タイトルの通り,声優の推し方について本日勢いでnot声優オタクについて語ったことについて綴ってみる.
この記事を書いている今,まさにお酒が入っているが正直酔っている時じゃないと,声優の推し方なんて恥ずかしいことについて語れない.
成人していてお酒を嗜む人間はわかると思うが,この記事に関して私の言説は全く効力を持たない.ただの酔っ払いの戯言だと流して欲しい.
まあ思うがままに書いていこうと思う.
声優を推す姿勢,これが本稿の議題であるがそれは人によって様々だと思う.
結局当たり障りのないことを言ってんじゃないか,という意見は甘んじて受け容れるが,当然声優,延いては人を好きになる理由は千差万別であるだろう.
顔が好き,演技が好き,ラジオでのべしゃりが好き,トークイベントでの立ち居振る舞いが好き,声が好き,曲が好き,その声優が関わっているコンテンツが好き,その声優のキャラが好き,などなど枚挙に遑がない.
別に私自身その声優を推す姿勢に関して物申す権利もないし,別に好きにすればいいと思っている.
ただ,私自身声優を推す最も適している姿勢(推し方と言っても間違いではない)は"好きな声優が声優として目指している未来,夢,進んでいきたい道というものが,自分がその声優に求めている理想像"と一致していることだと考えている.
声優が目指している方向と,自分がその声優に求めているものが一致すればこれ以上に気持ちのいい声豚人生はないと思う.声優が為すこと全てが自分の一番気持ちのいいことなのだから.
この"声優の目指すべき道"と"自分が声優に求めるべき道",これが乖離した時,声豚は初めてその声優を推すことに疑問を持つと思う.
これは当然だと思うし,誰しもが経験したことがあると思う*1.
正直,私はこの声優と自分との乖離がいわゆる他界を産むと思っている*2.
この乖離は当然のことだと思うし,それを受け容れて初めてその声優を理解したということになると考えている.そもそも自分が声優に"こう在ってほしい"というのはオタクのエゴであるし,そんなことを考えること自体が不遜である.まあこの考えを抱くのは自我を持っている声豚としては至極当たり前のことではあるし,脳死で声優の全てを受け容れるよりはよっぽど健全である.
声優のどういった面を推すべき*3といった議論は正直何も産まないし,前述した想いと相反する矜持で声優を推しているオタクも無数にいると思う.それを認めた上で私はこの"声優の考えている自分自身のキャリアパス"というものを最大限に理解し,それに沿った形で声優を応援し,推していく姿勢というものを大事にしたいと考えている.
振り返ってみるとめちゃめちゃ恥ずかしいことを記事に書いているし,これを書いている間に多少酔いも冷めてきた.まあ自戒という意味で残しておこうかと思う.