仲間たちのつぶやき                                  

  

        タイプ4の子を持って

              by シャコンヌ

 私は、今年、高校に進学した息子を持つ母親です。幼少期から息子を全く理解できず、深い悩みを抱えておりました。ある時、知人の紹介でエニアグラムと出会い、「自分のこと、息子のこと」を、深く見つめ直す作業を突きつけられたのです。

 私の息子は「タイプ4」でした。タイプ4を学び、理解を深めるようになり、接し方が変わったためなのか、息子は少しずつ心を開いてくれるようになりました。
そこで、現在に至るまでの息子との軌跡を書いてみます。
 

 幼少期、息子はとても怖がりでした。公園に行くと砂場に行けず、ブランコも恐ろしくて、とうてい乗れません。同年齢の子どもたちと遊ばせたいと思っても、私の後ろに隠れてしまう有り様です。強要すると、おびえて私にすがりつくので、二人きりで向き合う日々が続きました。家の中では、ブロック・積み木・お絵
描きなど、私が止めないかぎり、幾時間でも一人で遊び続ける子どもでした。

 私は息子にもう少し活発になってもらいたいと、切に願っておりました。そこで、同年齢の子どもを持つ母親に近づき、親子ともども自宅に招きました。しかし、子どもたちは、それぞれが違うオモチャで遊び、一緒に遊ぶということは、あまり無かったように思います。

 その頃、TVでは男児向けの変身物シリーズが流行っており、放映されていました。しかし、息子は怖がって見ようとしません。とりわけ怪物が出てくる格闘シーンが大嫌いでした。なお、同じ頃に「ドラえもん」との出会いがあり、高校に行くようになった現在まで、こよなく愛し続けています。「このアニメに、どれほど心を癒され、救われたかしれない」と、息子は後になってから、私に告げました。
このように息子はおとなしくて、少しの変化や、刺激にも対応できない怖がりな幼児でした。

 幼稚園に入園してからは、心配していたとおり、遊べる友だちは一人もできず、他の子たちが遊んでいる内容も、全く理解出来なかったようです。先生の目に止まるまで、息子はひたすら粘土をこね、絵を描いて過ごしました。クラスの子にいたずらをされると、泣きもせず、ただ、固まってふるえるだけの子どもだったのです。そのことが災いしていたのか、卒園の頃には、いじめの絶好のターゲットにされていました。

 小学校にあがっても、やはり、いじめに遇って、親子共々に、心を悩ませる日々が続きました。そして、授業中も、ボーとしているだけで、何も学んで来ません。仕方なく、学業に遅れをとらぬようにと、私が教えていました。

   ニ年生になったある時、担任教師から自宅に電話がありました。授業中、息子はいつもボーとしているので、担任が「なぜか?」と訊ねたそうです。息子は「頭の中でドラえもんのテレビを見ているから」と答えたと聞いています。その担任から「お母さんからも、授業中だけは、頭の中のテレビのスイッチを切る様に伝えてください」と言われました。

 その件で後日、息子に訊ねたら、「学校というところは、バカにされたり、いじめられるところで、何一つ理解できるものが無かった。それをたとえるなら、自分一人だけが、言葉の通じない外国に、ポンと置き去りにされるようなもので、だから、空想に浸り、自分を守るしかなかった」と、当時を振り返りつつ答えてくれました。

 息子には友だちが無く、学業も振るわず、運動も苦手でしたので、五年生の担任教師から、学級運営のジャマモノのように扱われました。私は、毎晩のように夜泣きする息子を見かねて、学校へ相談に行きました。しかし、担任からは「息子さんは、自分とクラスメートの足を引く存在なので、なんとかしてくれ」という
趣旨の内容を告げられました。

 後から知ったのですが、担任は息子を「鍛える」と称して、クラスメートからのいじめを承認していたのでした。息子は抜け殻のようになって、生気が全く有りません。オドオドした雰囲気がひどくなり、小動物のするようなビクビク状態となり、チック症状も出て来ました。

 
私は、この担任への相談をあきらめ、隣のクラス担任に相談を持ち掛けました。その教師は私の母心に共感して、その学年が終わるまで息子を見守り励ましてくれました。六年生になり、幸いなことに、その教師が担任となったので、息子は少しだけ自分を取り戻せたそうです。そのせいか、小学校生活を楽しんでいる様子を、私は初めて見ました。

 息子は小学校低学年の頃より、熱心にゴジラ映画を観ていました。そして、高学年の頃には周囲の子どもたちから、いつのまにか「ゴジラオタク」と呼ばれるようになりました。また、息子の記憶力は低いのか、勉強となると少しも憶えません。しかし、ゴジラに関連したものとなると、俄然、記憶力がアップします。ですから、彼の頭の中にはゴジラに関する知識が膨
大に詰まっているのです。また、ゴジラと並行して、ゴジラ映画に出てくる「自衛隊」と「武器」にも興味を持ち始めました。どうやら、この三つの趣味を心の拠り所に、息子の中学生活が始まったのです。

 丁度、その頃に、私はエニアグラムと出会いました。夫と私は幾度も「息子と学校」について話し合いました。その結果、今までの自分たちの「学歴信仰」に、大いなる疑問を持ったのです。それは、私たちの価値観をくつがえすもので、それまで疑うことのなかった自分自身の生き方を振り返るきっかけともなりました。

 その後、息子に対して、この世の中は「失敗しても許される」「心の自由も許される」「いつでも、やり直しがきく」と言い続けました。そして、「どんなことが起きても守り続けるから、マイペースで、自分を生かす道をゆっくりと模索してほしい」とエールを送り続けたのです。

 気がついてみると、小学校の時に、あれほど低迷していた学力が徐々に伸び始めました。そうしているうちに、中二の時、理科の「人体」に興味を持ち出して、テストで学年トップを取ったのです。このことが契機となり、やれば出来ると感じたのか、自信につながったようです。息子が言うには「自分に余裕のないときは、学校に居る! という恐怖にすべてのエネルギーが吸いとられ、勉強にまわすエネルギーがなかった!」そうです。「母さんがエニアグラムに出会い、自分が真に理解されたと感じた時から、少しづつ余裕が生まれ、勉強が頭に入る様になったのかもしれない」とも言いました。


 さて、高校受験の年になりました。進学希望の息子は、進路を決めるにあたり、消去法を使ったのです。まず、普通科を消し、工業科を消し、最後に残ったのが「農業科」でした。しかも、彼には条件があったのです。それは、「遠距離・自宅通学」です。「同じ中学のヤツら誰一人いないところで、学校生活をやり直したい。もし、一人でも僕を知っているヤツがいては、この計画が潰れるので、うんと遠い学校にした」・・・こうして、息子の強い意志で進路が決まり、現在、希望通りの高校に通っています。
 

 ところで、タイプ4の息子にとって、この世の中のことは疑問だらけで、頭の中は「Why?  Why? Why?」で渦巻いているところがあるようです。しかも、その疑問が解決されない限り、次の一歩を踏み出せなかったのです。 たとえば、算数では0より下のマイナス概念がどうしても理解できず、マイナス式の出てくる小学校三年以降、進度が停滞ぎみになりました。

 また、五年の時、「地球と太陽のどちらが大きいか?」と教師から質問された時に、彼以外のクラスの全員が「太陽!」と答えました。しかし、息子だけが「地球!」と言い張ったそうです。「みんなは、宇宙船に乗って宇宙空間で、太陽と地球を比べたのか!僕の目には、絶対、太陽の方が小さく見えるよ、みんな、おかしいよ・・・」

 その時、母親である私は「そういうものなの!屁理屈こね回さないで!」と、息子の素朴な疑問に誠実に答えていませんでした。振り返ってみると、反省することばかりで、息子に申し訳ない思いで一杯です。

 息子は、誰にも理解されず、世の中のことすべてが理解できず、私から見ると、魂が半分抜け出たかのようでした。存在感などカケラも無く、ボーと空想ばかりに浸っている姿が、今だに私の脳裏に浮かびます。息子が「今だから言うけど・・」と話してくれました。「実は、僕には小さい時から、僕の中にもう一人のお友だちが住んでいるんだ。悲しかったり、苦しかったとき、その友だちが必ず出て来て、僕を慰めてくれた。その子とずっと一緒に遊んで来たんだよ。今でも呼べば出て来るけど、ここんとこ、ずーと会ってないな・・・」 
   


 
その息子も、今では両親の理解を得られ、ありのままに自分を受け入れられたと感じているようです。我が家を拠点に、この世の中に自分のテリトリーを少しづつ広げつつあるのが、頼もしい限りです。第一に嬉しいのは、「楽しもう」とする気力が出て来たことです。

 唐突ですが、タイプ4w5に当たる芥川龍之介の小説「河童」には、出生時「生まれたいか? 生まれたくないか?」という子どもの意志を問う場面があります。そこから見るなら、息子は「子どもの意志など無関係で、生まれさせられた」と感じているのではないでしょうか。なぜなら、ある日、私に「出来ることなら、生まれたくなかった」と語ったことがあるからです。そんな思いのある息子とは知りませんでしたが、この先、息子が求めなくなるまでは、そっと後から見守って行こうと考えています。  

 なお、10月15日は息子の16歳の誕生日でした。彼の望んだプレゼントは、なんと「母親と二人だけの電車の旅」でした。その計画を聞かされたときは、うれしくて涙が出てしまいました。四年前、親子ともどもに理解し合えず、苦悩にまみれた日々を思えば、「奇跡」と呼びたいような出来事です。偶然にもエニ
アグラムと出会えて、息子も私も救われました。「エニアグラム」に、そして素晴らしい「偶然」に感謝します。