2017-11-12

無職

会社を辞めた。

配偶者も、子も無し。税金を納めるために、せっせと働くロボットのような人生疲れた。定年まで健康に生きれる保証なんてない。仕事を辞めたら死ぬまでにやりたいことの半分を順番にやっていく予定だった。

実際仕事を辞めて2年経った。辞めてから廃人のような生活だ。死ぬまでにやりたいことのリストは、輝きも魅力も失った。それをこなしても、幸せ気持ちになる気がしなかった。自分では気が付かなかったけれど、きっと心が限界だったんだ。燃え尽きるといはこういうことなのかなと思った。自殺すれば、「死ぬくらいなら、仕事に行かなくてもよかったのに。」という。でも、仕事を2年も休めば、そろそろ働かないのかというプレッシャーはかかる。哀れみ、心配眼差しに耐えれられるくらいなら、死んだりはしない。

自分の稼いだお金生活しているのに、働いていないことの罪悪感がなかなか消えない。40年間刷り込まれた、"働かないことが悪"という考え方に、未だ洗脳されているんだろう。氷河期世代は、まじめというか、頑張るというか、耐える人が多い気がする。受験戦争体罰が当たり前の時代メンタルボロボロ正社員になれる人が少なく収入が安定せず、一人前にならないと結婚できないみたいな古い考えもまだあって、独身のまま。まじめに働いていれば、幸せになれると信じていた。違った。

さぁこれから楽しい人生なんてあるんだろうか。絶望したり、あきらめて開きなったり、ときにこんな私も幸せになれたりしてと、はかない妄想を抱いたり。何をするにも、おじさんとかババアバカにされ、自信を無くす。

平日の商店街、よぼよぼと歩く高齢のご婦人を見て、うっすらと、まだ何かやれる気がしてしまった。そう思った自分が嫌だった。20歳の人におじさんとかババアバカにされて辛いのに、自分も心の中では同じように思っている。生物学上、(生殖機能が衰える)年を重ねた生物が嫌われることは仕方のないこと。

苦しい。いつものことだけど、自分のことは置いておいて、人の幸せを祈ろう。祈りなんて、何の意味効果もないこと、今までの人生でよくわかったけれど、それでも祈ろう。自分人生から現実逃避しかないんだが。

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