適格退職年金、通称「適年(てきねん)」という仕組みをご記憶の方も多いでしょう。
この適年は2012年に実質的に廃止され、現在では残っていません。
適年という仕組みは従業員の老後保障のために導入されたとお考えの方が多いのですが、実際には高度成長期の産業界にお金を流すという役割も果たしていました。
適年は預金同様に信用創造の仕組みなのです。
では今回はこの適年=適格退職年金について考察します。
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適格退職年金とは
適格退職年金、適年についての説明は企業年金連合会の説明がまとまっていますので以下引用します。
従来の企業年金の1つであった制度で、略して適年という。
企業が生命保険会社や信託銀行等、外部機関と契約し、年金原資を外部機関に積み立てるなどの法人税法で定める一定の条件を満たし、国税庁長官に承認を受けることで、事業主が負担する掛金は全額損金として扱われるなどの税制上の優遇措置を受けられた。退職金の原資を社外積立によって平準化できることや、厚生年金基金に比べ少人数で設立できるメリットがあった。
しかし、確定給付企業年金法の成立により、平成14年4月からの新規発足はできなくなり、合わせて既存の制度も平成24年4月以降は、税制上の優遇措置が受けられなくなった。このため、全ての適格退職年金(一部特例を除く)は、確定給付企業年金等、他制度への移行等が求められることとなり、実質的に制度は廃止となった。
適格退職年金の歴史
適年は戦後に成立しました。
りそな銀行の説明が非常に分かりやすいので、少し長いのですが引用します。
わが国における退職給付(退職金・企業年金)制度の源流は、江戸時代の商家で使用人の独立時などに行われた「のれん分け」にあると言われています。
明治期以降、熟練労働者の定着促進策あるいは不況時の大量解雇をめぐる労使紛争の緩和策として、退職時に一時金を支給するという現在の退職一時金制度の原型が形成されました。
第二次世界大戦終了後は、退職一時金制度の普及が更に急速に進みました。要因としては、失業保障および老後生活保障の観点から労働組合が賃上げと並行して退職金制度の導入または増額を要求するようになったことや、恒常的な事業資金不足だった戦後の混乱期においては給付原資を内部留保して事業資金に用いることができる退職一時金制度設は企業にとっても利便性の高いものであったことなどが挙げられます。
こうした状況を背景に、1952(昭和27)年には退職給与引当金制度が創設、退職一時金制度は大企業だけでなく中小企業にも広く普及していきました。このように、わが国における退職給付制度は、年金ではなく一時金制度から普及・発展したという経緯があります。
一方、わが国における企業年金制度は、1905(明治38)年の鐘紡共済組合や1914(大正3)年の三井商店使用人恩給内規が最初であると言われていますが、戦前は一部の財閥系企業でのみ実施されたに過ぎませんでした。戦後になると、松坂屋、十條製紙、三菱電機などの企業が任意で自社年金制度を実施するようになりましたが、実施しているのは大企業が中心で、また税制上の優遇措置も一切ないものでした。
しかし、1950 年代後半から高度経済成長期に入ると、経済成長に伴う物価および賃金の急激な上昇により、賃金を基礎として算定される退職一時金の支給額もまた年々増加することが見込まれ、企業の資金繰りへの影響が懸念されはじめました。
また、退職給与引当金制度は1956(昭和31)年の税制改正において損金計上が認められる累積引当限度額が要支給額の2 分の1 に引下げられるなど、税制優遇の度合いが引下げられました。
上記の状況を背景に、退職一時金の支払負担を平準化することが企業経営上の課題として注目され、その対策の一つとして、税制上の優遇措置を伴った企業年金制度の導入が検討されはじめました。1957(昭和32)年8 月に当時の日経連が「企業年金の課税政策に関する要望」を提出したのを皮切りに、日経連、信託業界および生命保険業界が中心となって関係当局に働きかけた結果、1962(昭和37)年の法人税法および所得税法の一部改正により適格退職年金制度が創設、同年4 月1 日より施行されました。
出典 りそな銀行ホームページ
これが非常に分かりやすい、そして現在の立ち位置から見ると正しい適年の成立経緯です。
しかし、適年の成立は従業員の老後保障や企業の資金負担の平準化のような「きれいな」話ではないと筆者は認識しています。
以下、適年のもう一つの顔・役割をみていきましょう。
まずは退職金の成立についてです。
退職金の成り立ち
日本では退職金が先に普及し、その後、退職金が年金化されてきた歴史があります。そこで先に退職金を簡単にみていきます。
退職金は、単純にいえば給料の後払いです。
この退職金が導入された理由は主に2つあります。
まず、企業は、給料の支払いの一部を退職時まで先送りすることにより、資金負担が軽減できました。特に戦後の経済成長期は、資金不足が常態していたからです。退職金は、給料の後払いとして従業員からの借入といえます。
二つ目の理由は、企業にとって従業員の長期勤続の奨励です。企業の退職金は、通常は、勤続年数が長くなるにつれて金額が急増していきます。すなわち、長期的な勤続が従業員に有利になり、長期勤続のインセンティブになっています。この仕組みは工場労働者に代表されるように、勤続期間によって業務能力が高まり、結果として生産性が高くなることを前提にしていました。熟練工を企業は確保する必要があったということです。
この退職金が、公的年金の補完の役割も担うようになり年金化していったのです。
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適格退職年金のもう一つの役割
適格退職年金の受託は、信託銀行と生命保険会社が独占していました。
筆者は、なぜ年金の受託が信託銀行と生命保険が独占していたのかが本当に不思議でした。一般の銀行にも開放すればよいのにと考えていました。
これについては表面的な解説しか見たことがなく、その時点では理解できていませんでした、しかし、高橋俊介先生の講演を聞いて気づかされました。講演後にしっかりと調べたのですが、この適格退職年金の受託機関限定は、まちがいなく大蔵省の産業政策なのです。
日本の戦後復興、高度経済成長には巨額な設備投資が必要でした。
しかし、当時の日本の資本の蓄積は非常に限定的でした。
そこで銀行を保護し、資金を集め、その資金を産業界に融通する政策を国策として推進していきました。
しかし、設備投資資金は長期の資金を必要とします。預金を貸出の源資とする銀行には、長期資金の供給能力には限界がありました。
そこで政府は、銀行とは別に長期金融専門機関の育成を図りました。これが大蔵省の長短分離政策です。
長期金融機関として、長期信用銀行(例:日本興業銀行=現在のみずほ銀行の元になった一行)、信託銀行、生命保険会社等です。
長期の貸出に見合う長期の資金調達手法として、長期信用銀行には利付金融債(例:ワリコー)の発行が認可されていました(信託銀行には貸付信託=ビック)。
この長期資金を産業界に融通する仕組みの一つが適格年金なのです。
どういうことなのかというと、企業が掛け金を信託銀行や生命保険に拠出します。その資金は信託銀行や生命保険会社を通じて長期の貸出や株式投資に回したのです。すなわち産業界に資金を供給する仕組みとして適格年金は使われていたのです。
これは、銀行の信用創造と全く一緒です。
信用創造については以下で全国銀行協会の説明を引用しておきます。
銀行は、預かったお金のすべてを貸出に回すわけではなく、預金者も、すぐにお金を引き出す人ばかりではありません。そこで、預金の一部を支払い準備のために手元に残したうえで、残りのお金を貸出に回します。これを連鎖的に繰り返すことで、預金通貨が新しく生み出され、銀行預金は増えていきます。これを信用創造といい、銀行特有の機能の1つです。
たとえば、100万円の預金があるとして、その1割にあたる10万円を残して9割の90万円を貸出に回したとします。この90万円を借りた会社Aが会社Bに全額を支払い、会社Bが90万円を別の銀行Bに預金すると、預金額は190万円になります。もとは100万円だったはずの預金額が、信用創造の仕組みによって190万円に増えるわけです。https://www.zenginkyo.or.jp/special/money-highschool/data/textbook/k_t_00.pdf
適格退職年金も類似の仕組みなのです。
まず、従業員に本来は支払うはずの給料を後払いとして退職金・年金にします。
その年金の積み立て資金として、企業が従業員のために掛け金を信託銀行等に払い込みます。
この掛け金を源資として信託銀行等は産業界に長期貸付もしくは増資資金の引き受けを行います。
この産業界に回された長期資金は預金として銀行に還流することもありますし、新たな掛け金として信託銀行等に還流してくることもあります。
このように産業界に貴重で限られた長期資金を供給する仕組みが適格退職年金だったのです。
適格退職年金は現在は役割を終えました。産業界に長期資金を提供する主体は企業年金基金やファンド等、バリエーションが増えましたし、そもそも日本は資金不足ではなく資金余剰になっているからです。
このような歴史を踏まえると金融の違う側面がみえてくるのではないでしょうか。
少なくとも日本の年金制度の成り立ちは、従業員のためとばかりは言えないということです。