「怖い絵」展をやりませんか、と産経新聞の藤本聡さんから提案されたのは7年ほど前。兵庫県立美術館で講演をした後の雑談中だったので、いいですね、と答えはしたものの、あまりリアリティはなかった。
それから2年後、つまり今から5年前、再び藤本さんから今度は本気のお話しがあった。兵庫県美の学芸員、岡本弘毅さんも加わり、ここに――後にして思えば――3人の戦友によるちっちゃな師団が結成されたのだ。
最初は闇雲という感じだった。コネクションのつけられそうな美術館のリストを見せられ、わたしが次々欲しい作品にチェックしてゆく。後で藤本さんが言うには、よくもまあ貸してくれそうもない作品ばかり選ぶものだなあと思った由。
そうこうするうち、拙著でも扱ったドレイパーの「オデュッセウスとセイレーン」、ビアズリー「サロメ」、ホガース「ビール街とジン横丁」、ゴヤ「戦争の惨禍」が借りられた。
他にターナー、ルドン、ムンクと著名画家の作品もそろったし、日本ではほとんど知られていないが強烈で現代的な作風で人気が出ること間違いなしのモッサの、しかも代表作2点(「飽食のセイレーン」「彼女」)が、入手できたのは僥倖だった。セザンヌの初期作品「殺人」も衝撃を与えるだろうし、近年、彼こそ切り裂きジャック本人と名指しされたシッカートの、それも文字通り「切り裂きジャックの寝室」まで借りられた。
なかなかのラインナップと思いつつ、しかし成功する展覧会には絶対に「顔」が必要だ。それは玄人も素人も、老若男女全てを、一目で有無を言わさず惹きつける作品でなければならない。美しくて怖い、そのことが一瞬で見てとれる作品でなければならない。
『怖い絵』の「怖い」が血まみれのスプラッターや目をそむけるグロテスクではなく、美術作品として完成されていて、なおかつそこにはまだ謎があり、何だろう、知りたい、ずっと見続けていたい、と思わせるものでなければならない。
できればそれは『怖い絵』シリーズ全5冊の表紙のうち、まだ来日していない作品が望ましい。となると、ドラロ―シュの「レディ・ジェーン・グレイの処刑」をおいて他にはないのだった。
これだ!――我ら師団は一致した。
藤本さんの悪戦苦闘が始まる。所蔵先のロンドン・ナショナル・ギャラリーは、まず作品自体が大きすぎる(3m×2.5m)ので運べないだろうと言う。それに関してはヤマトロジスティクスの優れた美術品担当部の実力が通じてクリアされた。
次に「ジェーンを見に年間600万人が来館するのに、半年も貸せない」と言う。そこを値段交渉から何から粘りに粘ってようやく担当者の首を縦に振らせたはいいが、なぜか契約書にサインしてくれない。なんとそこから1年以上宙ぶらりんとなるのだ。館長がOKしてもサインしない。