また、意図せずしてブログを燃やしてしまった。自分にとってブログとは、ある意味で家のようなものなのに。深い諦念を抱いて、おれは旅に出た。
傷心路線鶴見線。鶴見は母が幼いころ過ごした土地である。それは関係ない。「浅野」は浅野中学高校に関係があり、実はおれの血族とも関係があるが、おれは「浅野」には入れなかった。それも関係ない。
わりと早く起きた。本数が少ないとはいえ、とりあえず鶴見に行けばいいと思った。思い違いであった。鶴見線は甘くない。
おれの目的地とは違う浜川崎行きの電車が出る。次は一時間後だろうか。ひとりのおばちゃんが小走りで自動改札に向かう。が、無情にも電車は扉を閉め、発進したところであった。おばちゃんはなぜか振り返っておれの方を見た。そのときの心の言葉を言葉にすれば以下のようになろう。
おばちゃん「どうすればいいの!?」
おれ「知らんがな」
さて、おれの目的地というのは海芝浦駅である。東芝の私有地であり、関東の秘境駅と呼ばれる駅である。「改札口から外へは出られません」という脅威の駅なのである。いやはや。
しかしまあ、おれには確認が足りなかった。見張りが足りなかった。『うつヌケ』にはところどころツッコミ役がきちんとツッコんでいるし、奥付の一番上にはこんなことが書いてあった。
※本作品はうつ病を脱出した人を取材し、その体験談をドキュメンタリーコミックとしてまとめたものです。描かれている内容は、あくまで個人の体験に基づいた感触、感想で、治療法ではありません。(編集部)
本を出してる方だってわかっちゃいる。わかっちゃいるのはわかっちゃいるけど、それでもやっぱり……ってことがあって、ちょっとカッとなっちゃたんだ。なんかサンプルに偏りはねえか、と。
ちなみに、おれに文才があるだのいう人は、澁澤龍彦とか東海林さだおとか読んで悶絶すればいいと思うよ(この二人の名前を並べるのはおれくらいかもしれない)。
それから、自立支援なんとか制度については考えてはいるよ。でも、いくらおれが生活が苦しいと言ってもかかりつけの医者の方が切り出してこないことから、「なんか適合しないのかな」と思って、こっちから言い出せないでいるんよ。でも、あからさまに会計時に「ちょうど、おれの三分の一だ」という患者さんがいる(小さい医院なのでわかってしまうのです)ので、今度聞いてみるよ。
終点というものは常に美しい。
これに乗るために来た。
会話ない車内の空気は? 休職についてだけれど、おれは大うつ病性障害ではなく双極性障害II型というやつで、振れ幅の狭い躁鬱病といったらいいのか、ともかく、そういうものなんだ。急に天皇陛下の親戚だとか言い出したりしない代わりに、ひたすらに鬱状態が続く。それも、軽い鬱状態が続く。薬(オランザピン)を飲んで、振れ幅を安定させて、低空飛行を続ける。仕事を一定期間休んだところで、低空のまま帰ってくるだけ。そこが「大うつ病性障害」、いわゆる鬱病とは違うところなんだ。……というのは素人が医者とそれなりに長いあいだ会話してきたり、本から学んだりしたこと。この病、というより障害は、今のところ薬物で完治する方法はない。ちなみに、『うつヌケ』でも「突然リターン」という表現で語られているので、鬱病の方もそうかもしれないのだけれど。
職場。これについては、もう、金が出ない代わりに、双極性障害の数々のマイナスを見逃してくれている、というところに尽きる。朝、動けなくて、ちょっと遅れても当たり前だし、さすがに連絡は入れるが半日出られなくてもとくに触れられない。一ヶ月に一度精神科医に行くのに二時間くらい抜けるのも許容されている。病気か性格かわからぬが、急に暴君のように振る舞ったりしても流してくれる。少なくともそうは思える。ともかく最低限の生活ができるかぎりは、この度量に甘えたいというのが本音である。
生活保護。これについてはどうだろうか。なんとも寿町あたりにいると、「おれどころではないだろう」という思いが強くなるばかりで、行政の門前払いだのなんだの糾弾するつもりもないが、とてもじゃないが、おれ程度では受給されないだろうというところだ。どんなにひどい様相のじいさんが歩いたり、立ち止まったり、寝転んだりしていることか。それでおれに「働けるでしょ」と言われれば、「はあ、一昨年まで何年間かはおたくの市の広報をhtml化していましたし」となるわけで。どうにも双極性障害II型というのは中途半端だ。I型くらい人間としてのメーターを振り切ってしまうのであれば、保護を受けるに値するように思えるが、そこまでじゃないんだ。そこが辛い。
運河いうは人が造りしものやな。
そして海芝浦駅からの眺望。
付設された公園。同じ電車に乗ってきたと思しき小学生高学年男子と思しき人がコンビニのざるそばと思しきものを食っていて、汁はどこに捨てるのだろうと思ったりする。しかし、世界の果ての公園があるとすれば、横浜港シンボルタワーか、ここだな。
雲の合間から海の一部を照らす光。
ジェイコブズ・ラダー。ヤコブが軌道エレベーターで月まで行ったとか行かないだとか、そんな話だろうか。月人も天使も降りて来なかったけれど。
ヤコブも、月人も、天使も。
そして、乗ってきた電車で鶴見に帰る。これを乗り過ごせば、あの小さな公園で凍えながら1時間45分待つことになる。
いざ、さらば。
車窓から、船。
おお、いくらブログが炎上しようと、おれは書き続ける。それしか能がない。それを能というのであれば能ということにしておいてくれ。そばを食っていた少年は国道駅で降りた。かれには二度目の鶴見駅は必要なかった。通の人である。おれには能も通もカーもないが、それでも死ぬのが怖いから、今しばらく行きていていいですかね。
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国道駅には自転車で行ったことがあった。たしかに国道沿いにある駅ではある。