未来・第43号


            未来第43号目次(2009年10月20日発行)

 1面  空港敷地ど真ん中を1780人がデモ
     10・11三里塚

     派遣法の抜本改正へ大運動まきおこそう
     9・30院内集会

     派遣法で厚労省前行動
     10・15日

 2面  10・11三里塚
     現闘本部強奪ゆるすな 実力闘争を宣言

     北原さんと交流
     関西実行委

 3面  G・ワシントン横須賀母港化1周年抗議
     港の軍事使用ゆるさない
     9・26

     上関原発
     だまし討ちでブイ投入
     10・7

     国鉄闘争勝利
     関西サイクルキャラバン完走
     10・5~9

 4面  【翻訳資料】
     韓国労働社会研究所機関紙『労働社会』9月号
     まだ終わっていない叫び「共に生きよう」
     双龍車闘争の教訓と課題(上)

 5面  安田派『綱領草案』の問題点(下)
     レーニン革命論の放棄と総括なき「レーニン主義回帰」

     「在特会」のデモに反撃
     10・10大阪

 6面  狭山第3次再審闘争が最重要局面に
     10・25狭山中央闘争へ

     第36回ノッカマップ・イチャルパ
     処刑されたアイヌ蜂起指導者を追悼

       

空港敷地ど真ん中を1780人がデモ
10・11三里塚


写真上:市東孝雄さん(壇上中央)が、「市東さんの農地を守る会」のみなさんとともに登壇
写真下:空港に囲まれた東峰地区内を行進するデモ隊。暫定滑走路に着陸する航空機がかすめる(いずれも11日 三里塚)〔記事2面〕

派遣法の抜本改正へ大運動まきおこそう
9・30院内集会

登録型派遣の禁止を

9月30日、参院議員会館第2、第3会議室をうちぬいて「政権交代―さあ、派遣法改正だ!―労働者派遣法の早期抜本改正を求める院内集会」が開催された。「労働者派遣法の抜本改正を求める共同行動」の主催で、衆参国会議員25人を含め170人を超える参加者で会場はあふれかえった。
基調報告で日本労働弁護団の棗(なつめ)弁護士は、財界が「派遣法が改正されると失業者が増える」として事実に基づかない悪質なキャンペーンを始めていることをとりあげ、現行派遣法こそが大量の派遣労働者を無慈悲に路頭に放り出してきた事実を指摘し、登録型を残せという財界の主張を怒りを込めて弾劾した。

専門26業務は抜け道

三菱ふそう、いすず自動車、パナソニック電工、阪急トラベルサポートの派遣労働者から派遣法の抜本改正を求める発言があった。
パナソニック電工による偽装請負・違法派遣を告発しながら、解雇撤回、直接雇用を求めている佐藤昌子さんは、専門26業務を含めた登録型派遣禁止を訴えた。「ふつうの工場労働者がポケットに入れていた電卓を使ったらそれでも専門業種の事務機器操作になるのか」と厚労省に質問したら「そういう場合もある」という許しがたい回答しているのが現状であり、専門26業務は拡大解釈され法の抜け道になりかねないと指摘。多くの女性労働者が事務機器操作やファイリングという名称の専門26業務で働いているが、その実態は専門性など全くないものであり、母子家庭の女性が専門業務という名目で低収入・不安定な労働を強いられていること、女性労働者が「派遣」にはもう就きたくないと思っても、今のままなら専門26業務という派遣労働の中に追いやられてしまうと批判。女性は非正規、不安定雇用のままでよいというのが派遣法の本質だと派遣法の抜本改正を訴えた。

構造改革路線ひっくり返せ

反貧困ネットワークの湯浅さんは最近発表された2つのデータをあげ、年収200万円未満のワーキングプアと呼ばれる労働者が1067万人、就労人口の23・2%にまで増えてきたこと、貧困層全体の中で働いている人の割合がアメリカは7割なのに日本の場合は8割に達し、日本がアメリカ以上のワーキングプア大国になっていることを指摘。仕事をしていても食べていけない現状をつきだした。
都内での炊き出しも2倍から3倍に激増し状況は悪化の一途をたどっている。雇用も生活も医療も福祉も住宅も全部ボロボロになってしまっている。これに対する回答が今回の選挙結果だ。これまでの「構造改革路線」を転換していくことが今回の政権交代の最大公約であり、それをやらなければ最大の公約違反になると指摘し、これまでの路線をひっくり返していくことを訴えた。
日本労働弁護団・小島幹事長の発言のあと、集会アピールを採択。

10・29日比谷集会へ

最後に共同行動事務局長の安部さんが、「派遣法抜本改正にむけて今こそ民の力を結集し声を上げよう、全国津々浦々から10・29日比谷野音にあふれる結集をかちとろう」と訴えた。

集会アピールから(抜粋)

一刻も早く以下のような労働者派遣法の抜本改正を実現することを求める。
①登録型派遣を原則禁止、②製造業務への派遣を原則禁止、③違法派遣の場合の「直接雇用みなし制度」を創設、④派遣労働者と派遣先労働者との労働条件の均等待遇原則を確立、⑤マージン率の上限規制
最も重要で効果のある失業と貧困の対策は、失業が発生した後のセーフティネットを張ることではなく、失業そのものを予防することであり、現在横行している違法な解雇・雇止めと安易な雇用の切捨てをさせないための労働法制を整備することである。

派遣法で厚労省前行動
10月15日

派遣法抜本改正を求めて、労政審に訴える(厚労省前 15日)

15日8時30分から9時過ぎまで、厚労省前行動が行われた(上写真)。
午前9時から労働政策審議会労働力需給制度部会が開かれるからだ。緊急の呼びかけだったが立場の違いを超え、多くの労組が集まった。参加者は40人を超えた。
7日の労政審職業安定分科会では、公益委員(シルバー人材センター事業協会会長)から「製造業派遣の禁止は職業選択の自由を奪う」と派遣法改正に反対する意見が出されたと伝えられている。
派遣法の抜本改正を実現するためには、労政審を通さなくてはならない。ここが最初の攻防だ。

2面

10・11三里塚
現闘本部強奪ゆるすな 実力闘争を宣言

闘志をみなぎらせてデモの先頭を歩く反対同盟。右から北原鉱治さん、萩原進さん、鈴木謙太郎さん(11日)

11日、雲一つない秋晴れ。集会場である萩原進さんの畑に行くには、新たに供用開始された第2誘導路をくぐるトンネルを通る。すぐ目の前を巨大な機体が轟音とともに通過する。
集会は、三里塚芝山連合空港反対同盟の萩原富夫さんと太郎良陽一さんの司会で始まった。最初に反対同盟の森田恒一さんが開会あいさつ。続いて北原鉱治事務局長が、「43年のたたかいが、いまだ空港を完成させてない。三里塚闘争は全国の人びとの共有財産だ」と、勝利の確信に満ちた主催者あいさつを行った〔発言要旨別掲〕。

裁判闘争が重大
基調報告にたった萩原進事務局次長は、自民党政権が労働者人民の怒りで打倒された情勢の中で、その怒りを、社会を変える力に変えられるかどうかが三里塚派にかかっているという点を階級情勢の核心問題として提起した上で、①裁判闘争のなかで人民の渦をつくり、それを現地にひきついで、武装闘争、実力闘争の爆発をはかる、②農地法による市東さんの農地強奪とのたたかい、このふたつが三里塚現地をめぐる決戦であるとした。とりわけ現闘本部裁判は、11月結審をもって現闘本部の強奪が狙われており、「この場で決意を固めてほしい」と決起の訴えがなされた〔発言要旨別掲〕。
特別報告では、動労千葉の田中康宏委員長、関西新空港に反対する住民として永井満・関西実行委代表と山本善偉・世話人が、反対同盟と車の両輪でたたかう決意を表明した。10月4日に亡くなられた北富士忍草母の会・天野美恵事務局長を追悼する発言を、反対同盟婦人行動隊の鈴木加代子さんが行った。
千葉・北総の農民6人とともに反対同盟鈴木謙太郎さんが登壇し発言。
次に、空港敷地内の市東孝雄さんが、「市東さんの農地取り上げに反対する会」の人びと20数人と一緒に登壇〔発言要旨別掲〕。沖縄から新たな取り組みも報告された。
反対同盟顧問弁護団は8人が登壇し発言。
カンパアピールのあと、部落解放同盟全国連ほか、住民団体、共闘団体の決意表明が行われ、集会宣言、スローガン採択をして、デモに出発。

鈴木謙太郎さんと北総の農民6人が登壇。マイクは、はじめて全国集会の司会をになう萩原富夫さん(11日)
現闘本部前の団結街道をデモ(11日)

4000メートル滑走路に攻めのぼれ
デモ行進は、空港敷地内の「未買収地」をねり歩き、市東孝雄さん宅の前を右折し、現地闘争本部前から、市東さんの畑まで進んだ。いずれも3メートルをこす鉄板が左右に張られている。その向こうは空港・滑走路・誘導路だ。
権力によって封鎖され続けている現闘本部前には、成田治安法(緊急措置法)にもとづく封鎖継続を宣言した新しい看板が、国土交通大臣・前原の名で出されていた。「無駄な公共工事をやめる」というなら、まっさきに成田を廃港にしてみよ。ペテンもいいところだ。
4ヘクタール弱(甲子園球場の広さ)の未買収用地の中に、万余の隊列が結集するならば、空港の内側から、滑走路を攻めることも可能だ。そういう思いに駆られるデモだった。
萩原進事務局次長の実力闘争宣言にこたえ、いまこそ全国の労・農・学・住民は、暫定滑走路を閉鎖に追いこみ、4000メートル滑走路に攻めのぼろう。

軍事使用ゆるさない
主催者あいさつ 北原鉱治 反対同盟事務局長


30年前に3本の滑走路が出来なければならなかったのに、現在に至っても半分しかできていない。なぜできないのか。人民の国に対する怒りがあるからだ。
有事の際には、兵員50万がこの成田空港を拠点にする。このような空港は廃港あるのみだ。戦争につながるものは、若い労働者、学生の未来のために打ち倒そう。

実力闘争の決意を
基調報告 萩原進 反対同盟事務局次長


自民党のみごとな敗北は、民衆の怒りの結果だ。しかし、問題はこれからだ。あの怒りを社会を変える力に、三里塚派、動労千葉派が変えられるかが問われている。
三里塚現地のたたかいは、一つは裁判闘争だ。三里塚の裁判は判決で終わりじゃない。裁判闘争で敵を追い詰め、人民の渦をつくり、それを現地にひきついで、武装闘争、実力闘争の爆発をはかっていく。今日、この場で決意を固めていただきたい。反対同盟は決意を固めた。現闘本部裁判は、11月結審で、彼ら(政府、空港会社)は現闘本部を取ろうとしている。現地闘争を構えよう。裁判闘争をそういうたたかいとしてたたかい抜こう。
(いまひとつは)市東さんの農地を、農地法を逆手に取って取り上げようとしていることだ。金持ちが農地を買い漁り、株式会社が農民を労働力として使う。儲けるため、労働者も農民も搾取していく。だから、このたたかいの主人公は労働者だ。それに、三里塚が、全国の農民の決起をはかって、労働者とともにたたかう。そういうたたかいを構築したい。
今までを大きく超えるたたかい、無制限のたたかいをやろう。反対同盟は、腹をきめてこのたたかいを展開する。もう一度三里塚問題を全国に波及させ、たたかいの輪を広げよう。

現闘本部裁判が緊迫
空港敷地内 市東孝雄さん


現闘本部裁判が緊迫した状況だ。現場検証も証人調べもしないという仲戸川裁判長を許せない。私の家を空港内へと囲い込む第3誘導路の攻撃ももってのほかだ。年間30万回発着、24時間空港化と騒いでいるが、その先にあるのは軍事空港だ。親父は土地収用法とたたかったが、私は農地法とたたかう。廃港までたたかおう。

北原さんと交流
関西実行委

集会に先立って、北原事務局長のお宅を20人ほどが訪れ、1時間余りの交流会がもたれました。
北原さんは、「開港後、6時の始発貨物便の爆音に起こされ一日が始まる毎日だが、足尾鉱毒事件のように、ものやカネに負けないたたかいをやってきたことを誇りとし、人民の共有財産として三里塚闘争に勝利しよう。政党や党派がどうではなく、一人ひとりがどうたたかったか、どうたたかうかが、われわれの原点であり、自分が動く中から社会を変えよう」と話されました。また、同盟の3・8分裂(83年)について、「絶対に譲れない条件派とのたたかいであり、真実を曲げることはできないたたかいであった」と語られました。
永井代表からは、先日亡くなられた北富士忍草母の会事務局長・天野美恵さんへの追悼が、鮮烈な出会いの話を織りまぜて話され、また9・27関西集会が同盟との積極的・一体的な取り組みの中で成功をおさめたことが報告されました。
森田恒一さん(現反対同盟、元関実世話人)からは、厳しくも決着のときを迎えつつある三里塚闘争と反対同盟に「命をかける」と決意が表明されました。(投稿 I)

関西実行委員会は現地集会の際、交流会を行なうのが恒例になっている(11日 北原さん宅)

3面

G・ワシントン 横須賀母港化1周年抗議
港の軍事利用ゆるさない
9・26

原子力空母ジョージ・ワシントンが米海軍横須賀基地に配備されて1年。9月26日に横須賀現地で、「空母母港化36周年・原子力空母ジョージ・ワシントン(G・W)横須賀基地母港化1周年抗議 原子力空母配備の撤回を求める全国集会」が、「フォーラム平和・人権・環境」などで構成する「9・26実行委」の主催で開かれました。
全国から3500人の労働者市民が結集し、集会とデモをたたかいました。

基地ゲートにむけて拳をあげる(9月26日 横須賀市)

約束破り大規模修理

1万5千人を結集して開かれた昨年7月のたたかいなど、強い反対の声を踏みにじって、ジョージ・ワシントンの配備が強行されて1年。この間、米海軍は1月から5月にかけてジョージ・ワシントンの大規模修理を強行しました。
修理は原子炉の1次冷却系についても行われ、そのため、修理後には大量の放射性廃棄物が発生しました。
原子力空母の危険性については本紙41号にも掲載されていますが、「横須賀基地内では原子炉の修理は行わない」と約束していた日米政府は、半年も経たずにその約束を破り捨てたのです。
またジョージ・ワシントンが出港中の8月24日には、別の原子力空母ニミッツの入港が強行されました。こうしたアジアから中東までの侵略出撃の中軸を担う米艦船の母港化や入港に対しては大きな怒りを禁じ得ません。

度重なる日米艦船の入港

さらに、横須賀基地のある神奈川県においては、隣接する横浜港公共ふ頭への度重なる日米艦船の入港が問題となっています。「開港150周年を祝う」市民でにぎわう横浜港大桟橋には、日米のイージス艦が入港してきました。
7月21日に入港した米海軍イージス駆逐艦「ジョン・S・マケイン」は、さきの朝鮮民主主義人民共和国の船舶にたいする追跡行動を展開した艦船です。
またその直後入港した海上自衛隊のイージス艦「きりしま」もまたアフガニスタン侵略戦争に加担した護衛艦です。こんなものを市民がいっぱいいる大桟橋に入港させることは絶対に許せないことです。
9月5日、横浜港大桟橋には海上自衛隊のヘリ空母である護衛艦「ひゅうが」が、「合同防災訓練」を名目に入港しました。
10月25日、横須賀・横浜・木更津の各公共ふ頭には、観艦式に合わせて海上自衛隊各艦船が入港し、市民への公開や体験航海がおこなわれようとしています。
戦争のための艦船の日常的な入港や母港化攻撃を迎え撃つ、たたかう大きな戦線を早急に創り出していかなくてなりません。(神奈川県・EU)

上関原発
だまし討ちでブイ投入
10・7

原発予定地が長島の田ノ浦。約20km離れた田名埠頭に置かれたブイの搬出を、漁船・カヤックなどで阻止している(本紙前号4面参照)

「(7日)中国電力がブイを設置し、着工宣言をした」。8日、知人から電話をもらった。9月30日、10月1日と現地に行ってきたばかり。21日の埋め立て免許期限切れの目前、祝島漁民や支援の全力をあげた阻止行動が続いている最中の強行に、憤りを感じる。しかも、2日、「原発中止を求める署名」61万2613人分が政府・経済産業省に提出された直後にである(署名は今後も続けられる)。

卑劣なだまし討ち

急いでニュースを調べると、まったく卑劣なやり方だ。
7日は台風18号が接近。中電は、クレーン台船を田名埠頭〔下図参照〕に接近させたが、置いてあるブイ(鉄製小型灯台)9基を、台風を避けて陸地側に移動させ、「本日の作業は中止します」とした。
ところが、実は、同時刻に、まったく別の場所から運んできたブイ2基を、埋め立て予定地の田ノ浦に投入していた。
77年、三里塚(成田)空港建設の鉄塔撤去を想起させる「だまし討ち」だ。中電側は、「どこからブイを運んだのかは言えない」とうそぶいている。中電は即日、山口県に「着手届」を提出、受理されたとしている。山口県も「無事に着手できてよかった」とのべているという。なれあいは見えみえだ。

許せない中電の暴言

中電は、クレーン船を接近させながら、阻止行動をとる漁船・漁民に暴言をくり返してきた。
「祝島の独裁者(住民運動のリーダーことだ)のいうことを聞かないでください」「祝島の特産品だけで食べていけないでしょう。原発でともに働きませんか」(9月13日、鎌仲ひとみ・ドキュメンタリー映像監督の取材証言)。
この暴言については、9月30日の県議会で、佐々木明美議員(社民党)が、「県は、中電のこのような発言を承知しているのか。こういう中電の強行着工という企業姿勢を容認するのか」と追及している。さらに、中電の悪らつなやり方、暴言などについて、鎌仲監督による映像証言ビデオが作製されるという。

残りの設置はひと騒動起こる

9月10日から中電がブイ設置、着工の動きを始め、連日の阻止行動が続けられてきた。 住民・漁民は、「原発建設に住民の了解はいらないという中電の姿勢を暴露したもの。台風騒ぎにつけこんだ卑劣なやり方だ」と強く批判。「(田名埠頭にブイを置きながら別の場所から)こっそりと設置したのは許せない。こういうやり方をしてたら、残りの設置はひと騒動起こるだろう。今後も阻止態勢をとる」「とことん抗議を続ける」と怒りをあらわにしている。
ブイ2基の設置だけでは実質的な埋め立て工事は始められない。田名埠頭では、祝島漁民・住民をはじめ、カヤック隊、市民団体による粘り強い阻止行動が続けられ、仮置きされているブイ9基の搬出を阻止している。支援を強めよう。
25日(日)、午後1時30分から山口県熊毛郡平生町田名の田名埠頭で、反原子力デー2009「原発いらん! in上関(田名埠頭)集会」が、千人規模の全国集会として開かれる。(K・H)

【解説】山口県上関町に建設が計画される原発は沸騰水型軽水炉。137・3万kW2基という巨大原発。中電管内では柳井の火力発電所は休止しているなど需要は下がっており、関西方面への売電目的という。周囲は祝島、長島はじめ希少生物の宝庫と言われる地域。放射能汚染はもとより、毎秒約190トンの温排水により海域の水温は7度上昇と予想され、生物・環境への被害は大きい。もちろん原発政策の根幹には核開発がある。祝島、上関の漁民、住民は27年間にわたり着工を阻止している。

国鉄闘争勝利
関西サイクルキャラバン完走
10・5~9

出発集会で発言する佐賀、熊本の闘争団員(5日 神戸市)

「政府は国鉄労働者1047名問題の解決決断を! 非正規連帯! 俺たちを人間らしく扱え! 関西サイクルキャラバン」は、10月5日に、JR三ノ宮駅(兵庫県)を出発し、台風にも負けず、兵庫から京都、奈良、和歌山と走り、9日、新大阪の鉄建公団西日本支社前に戻ってきた。佐賀闘争団の大串さんと猪股さん、熊本闘争団の蓑田さんと西嶋さんが、5日間を走りきった。
5日の出発集会は、JR三ノ宮駅南広場で開催され、約50人が参加。熊本闘争団の蓑田さんは、「23年に及んだ国鉄闘争の解決だけでなく、派遣切りに象徴される非正規労働者との連帯行動、という二つの目的で取り組む」とキャラバン行動の趣旨を報告。蓑田さんの音頭で団結ガンバローをおこない、元気に出発した。

「敵よりも一日長く」

労働者人民の怒りで、自民党政権が打倒された。このことは、国鉄闘争にとっても新しい情勢を開くものになっている。
自民党は、「四党合意(2000年)」と「三与党声明(2002年)」で、国労と1047名闘争団・家族にたいして、「JRに法的責任なし」の承認や、採用差別裁判の取り下げ、闘う闘争団の統制処分・除名を求めてきた。
国労本部派は自民党に屈服し、その手先となって、闘う闘争団にたいして、生活援助金の凍結、物資販売活動の排除などの統制処分をかけてきた。しかし、闘争団と国労組合員は新たな共闘組織をつくり、闘う闘争団の結成と鉄建公団訴訟にたちあがった。自民党が四党合意から離脱し、破産する中で、鉄建公団訴訟は不屈にたたかわれてきた。
05年9・15判決以降、1047連絡会の結成、「四者四団体」などジグザグをへながら、闘争団の「敵よりも一日長く」のたたかいが、ついに自民党をうちたおしたのだ。
国労本部は、「人道的解決」を求めてきたが、それをいまこそ乗りこえていかなければならない。国家的不当労働行為にたいする謝罪と、闘争団の名誉回復を求め、「解雇撤回・JR復帰」めざしてたたかっていこう。

4面

【翻訳資料】
韓国労働社会研究所機関誌『労働社会』9月号
まだ終わっていない叫び「共に生きよう」
双龍車闘争の教訓と課題(上)
イ・チョンタク(産業労働政策研究所副所長)
翻訳=中村猛

韓国労働社会研究所機関誌『労働社会』などに掲載された重要論文の翻訳を、本紙に適時不定期で掲載します。
韓国労働運動は、「非正規大国=韓国」と言われるような激しい新自由主義攻撃との流血のたたかいをくりひろげてきました。また、反戦・反基地のたたかいを営々とたたかいつづけています。ここには、労働運動の戦闘的再生を求め苦闘している日本の労働者が学び、汲みとるべき豊かな教訓があります。それは韓国・朝鮮人民との連帯を築きあげていくための一歩でもあると思います。
翻訳は、日韓民主労働者連帯代表である中村猛氏によるものです。1989年、韓国・全北地域のアジアスワニーの女性労働者が日本資本による閉場・解雇通告を撤回させるために、日本遠征闘争に立ち上がりました。中村猛氏は、その支援闘争を契機に、以来20年間にわたり日韓労働者連帯のための活動を営々とつみ上げてこられました。この度、掲載を快諾して頂いたことに深く感謝致します。
そして読者の皆さんには、是非ともこの企画を、様々な形で活用していって頂きたいと思います。知り、学び、交流・連帯する中から、労働運動の国際的発展をともに勝ちとっていこう。この企画がその一助となることを願ってやみません。感想、ご意見など是非お寄せ下さい。

77日間の激闘
今回は韓国・平澤(ピョンテク)市でたたかわれた民主労総全国金属労組・双龍(サンヨン)自動車支部のたたかいです。
4月8日の2646人(全従業員7700人)の整理解雇発表から、工場占拠、それへの「枯死作戦」弾圧(食糧・医療支援禁止、断水、電気・ガス遮断)と〈決死抗戦〉など、争議は77日間に渡って激しくたたかわれました。それはILOさえ弾圧中止を求める声明を出すほどの苛烈さでした。民主労総は最大時1万人(7月25日)を平澤現地に動員してそのたたかいを支えました。論文は、そのたたかいの記録と「教訓と課題」を提起したものです。
「『解雇は殺人だ!』や『共に生きよう!』と言うスローガンはこれからも生きて、韓国労働運動を牽引するものと思います」(中村氏)。
「双龍車闘争の教訓と課題」を上・下の2回に分けて掲載します。引き続き「民主労組運動の新しい展望を求めて」の掲載を予定しています。〔編集委員会〕

金属労組双龍車支部が全面ストライキを宣言して工場を拠点とした日を基準にすれば77日、上海汽車が法定管理を申請した日からは210日に及ぶ双龍車労働者の闘いを、一言で評価するのは容易なことではない。極めて単純に「事実に基づかなければならない」という点からも、未だ明らかになっていない真実も少なくない。そして双龍車の工場占拠ストライキが終っただけで、リストラと双龍車の処理を巡る闘いは未だに進行中である。したがって、ある側面での闘いの教訓と課題を、今すぐに見付けようとするのは時期尚早の感がなくはない。
したがって、この文章では、77日あるいは210日の双龍車闘争の結果については評価しない。労働者がしなければならない闘い、経済危機のリストラと双龍車の処理のために、労働者、あるいは労働運動がしなければならないことは何かをもう一度確認し、残っている闘いの課題を今一度刻印することが、この文章の目的といえる。

資本と政権の過ちを被せられた労働者

双龍車闘争をキチンと見ようとすれば、今回の闘争が拡大した原因をキチンと捉えなければならない。双龍車問題のそれを見ると、今回の事態の原因は明らかだ。外形的には双龍車問題を引き起こした主犯は上海汽車だ。上海汽車は双龍車を2千億ウォンの現金で取得し(引き受け総価格は6千億ウォンであったが、4千億ウォンは貸付金で充当した)、各種の技術を確保し、車種の開発能力を確保するなど、数字の上だけでも2兆ウォン以上の利益を得た。それでも上海汽車は毎年3千億ウォンずつ投資するという約束は、全く守らなかった。このために双龍車はこの4年間、新車種の投入もせずにジッと耐えた。経済危機がやってきて、全世界的な自動車販売の減少が本格的になると、上海汽車は双龍車に対する政府の支援を要請し、これが拒否されると法定管理を申請するという巧妙なやり方で、危機状況の双龍車を奈落に追い込んだ。
上海汽車が双龍車問題を起こした張本人だという指摘については、多くの人が同意するだろう。しかし、双龍車の問題は本質的に「企業には主人がいなければならない」、「グローバル生産ネットワークに結合しなければならない」と言って、海外売却を強行した政府の政策のせいで始まった。政府は双龍車を上海汽車に引き渡したが、技術流出と投資回避に対しては何らの措置も取らなかった。「企業親和的な市場主義」が、上海汽車の「食い逃げ」と、無責任な行動をそのまま放置する状況を演出したのである。
10年前のリストラ方式をそのままに維持し、市場的なやり方を強化したことも、双龍車の問題をより一層深刻にした。労働者に企業危機の苦痛を転嫁し、大株主の持分は保障し、金融企業の債権はキチンと保障しようとする企てが、より一層強化された。市場親和的リストラという名前でこれらすべてのものが進められ、「人を切る」式のリストラは当然のことと見られ、滅びた企業の問題解決の鍵は「新しい引受け手の検索」にあるといった方法の政策が駆使された。これらすべてのことは金融債券団が主導し、政府は「不介入」と言って「市場」に全てを任せてしまった。

「解雇は殺人だ! 共に生きよう!」

労働者がこのような政府と資本のリストラを黙々と受け入れたとすれば、双龍車問題はこんなに大きな社会問題として登場しなかったであろう。双龍車支部は資本の苦痛転嫁の意図、すなわち人員削減中心のリストラ対策に強く反対し、「解雇は殺人だ」という主張と共に、「共に生きよう」という主張を前面に出して、本格的な対応を始めた。金属労組もこのような基調を土台に、「共に生きよう、国民生存! 総雇用保障!」というスローガンを採択した。
双龍車支部はまず労働時間短縮を要求し、減少した販売に対応する対策を提示し、夜昼交代方式を別の交代制に変える対策も検討した。そして上海汽車の責任を問う持分償却を要求すると同時に、政府の公的資金投入を要求した。これと共に、政府の公的資金投入に必要であれば、労働者の未払い賃金を産業銀行に担保として提供するという意志まで明らかにした。そして双龍車の正しい再生のための生産体制の革新と営業、A/S部門の強化対策までも積極的に提示した。双龍車支部のこのような行動は、かつて「リストラ反対、雇用保障」を提起しながら、整理解雇反対闘争に集中したのとは、全く違った対応方式だった。
金属労組も民主労総のレベルにまで問題を拡大して「自動車汎国民対策委」を構成すると同時に、政府と産業銀行、そしてメディアに対応し、「共に生きよう」という主張を本格化して世論を形成し始めた。
しかしイ・ミョンバク政府と法定管理人は、このような局面で「労使関係再編」を推進しながら、経済危機を労働者・民衆に転嫁する中心軸として、「労働組合抹殺」を露骨化し始めた。金属労組と双龍車支部の説得力ある代案と、訴える力のある提案に対しては一言半句も話さず、労働組合との全面戦争を選択した。双龍自動車労働者の77日あるいは210日に及ぶ闘いは、労働組合によって始められたというより、政府と資本によって挑発された側面が極めて大きい。もちろん労働組合はこのような挑発に乗ることを躊躇しなかった。
整理すれば、双龍車闘争は経済危機を労働者・民衆に転嫁する伝家の宝刀として振り回す人員削減リストラを巡る、労働と資本の激突と言える。労働側が「共に生きよう」という新しい提案を持ち出したが、資本は市場の独裁のために「労働組合抹殺」という超強硬手段を選択した。これでは労働と資本の衝突は避けられるはずもなく、小さくは双龍車の中で、大きくは労働組合と総資本の間で、退くことのできない闘いが始まったのだ。

武装した警備員と対峙する組合員(6月28日)
工場前で整理解雇粉砕決意大会(7月1日)

工場の塀を越えられなかった「共に生きよう!」
そして労働者相討ちの悲劇

労働者たちは77日間にわたって激しい闘いを展開した。77日間、政権の警察兵力と法定管理人の私兵(委託業者のヤクザ)に対抗して、塗装工場を中心に激しい闘いを展開した部分について、一言で話すのは難しい。77日闘争の当事者でない限り、誰でもその闘争自体についてあれこれ言いつらうことはできないと思う。しかし残念な思いは残る。
77日間の闘いにも拘わらず、交渉の結果はそんなに満足できるレベルではなかった。労働組合は総雇用保障を前提に出発したが、人的リストラの対象者が2646人という状況の中で1700人以上が希望退職を申請したため、総雇用保障は初めから、事実上崩れた状態であった。こうした状態で労働者が共に生きようとして始まった交渉は、いつのまにか「希望退職者を除く、整理解雇者などを救済する問題」にすり変わった。共に生きるが、工場を越えて地域に、地域を越えて全国に拡がることができず、むしろ工場の中に閉じ込められるような様相に陥ったのだ。
この過程で全く新しい問題が現れた。同じ企業で、同じ工場で、仕事をしていた正規職労働者たちが、自分の雇用の問題を抱えて、互いに元に戻せない傷を負わせたのである。人員削減の対象から除かれた労働者たちは、闘争の初期には工場占拠ストライキを闘っている労働者たちに対する申し訳ない思いを持っている様子が歴然としていた。しかし法定管理人が工場から出て行き、そしてその後に会社清算の可能性に言及したことで、「生きた者」と呼ばれる労働者たちの態度は日毎に変わって行った。外側の連帯組織に向かって「外部勢力」と呼び、ヤジと悪口を飛ばすのは朝飯前だった。工場の中では露骨な敵対が展開された。業者のヤクザだけでなく、共に工場に通い、兄弟と呼び合った者同士が、パチンコと鉄パイプを互いに振り回す事態が展開された。一言で言うと「同族相争う悲劇」が展開されたのである。
結果論に過ぎないだろうが、これは「共に生きよう」という趣旨の面目を失わせた。分裂と分断は、市場の体制の中で生き残る競争を強要する核心の構造である。そのために、当面した反リストラ闘争で、「共に生きよう」という、分裂と分断を越えようという、基調が主唱されたのだ。初期の対応では、双龍車支部と金属労組はこのような精神で、具体的な努力を傾けたといえる。しかし状況が展開すればするほど、労働運動と進歩陣営が、「共に生きよう」という基調をより一層確固たる原理として、闘いの中で体現するのは容易ではなかった。
77日間にわたった闘いが正当な評価を受けるためには、同士討ちの傷痕をなんとしてでも治癒しなければならない。資本と政権の民主労組抹殺の企みに対抗するためだけでなく、「共に生きよう」という闘いのスローガンを、労働者内部から実践することがなんとしても必要だ。〔次号に続く〕

【用語解説】

平澤(ピョンテク)市
ソウル南80キロ近郊の衛星都市。人口36万人。大自然に恵まれた豊かな大地に、市街地と農漁村が混在し、貿易港という美しい都市。近年、先進農業と先端産業を誘致。

双龍(サンヨン)自動車
レジャー車、高級車が得意の韓国第5位の自動車メーカー。主工場は平澤市。株の49%を中国・上海汽車が取得(04年)。

韓国労働社会研究所
1986年に設立され、現在の理事長はナム・サンホン氏、所長はキム・ユソン氏。研究所は、①労働者の目で見て、労働者の言葉を話し、②実事求是の精神で理論と政策を生産し、③時代を先導する専門性と能力を備え、④資本の世界化に抗する労働者の連帯を実現するための国際ネットワークを構築することを目指す、韓国最大のシンクタンク。日韓民主労働者連帯とは結成大会に、当時のイ・ウォンポ理事長が来日して列席されるなど、深い関係を持っている。

進歩陣営
民主労総、民主労働党などを始め、現政権に批判を持ち、反対・抵抗して運動する団体や勢力などを指す。

5面

安田派『綱領草案』の問題点(下)
レーニン革命論の放棄と
総括なき「レーニン主義回帰」

この小論の前半が公表されるのと同時に安田派中央から『綱領草案』(第四次)が公表された。後半では、これにもふれながら『綱領草案』(第一次~第四次)の問題点について明らかにしていく。

革共運動の総括の封殺ねらう

安田派『綱領草案』の問題点の第一は、5月会議提出時も含めて『綱領草案』(第一次~第四次)討論において、これまでの革命的共産主義運動の総括を封殺しようとしてきたことだ。
なお、彼らの『共産主義者』162号64頁からの「半世紀にわたる闘いの総括」の部分は、「25全総(第25回全国委員総会)」に参加した代議員が各組織に持ち帰った『第2報告』文書には含まれていない。本来、綱領的議論においては、06年3・14決起にいたる革共同中央の腐敗と変質(安田もその一人だ!)についての総括が不可避であるにもかかわらず、その点についての総括文書が出されていないのである。

『綱領草案』(第一次)が問題の核心

問題点の第二は、前半で暴露したように、「レーニン」はもちろん「労働力商品」すら単語として書かれていない『綱領草案』(第一次)をかかえて、彼らが7月訪米を強行したことである。破産したとは言え、その責任は安田はもちろんそれを承認した清水議長にもある。いうなれば彼らは「反レーニン主義」の“既遂犯”だ。

1917年レーニン5月綱領草案

問題点の第三は、レーニンがロシア革命において切り開いてきた理論的地平を破壊していることだ。レーニンは1917年ロシア革命の際、4月テーゼ発表後に、ボルシェビキ党綱領改訂草案を起草している。まずはこれと安田派の『綱領草案』を読み比べてほしい。(レーニン全集第24巻 484ページ『党綱領改正資料』参照)
レーニンのボルシェビキ党綱領改訂草案は、その後の7月反動などによって党綱領改訂の正式な手続きができないまま10月蜂起にいたるのだが、当時の革命情勢において革命党が労働者人民に提起すべき綱領的見地について簡潔かつ平明に書き上げている。1917年5月当時、ボルシェビキはソビエトにおいて多数派ではなかったが、この改訂綱領の内容をロシアの労働組合と各地域ソビエトに正面から提起し、支持を広げることに成功した。いいかえれば、本来綱領とはそのような性格のものなので、安田派のように内向きに「党と労働組合の関係」をこねくりまわすようなことは、当然にもレーニンはやっていない。
実のところは、安田派の『綱領草案』は中枢危機に動揺する組織内部のタガはめのためにつくられたものなので、労働組合などの大衆団体に提起するようにはつくられていない。彼らの『綱領草案』が真に「革命党の綱領」としてつくられたものかどうかは、この『綱領草案』を安田が動労千葉(労働組合)に正面から提起できるかどうかで検証されるだろう。

帝国主義論とスターリン主義論での破産

以下、綱領に書かれるべきもので、安田派『綱領草案』から欠落している内容を、紙面の都合上二点だけとりあげる。
安田派『綱領草案』の内容的破産の第一は、帝国主義論において「金融資本」「銀行」「独占」の概念が蒸発してしまい、帝国主義規定が「最末期の資本主義」程度に退化していることである。
この前提で「新自由主義」を論じた結果として、「新自由主義」を「民営化と労働関係の規制緩和攻撃」として一面的に捉えてしまっている。
必然的に、彼らが定義する「労働者権力」は「職場での労働者支配と警察・軍隊の解体」を観念的に確認するものとなり、レーニン5月綱領草案で提起されている「重要物資の生産と分配に対する国家的、社会的統制を必要としているので、党は、銀行、シンジケート(トラスト)等々の国有化を要求する」(全集24巻501頁)という具体的重要課題を欠落させている。これではポルポト派の二の舞いだ。
安田派『綱領草案』の内容的破産の第二は、スターリン主義を美化していることだ。
彼らの『第四次綱領草案』の(四)では、以下のように書かれている。
「ロシア革命後、1929年大恐慌から第二次世界大戦を経て21世紀の今日に至る歴史は、危機を深める帝国主義が、スターリン主義の裏切りに助けられることで労働者階級の相次ぐ革命的決起を圧殺し、延命に延命を重ねてきた歴史である」
わかりにくい文書だが、よく読めば「帝国主義が労働者を圧殺した」「スターリン主義は裏切って助けた」となっていることは明白だ。だが、「一国社会主義論」をもってその完成形態をとったスターリン主義は粛正テロルをも含めて一貫して労働者人民への積極的反革命である。「裏切り」一般を批判するだけではスターリン主義の美化としか言いようがない。
これは、60年安保ブントが日本共産党スターリン主義に向かって「裏切るな」と要求したブント式「裏切り史観」と同根である。
清水議長が『第四次綱領草案』に関する『党史』において、「安保ブントは・・・、プロレタリア世界革命と暴力革命の基本路線に立脚した運動をつくりだす革命的決意に燃えて出発した。実際にブントは60年安保闘争の主役を担い、巨大な大衆運動をつくりだした。このことをいささかも過小評価することはできない」(安田派『共産主義者』162号67頁)と、書いていることとも合わせて、『第四次綱領草案』は、清水議長の「ブントへの原点回帰」文書と言えるのである。
以上の他にも、「全人民武装」を提起しない問題、「天皇制打倒」を語りながら「部落解放」がない問題、「民族自決権」と「民族教育と公用語の強制廃止」が抹殺されている問題、農業問題解決の経済的基礎を曖昧にして「農民とプロレタリアートの連帯」にすりかえている問題、など各論的に批判していく必要がある。綱領論争でさらに安田派を追い詰めよう。

「在特会」のデモに反撃
10・10大阪

集会には200人があつまった。デモ時にはさらに増え、250人となった(10日 大阪市内)

外国人排斥を煽る排外主義団体=在特会(在日特権を許さない市民の会)が、10日、大阪で御堂筋デモを強行した。
この暴挙をまえに、ただちに「外国人排斥を許さない10・10関西緊急行動実行委員会」がたちあげられ、参加・賛同を募るアピールが発せられた。賛同は、最終的に314の個人・団体から寄せられた。
当日は、在特会のデモより先に、同実行委による抗議集会が、正午から日本橋電気街の近くにある愛染(あいぜん)公園でひらかれた。1時からデモに出発。日本橋から御堂筋へ進み、大阪の繁華街ナンバまでデモをした。
デモ終了後、ほとんどの参加者が残り、3時から在特会デモにたいする抗議行動を御堂筋でおこなった。在特会デモコースの途中3ヶ所に抗議部隊を配置。部隊は、街頭宣伝をやりながら待ち受け、在特会デモ通過時には徹底的な抗議の声をたたきつけた。沿道をゆく人びとも関心が高く、たちどまり、あたり一帯は騒然となった。在特会は警察権力に守られ、権力の後方から差別言辞をまきちらしながら通過していった。
在特会は、この日のデモを全国リレーデモ(札幌、名古屋、東京、福岡、大阪)のファイナルとして位置づけ、全国各地から動員をかけた。在日の人びとが多数在住する大阪を意識的に焦点にしたものだ。
生活苦、社会不安の原因を在日の人びとや外国人に向けるデマ扇動を許さず、粘り強くたたかっていこう。

6面

狭山第3次再審闘争が最重要局面に
10・25 狭山中央闘争へ

部落解放同盟全国連合会・狭山支部通信『道標(みちしるべ)』(9月 第2号)に掲載された10・25狭山中央闘争と検察への要請行動を訴える文章を、転載します。〔編集委員会〕

門野退官と棄却策動

みなさん、今秋、狭山第3次再審闘争は最重要局面にはいりました。全力を挙げて取り組みを開始しましょう。
わたしたちは、狭山第三次再審闘争が、東京高裁・門野裁判長の2月退官前に棄却決定を出そうとする策動との、ギリギリの攻防局面に入ったという認識をもたなくてはなりません。
この門野という裁判長は、狭山事件を担当するために名古屋高裁から東京高裁に赴任した裁判長です。何も決定しないまま退官するということはありえません。そして現在にいたっても、なに一つの事実調べも行われておらず、また検察が隠している証拠の開示もありません。つまり、退官前の決定とは、再審棄却以外にないということです。わたしたちは、このようなことは断じて許すことはできません。

三者協議の開催

9月10日、「三者協議」が開催されました。この「三者協議」とは、裁判長、弁護団、検察の三者によって行われる裁判をどのように進行させるのかという協議で、通常の再審事件においては頻繁に行われています。ところが、狭山事件においては、77年の第1次再審の申立の直後に開かれただけで、その後は第2次、第3次もふくめて一度も開かれていなかったのです。
しかし、石川一雄さんを先頭にした不屈のたたかいが、これを、ついに開かせたのです。いま足利事件でのデッチあげの劇的な暴露をはじめ、氷見事件、志布志事件など数々の再審事件で警察、検察のデッチあげが暴かれ、裁判所、検察、警察が国民的な怒りで包囲されているという状況といえます。つぎつぎと権力犯罪が暴かれ、裁判所に国民の批判の目が鋭く突きつけられているのです。
このような中で開かれた三者協議で裁判長は、弁護団が要請した〈「殺害現場」でのルミノール反応報告書など、検察が隠し持つ証拠の開示〉について、検察にたいして「10月末をメドに、それらが実在するのかどうか回答せよ」と指示しました。また、「第2回目の協議を12月に行うこと」が確認されたそうです。
門野裁判長は、来年2月の定年退官が決まっています。このまま検察による証拠開示が行われれば、門野裁判長による退官前の棄却策動を打ち砕き、狭山第三次再審闘争の勝利をこじ開けていく決定的な突破口となります。しかしそれをやすやすと期待していてよいのでしょうか。私たちはこの三者協議は、「通常の再審裁判手続きを踏んだ」という棄却のためのアリバイづくりではないかとの危機感がひしひしと募ってきています。12月に予定されている次回の三者協議にいたる期間が、狭山第三次再審闘争の行方を決する重要なたたかいなのです。
狭山再審闘争は決定的な決戦期に突入しました。1977年の再審闘争開始いらい30年ぶりとも言える、勝利をこじ開けていく大きなチャンスが到来したのです。いっさいを決するのは、この期間に、わたしたちがどういうたたかいをするかにかかっているのです。

再審の門をこじ開けよう

こうした情勢にたいするたたかいの方針の第一は、10・25狭山中央闘争へ全力で総結集することです。
10・25は、証拠開示をめぐる10月期の攻防の決定的な時期とかさなり、したがってもっとも緊迫した、狭山第3次再審闘争においてもっとも耳目が集中する決定的ときに、10・25中央闘争(10・26要請行動)がたたかわれるのです。
全国の部落のきょうだい、たたかう労働者のみなさん! 10・25中央闘争に結集し、狭山闘争の新たな発展の出発点にしようではありませんか。そして10月末までの期間、検察(東京高検)にたいする証拠開示要求のたたかいをやりぬきましょう。

検察に電話・はがきを
第二は、「証拠を開示せよ」という要求を、すべての部落大衆と労働者の手で、ありとあらゆる形で、検察につきつける取り組みを行おうということです。
とくに重視したいのは、電話、はがき等による働きかけです。これは、誰でも、どこにいても取り組めるものであり、しかも直接、自分の声で自分の気持ちを伝えるものです。声もニュアンスも違う、幾万の人々の糾弾の声を検察につきつけ、わたしたちの手で証拠開示を勝ち取るたたかいです。
全国の部落のきょうだいのみなさん、労働者のみなさんは、ともにとり組んで下さい。

毎月の要請行動
第三は、当面、年内に、東京高裁、および検察にたいする要請行動を波状的に強化します。10・26の要請行動につづいて、11月17日、12月初旬と、毎月、要請行動をいれたいと思います。部落のきょうだいと労働者の力によって、年内棄却策動を粉砕し、再審の門をこじ開けましょう。〔見出しは編集委員会〕

電話・はがき要請先

東京高等検察庁 狭山事件担当検事
○電話 03-3592-5611
○はがき 〒100-8904 東京都千代田区霞が関1-1-1

第36回ノッカマップ・イチャルパ
処刑されたアイヌ蜂起指導者を追悼

ノッカマップとは、根室半島にある地名だ。イチャルパはアイヌ語で儀式の意。9月19~20日に行なわれたイチャルパに、今年も東京から3人が参加した。
1789年、フランス大革命と同年、北海道最東部とクナシリ島のアイヌが、江戸の商人・飛彈屋の被使用人らを襲撃して蜂起。この蜂起に根室地方(メナシ地方)のアイヌも呼応し、メナシ地方の飛彈屋の被使用人らを襲撃し、計74人の和人を殺した。
飛彈屋は、この地方の交易権を松前藩から受けて、北海道最東部とクナシリ島に入って、エゾマツなどの物産を本州方面へ運んで巨利をあげていた。そして、アイヌを激しく虐待していた。それは大変な惨状であった。
このアイヌの蜂起に対して、松前藩が鉄砲隊を派遣してきたことなどから、アイヌの長老が蜂起軍に対して降服を進め、松前藩の隊長は降服したアイヌ蜂起軍に対して蜂起の指導者を差し出させ、計37人の指導者をノッカマップの地で殺害した。クナシリ蜂起とはごく簡単に言えばこういう事態である。
このクナシリ蜂起で処刑された37人の指導者を追悼する儀式が、ノッカマップ・イチャルパだ。
36年前、アイヌ解放同盟の故結城庄司さんと『アイヌ民族抵抗史』の著者、故新谷行さんが、ノッカマップの地をさがし、阿寒湖のアイヌの長老山本多助エカシらの協力で、追悼のイチャルパを開催し、現在に至っている。現在は、ウタリ協会根室支部が主催し、阿寒湖の秋辺今吉エカシ、沢井進エカシの協力で行なわれている(エカシは長老の意の尊称)。
この1世紀半、和人の抑圧と差別と収奪で、ほとんど絶滅の危機さえ考えられていた日本の少数民族アイヌ民族は、少しずつ、不屈のたたかいの中から、アイヌの主体性を取りもどし、アイヌ語を復活する努力が行なわれ、アイヌの伝統文化とアイヌの自然主義イデオロギーを復活する努力が払われている。戦後その先頭に立ってきた一人が結城庄司さんだ。
和人の側からも70年7・7を経ることによって、このアイヌ民族のたたかいに連帯し 共にアイヌ民族解放運動に前進しようとする動きも出てきている。(投稿 元アイヌ解放研究会 斉藤信明)

カムイノミ(神々への祈り)