて「○○台」と名付けたり(笑)。
明治を過ぎると、追従地名というか、地名のブランド性が高まってきて、例えば高級住宅街で有名な田園調布にあやかって、隣接している地が田園調布本町、田園調布南と、次々と田園調布に変わりました。

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マンションの名称などにもありますね。

今尾

そうですね。日本最大の繁華街である新宿もそうですよ。もともと「十二社」という由緒ある地名があった地域は「西新宿」に変わり、東中野から大久保にかけての南側は古くは「柏木」と呼ばれていたのが、今は「北新宿」に変わってしまいました。柏木というのは、鎌倉時代より前からある、千年を超えるかもしれない地名なのですが、住居表示を導入した際に「北新宿」に変えてしまったわけです。僕はひどい話だと思うのですが、そこに住む方にすれば「北新宿」という名前の方が、土地の価値が上がるという事情もあるでしょうね。
皆さん、よくご存じの銀座もそうです。銀座は、既に戦前から大拡張し始めています。昔は、通りごとに町名があったのですが、昭和5年ごろでしょうか、関東大震災の復興事業の際に、当初4丁目までしかなかった銀座が、8丁目まで増えました。現在の尾張町(現4丁目)の交差点から南側は、昔は銀座ではなかったんです。

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随分大きくなりましたね(笑)。

今尾

ええ。銀座は、最初、南北に伸びて、そのうちに東西に拡張し始めました。「木挽町」など由緒ある地名がたくさんあったのですが、昭和5年から30年位、更に戦後にかけて「銀座東」「銀座西」「銀座」という3つに変わり、それが住居表示導入の際に、皆「銀座」になってしまいました。1丁というのは、もともとは長さを表す単位でメートル法で言えば109m。銀座は京間サイズなので118m。つまり江戸時代からの本物の銀座というのは、4丁分、道路分を含めても500m程度の細長いエリアだったんです。それがブランド地名として広がっていきました。同じく、両国や日本橋、麻布もブランド地名として広がったもの。ところが皆がブランド地名を欲しがるがために画一化が進んで、赤坂など赤坂1丁目から9丁目までありますが、3丁目や6丁目がどこにあるのか、分からないでしょう? 人間は数字に弱いですからね(笑)。でも、例えば「赤坂田町」という固有名詞だったら「あの辺か」と、すぐ分かる。数字で示すことで合理化したようでいて、実は不便になっている点がたくさんあるんです。

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ブランド地名に頼った合併による地名の変更が、本来の「その場所を特定する」という目的を果たせなくなってしまったようなこともありますね。

今尾

その通りです。現在の日光市は、旧日光市、今市市、足尾町、藤原町、栗山村が2006年に合併して発足した市ですが、日光の知名度が高いので、日光の名をそのまま使ったのでしょう。ただ、市役所は今市市にある。だからインターネットの地図で「日光」と検索すると、今市市にポイントされてしまう。山陰の小京都として知られる島根県の津和野町も、2005年に隣接する日原町と合併して「津和野町」となりましたが、町役場は、合併前の日原町役場に置かれているので、同じ事が起きます。つまり地名が広域化した事で、地点を特定するという機能を果たせない場合が増えてきました。秋葉原も、今、広く言われている「秋葉原」は千代田区外神田であって「秋葉原」という町名は、台東区にあるんですよ。

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そういえば、そうです!

今尾

だから地名検索すると、秋葉原でない所に飛んでしまう。そうやって、いろいろときしみが出ています。

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そうやって調べていくのも飽きませんね。

今尾

そうですね。非常に、けしからんと思ったりもするのですが、本を書く側としてはネタが集まって良いと思ったりもして(笑)。僕の地元、東京都日野市でも、数百年の歴史を持つ「下田」という地名が無くなってしまいました。非常に残念な事でしたが、ちょっと突き放して見るならば、地名がないがしろにされた時代を象徴する出来事として捉えられるのではないかとも感じます。

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名称がまったく変わった都市もありますね。

今尾

川之江市、伊予三島市、宇摩郡土居町、宇摩郡新宮村という4つの市町村が合併して2004年に出来た四国中央市ですが、最初、住民投票では、古来伝わる「宇摩郡」に因んで「宇摩市」にしようという意見が多かったのです。しかし、なるべく通りの良い地名にしようというので、四国の真ん中にあるから「四国中央市」にしようと…そして、本当にそうなってしまった。南九州市もそうですね。北九州市が出来たのは昭和38年の事です。こちらは門司、小倉、八幡など5市が合併して誕生した人口100万都市ですが、南九州市というのは、その何十分の1の都市。川辺、知覧、頴娃の3つが合併したわけですが、知覧は特攻隊の町という歴史的にも重要な町。その名を無くして南九州市にしてしまったのは、非常に残念に思います。

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あえて伺うのですが、地名を変えてしまうことが、ノスタルジックな意味合いではなく、なぜいけないと思われますか。

今尾

昔の地名を残しておいても金銭的に得をすることはないかもしれません。でも地名は、現代と昔とを結ぶ糸のような機能を持っていると思うのです。それを簡単に変えてしまうというのは、その土地が持つ歴史のつながりを断ち切ってしまうことだと思うんです。「昔の事なんてどうでもいい」と言われたら、語る言葉はありませんが、しかし本当にそれで良いのでしょうか。小説などで「N町」「C町」と、殊更、匿名性を強調したりもしますが、匿名性のある町というのは、つまり特定されないということ。地に足が着いてないというか、「ノスタルジー」なんて言ってしまうと、ぼやけてしまうけれど、僕としては、自分が依って立つ所というか、人が生活していた昔からの記録を、将来にわたって継続させるというのは、今を生きる私たちの責務でもあって、その地名を簡単に葬っても良いものかという思いがあります。地名というのは、形が無いので壊されやすいし、地図上でしか示されないものです。地図にあって、航空写真に無い物の代表が地名です。地名という形の無い物だけれども、それは無形文化財のような存在です。そういう側面がありつつ、毎日使っている、すごく不思議な存在だと言えますし、毎日使うからこそ邪念が働いて、なるべく儲かる方にもっていこうということにもなりやすいのでしょうね。

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出身の小学校の名前が統合合併などで変わってしまい、母校に対する愛着が断たれてしまったという話を耳にしたことがあります。

今尾

地名が完全に変えられてしまった地域の人たちの中にも、そういう感想をもらしている方がいます。だから地名が変わった後も、町内会では昔の地名を使ったり、祭りの単位も新しい区分ではなく、昔の町内会単位で行ったりしている。昔の地名が行政側から消されてしまったにもかかわらず、そうやって残っているということは、いかに人々にとって地名が大切かという証拠だと思います。地域のコミュニティが生きている所は、地名も生きているという感じがしますね。実際、本当にわずかですが、金沢や長崎で、昔の町名に戻した場所がありますが、どれも地域の結びつきが非常に強い場所です。地名は、人の結びつきを象徴しているようにも感じますね。だから「中央○○市」に変わると言われても愛着が沸かないというか、不便。因みに、この辺りは、昔「まました」と呼ばれていた場所です。「まま」とは「崖」「段差」を指します。つまり「崖の下」だから「まました」。「まました」と言ったら地点の特定が出来るけれども「中央6丁目」と言われても、土地に「6丁目」と書いてあるわけでもないので、分からないですよね。便利さという点からも、昔の地名には価値があると思います。単純な記号で置き換えられるものではないんです。

いろいろ名前が変わるけど…地名に宿る土地の記憶
今尾恵介(いまお・けいすけ)
1959年横浜市生まれ。日本地図センター客員研究員。日本国際地図学会評議員。中学生のころから、国土地理院発行の地形図や時刻表、郵便番号簿を見るのが趣味。音楽の専門雑誌編集者を経て、1991年にフリーランサーとして独立。地図や地形図を読み解く面白さを発信することに始まり、全国の鉄道にも造詣が深い。また地名変更の是非についても発言するなど、地図を取り巻くさまざまなものを対象に活動する。著書に『JR東日本全線〈決定版〉鉄道地図帳』シリーズ、『日本鉄道旅行地図帳』シリーズ、『地図から消えた地名』(東京堂出版)、『日本の鉄道 車窓絶景100選』(新潮社)、『世界の地図を旅しよう』(白水社)、『日本の地名遺産「難読・おもしろ・謎解き」探訪記51』(講談社+α新書)他、多数。
 
●取材後記
たくさんの地図や地形図を次々に繰り出しながら、楽しそうに地図の話をして下さる今尾さん。「郵便番号簿が愛読書」というお話に、心の中で手を打った。小さいころ、確かに自分も郵便番号簿を「読んで」いたことがある。「この県には、こんな名前の場所があるのか」と想像するのは楽しかった。それは空想好きの子どもの遊びに終わってしまったが、大人になっても続けていれば、今尾さんのようなこんな本物の大人の遊びになったのに。
構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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