人は人を笑わせることで幸せになる。女性が男性に比べてよく笑うのも幸せな人が多いということだ。自然科学研究機構生理学研究所は、人が人を笑わせたとき、脳内のほめられたときと同じ部位が反応することを解析した。つまり笑わせた人は幸福感を得られるということだ。
なぜ僕は「笑わせること」を恐れないのか
私はつねに人を笑わせようとしている。私は人を笑わせたいとそればかり考えている。会社で働いているときも、家にいるときも、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、冠婚葬祭すべての行事でも、今までの人生で毎日毎晩、笑わせようと考えている。しかしその努力も虚しく、誰にも笑ってもらえないときは死にたくなる。だが、再び蘇る。不死鳥のごとく。それはなぜか?それは人を笑わせたいからだ。あなたは今日、誰かを笑わせましたか?
なぜ僕は「すべること」を恐れないのか
笑いを積極的に取ろうとすると必ず「すべること」に直面する。これが悪化すると他人とコミュニケーションを取ることが億劫になってくる。ギャクを言う→すべる→ギャクを言う→すべる。この無限ループに陥ってしまうと、もう死んじゃう!とか、ツイッターに書き込んでしまう人もいる。そんなこと書き込むくらいなら渾身のアメリカンジョークでも書き込んだ方がいい。
例えば、こんなジョークはどうだろうか。
「ジェーンがまた死にたいって言っているよ。全く困ったもんだ」「そういえばジェーンの誕生日、明日じゃなかったっけ?」「おっと、忘れるところだった」「プレゼントはもう決めた?」「ああ、そうだね!プレゼントは、ロープと拳銃にするよ」
自殺ジョークだが、シュールすぎて笑えないだろう。つまり私は他人にどう思われようと「すべること」を恐れないのだ。なぜ僕は「すべること」を恐れないのか?それはどうやら私の脳に問題があるようだ。
まとめ
ネットでは他人を叩くことで快感を得ようとする人がいるが、それは誤りだ。人が人を不幸にすることで人は幸せになることはできない。人は人を笑わせることで幸せになるのだ。コミュニケーション障害は雑談が苦手だ。雑談とは笑いだ。人を笑わせることが苦手な人が多いということだ。
私などよく女から「つまらない」とか、無視されることも多いが、気にしない。なぜ気にならないかと言えば、話し終わった段階でもう次に話すおもしろ話を考えているからかもしれない。それが本当におもしろいかどうかは知らないけど。
余談だが、私は独り身なのでしゃべる相手がいない。最近の私の笑わせたい欲求はお店の店員さんに向かっている。店員さんはこんな私でも親切に話し相手をしてくれる。つまり私は街の迷惑おじさんなのだ。ははは、どうだ参ったか。