カルマの法則1――アンマ
人生・魂を救済するガヤトリー・マントラ
世界の困難
リサ・クリスティン:現代奴隷の目撃写真
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地獄1・2では、他人の命を躊躇なく奪ったり、詐欺をして人生を破壊したり、また快楽や欲望のために多くの痛み苦しみを与えてきたような魂の落ちる地獄の深い領域についてを取り上げてきましたが、こちらでは最後に、地獄の一歩手前に位置する煉獄についてを取り上げたいと思います。煉獄は、地獄に行くほど罪の大きくない人たちが行く、地上と地獄の中間の世界だと言われています。
18世紀ドイツのアウグスチヌス会修道女アンナ・カタリナ・エンメリック(1774~1824年)は際立った幻視能力で有名です。映画『パッション』の原案(管理人注:聖書に記述されているものよりも遥かに凌駕するイエスの受難――魔に捕われた人々の残虐な行為、そして人間イエスの苦悩、葛藤――の詳細な描写は必見です)を提供しただけではなく、取次ぎの奇跡が認められて、最近福者に列せられました。彼女はドイツの修道院から一歩も出ませんでしたが、幻によって見える世界と見えない世界に通じていました。最初の幻は6歳にさかのぼります。
「6歳の頃、『われは天地の創造主、全能の父なる天主を信じ』という使徒信条の最初の節に黙想していたときに、天地創造についての数限りない映像が、霊魂の前を通り過ぎた。私は、天使界の堕落、地球と楽園の創造、アダムとエバの創造、人類の堕落を幻に見た」
しかし、幻の内容は教会で教えられていることとはずいぶん違っていたとも言っています。
エンメリックは1812年からキリストの受難を身に受ける「聖痕現象」を経験し始めます。脱魂し、遠い世界に時空を超える旅をして、太陽系の諸惑星、大洪水前の世界、私たちが生きる現代世界まで見通しました。
もっとも詳しく啓示されたのがキリストの生涯で、筆記を担当したドイツロマン派の詩人クレメンス・ブレンターノの資料に基づき、全四巻の大作が残されました。映画『パッション』のシナリオ制作に大きな影響を与えたのがこの著作です。
幻はかなり正確です。彼女は早くも1820年に、地球以外に9惑星が存在し、それが三区分できると言っていました。
「私は、地球の周りに9つの天体を、遠い星々のようにいつも見てきた。そこには、違った性質の霊たちが住み、彼らからは、光のビームが、地球上の特定地点に放たれている。これによって、彼らは、何かの通信をしているに違いない、と私は思った。これら9つの世界は三分され、各区画の上に大天使の座がある」
海王星が発見されたのは彼女が死んで20年後の1846年。海王星も発見されていない時点で、冥王星と最近撮影にようやく成功した第十番惑星の存在まで知っていたのです。同じ年に、宇宙空間から見た地球の外形を述べています。
「私は氷の上をさらに北上し地球の丸みが減じてくる場所へ向かった。・・・闇の中に地球を見た。それは球体というより卵に近い」
人類が楕円体に近い地球の実像をはじめて知ったのは、ロケットで大気圏を突き抜けてからのことです。
考古学的資料も実証されています。もっとも有名なのが聖母マリアが晩年に過ごしたというトルコ南部の隠居所の幻。彼女が描いた詳細な図面を頼りに、調査隊がトルコのイズミールで発掘し、図面どおりの遺跡を見つけたのは彼女の死後100年を経てからでした。ここは復元されてカトリックの有名な聖地になり、今ではトルコの観光旅行に欠かせない名所の一つです。
イエス磔刑の場所(ゴルゴタ)とイエスの墓についても幻のうちに示され、エルサレムの神殿山の北西門の外側と述べていました。イギリス国教会のゴードン大佐が、ほぼ同じ場所でゴルゴタと「園の墓」を発掘したのは、修道女の死後50年を経てからのことでした。
この章ではかなり異色な能力を見せたこの卓越せる修道女の幻から、死後の世界についての記録を再現しています。
煉獄の死者
エンメリックは毎年万聖万霊節(年に一度すべての聖人を祝い死者の霊を弔う祝日で11月1日と2日)に、死者の霊を供養するために墓参りをしました。そのときに、煉獄について多くの幻を与えられています。煉獄の魂は天に召される定めにありますが、地上で償っていない罪があるために、ここで止められていると言われています。彼らが清められるには、地上での家族や友、宗教者による祈りしかないけれど、この祈りがほとんどされていないと聖女は言うのです。1819年11月1日の日記から。
「煉獄にいる哀れな霊魂を助ける人が、ほとんどいないことを思うと、本当に胸が痛む。彼らの苦しみは、本当に大きい。彼らは自分で自分を救えない。しかし、ささげる祈りや施し、犠牲によって、楽にできるのである。彼らはどんなにそれを喜ぶことか。喉の乾いた人が、一杯の水を差し出されたときのように、彼らは喜ぶ。
神の栄光と救霊への情熱の不足から、どれほど多くの哀れな霊魂が、取り残されていることか。彼らが地上でなし得なかったこのような償いの業なくして、どうして彼らを救えるであろう。天の聖人はもはや償いを必要としていないので、彼らに満ち足りを与えない。助けは地上からしか来ない。霊魂はどれほどそれを願い求めていることか。
だが、彼らを思う者の何と少ないことか。哀れな魂の罪を償うために司祭が熱心に祈れば、信じ難いほどの慰めを与える。司祭の祈りは煉獄に浸透し、天の雫のように魂を甦らせる。私のようにこのすべてが見えれば、誰もが彼らを助けたいと思うようになるであろう」
墓地に漂う霊気
死者の霊の状態は墓地から立ち昇る霊気によってはっきり識別できます。彼女はしばしば墓地で苦しむ霊のために祈りました。そこには煉獄の死者の墓、救われた霊の墓、見捨てられた魂の墓もありました。
「人の思いと言葉と行いには善くも悪しくも法則がある。罪を犯した人は、早く償いの秘蹟によって過ちを拭い去らないと、罪の全体的、部分的結果に直面せざるをえなくなる。私は肉体の病や苦しみ、特定の場所にからむ呪いに、このような結果をしばしば見た。許されず、償われもしない罪は数知れぬ邪悪を生む。
それが子孫に及ぶのは当然である。私は不正な手段で得た品には呪いを感じ、大罪が行われた場所には恐怖を覚えた。それはごく自然な感情である。聖なるものと汚れたものは直感的にわかる。前者は私を引き寄せ、後者は反発し、不安や恐怖を懐かせる。私は祈りと信仰によってそれを退けた。
この印象は、特に人の遺骸の近く、その一番小さな原子からも強烈に感じられる。その感覚があまりにも強かったため、死後においてさえ、体と霊との間にある種の関係が存在すると思われたほどである。
このような感覚を墓地の近くでもっとも強く感じた。ある墓では、光と祝福と救いを、ある墓では貧しさと苦しみを、死者が祈りと断食と犠牲を求めているのを感じた。その他の多くの場所では恐怖と戦慄を覚えた。夜間祈らなければならない時には、このような場所の回りに、真っ黒な布に開けた穴が黒さをいっそう増すように、夜より暗い闇の広がりを見た」
闇の霊を救う
エンメリックが特に憐れみを感じたのが誰からも省みられずにいる忘れられた霊でした。
「私は墓の上から立ち昇る黒い霧におびえた。助けたいと願ってその闇に入り、はねつけられることもたびたびだった。灰色の霧の柱が立ちのぼる場所、多少光を放つ場所もあったが、全く何も見えない場所もある。そのような場所に特に悲しみを覚えた。
墓から立ち昇る霧は、哀れな霊魂が自分の必要を知らしめる手段であり、何もしるしを持たない霊魂は、煉獄の最下層で忘れられ、教会とつながるどんな力も失っている霊魂であることを心の内に確信していたからである。
そのような墓で祈るときは、『助けてください』と底なき穴から叫ぶような、空ろな息苦しい声を聞き、無力な苦しむ魂の絶叫を魂の奥深くに感じた。
私は誰よりも見捨てられた魂のために、熱心に、忍耐強く祈った。すると、今まで空ろで静かだった墓から灰色の霧が立ち昇り、祈り続けるうちに、霧が徐々に輝きを増して来るのを見た。
多かれ少なかれ、輝く霧の柱が立っていた墓は、完全に忘れられても縛られてもいない魂、自分自身の償いと友の助けによって、多少とも慰められている魂の居場所として示された。彼らには、諸聖人の交わりに加わるサインを出す力がまだあり、光と至福を増し、自力では得られぬ助けを願い、私たちが彼らにすることを、次には私たちのためにイエスに訴えてくれる。彼らは、叫び、手を伸ばして、通る人の同情を寄せる囚人に似ている。これら明暗の度の違う幻影をもつ墓地は、均一に耕されず、荒れ放題の場所を残す庭園のようにも見える。私が熱心に祈り、他の人にも同じようにさせると、あたかも草木が息を吹き返し、地面が耕されて新しくされ、雨露の恵みの力によって種が芽吹き始めたかのように、園は変化し始めた。
村の園や牧場の様子が、周辺住民の仕事ぶりを物語るように、これらの墓場は、私にとって、教区の信徒の熱心さと奉仕の状態を、はっきり物語るものであった。神は、煉獄からパラダイスへと、楽しそうに昇っていく霊たちの姿を見ることを、しばしば私にお許しになった。
だが、苦しみと困難がなければ何事も達成できないように、死者のために祈っているときにも、私は、迷える魂、悪魔本人からでさえ脅され、虐待されることがしばしばあった。私は、うるさい音や恐ろしい亡霊に囲まれた。墓から押し出され、左右に揺さぶられ、見えざる力が私を墓地から無理やり追い出そうとしたこともある。だが、神が私を強めてくださった。私は、敵から一歩も退かず、このように邪魔されたときには祈りを倍にした。
哀れな魂がこれほど望んでいるといるというのに、何という恵みの宝庫が、地上にありながら忘れられ、軽視されていることであろう。多くの苦しみのなかで、彼らは悩みと切なる願いに喘ぎ、助けと解放を求めてやまない。私たちのするすべてが、永久の至福の源になるのである」(1819年11月1日)
翌日の万霊節に、彼女は脱魂のうちに煉獄下層を訪れ、拘束されている魂を慰めました。
「私は、守護天使とともに、暗く憂鬱な霊魂の牢獄へ導かれ、至るところで彼らを慰めた。魂は暗がりのなかに埋もれ、首まで埋まっている者など、多かれ少なかれ皆同様の状態にあった。彼らは、隣接する別々の土牢にいて、渇きに苦しんでいる者もいれば、寒さや炎熱に苦しんでいる者たちもいる。彼らは自分を助けることができず、絶え間なき呵責に苛まれていた。
私は、煉獄から浄済される者たちも見た。その喜びは言葉に尽くせぬほどのものであった。彼らは、灰色の姿をして出ていき、より高い領域へ向かうための服と、地上での状態を示すはっきりした印を与えられた。彼らは、煉獄の上方にある、イバラに囲まれたような広大な場所に集められた。私は、多くの医師たちが、似たような医師たちの群れに迎えられて昇天する姿を見た。また、戦争で殺された人々と兵士たちとが浄済される光景を見た。女性の宗教者の姿はほとんど見なかったが、宗教生活に身をささげる機会だけを願っていた処女の群れが、祝福された修道女によって導き出されるのを見た。古代の王や皇族、かなりの数の聖職者、多くの農民の姿を見た。その中には、私の知っている人や、外国人のような服装の人々もいた。
それぞれの集団は、高いところへ導かれ、そこで地上的なしるしを取り去って、祝福された者たちに特徴的な、輝く衣を着せられた。私は、煉獄の中に、知人ばかりか、会ったことのない彼らの親戚の姿も認めた。また、誰からも顧みられることのない、哀れな愛しい魂の群れを見た。彼らを忘れている者たちの中に、祈りを怠っている家族の姿を非常に多く見た。私は、このような魂のために、もっとも力を込めて祈った」(1819年11月2日)
エンメリックは、1822年の万霊節に、脱魂のうちにふたたび煉獄を訪れました。煉獄に対応する物質世界の地理が書かれていますが、北極圏に対応するとも読める記述です。煉獄には教会のような場所もあり、プロテスタントとカトリックとでは場所が異なるようです。
「昨夜は、煉獄でするべきことがとても多かった。私は北方に行き、地球の極の周りにいるように思われた。上方に氷河を見た。とはいえ、煉獄は地球中央にあるようには見えない。月が見えるからである。牢獄を巡っているあいだに、私は少しでも光が入るように、入口をつくろうとした。その外側は三日月形の黒く光る壁のように見える。内側には無数の部屋と通路がある。高い通路も低い通路も、上昇通路も下降通路もある。入口近くはそれほど悪くはなく、魂は自由に動くことができるが、奥ではより厳重につながれている。
あちらこちらに、穴や溝に横たわっている者や、高い場所や低い場所で、色々な形にまとまっている者たちもいる。岩のような高台に座っている者も時々見かける。さらに奥へ進むと、光景はいっそう戦慄を増す。悪霊たちが力を揮っている。そこは一時的な地獄であり、魂は恐ろしい光景や徘徊する不気味な生き物に苦しめられている。
私はまた、煉獄には信心の場所、魂がときに慰めを受ける教会のような場所も見た。彼らは私たちが教会に対してするように、そこに憧れの目を向ける。魂は天国から直接助けられるのではない。彼らは、祈りと善行と償いと自己犠牲の行いによって負い目を清算できる、地上で生きている者たちからしか安らぎを得ない。とりわけ、神に捧げられるミサの聖なる生贄によって。
この場所を離れて、私は氷の上をさらに北上し、地球の円周の曲率が減じてくる場所へ向かった。大陽や月を地平線すれすれに見るように煉獄を見た。それから、筒あるいは路、ないしは環にみえるもの―適切な言葉が見つからない―を通りぬけ、半円形をしたもう一つの煉獄に着いた。左に少し離れた所に粉挽き場があり、右には労働所と塹壕がある。
私の導きの天使以外、煉獄の訪問者を一人も見なかった。だが、遠い地表のあちらこちらで、隠者、宗教者、慎ましい敬虔な信者たちが、哀れな霊魂のために祈り、償いをし、勤めを果たしているのを見た。煉獄のこの部分はカトリック教会に属している。諸教派は、地上世界と同じく、ここでも別々にされているが、彼らの苦しみはより大きい。祈ってくれる教会員もいなければ、聖なる生贄もないからである。
ここでは、よくよく見ないと男の魂と女のそれとを区別できない。暗い姿のものも、明るい姿の者も見える。顔は苦しみに歪んでいるが、同時に忍耐強い。彼らを見て言葉に尽くせぬほど心を打たれた。彼らの慎ましい忍耐、仲間の救出を見たときの喜び、互いの苦しみと新参者への同情ほど心慰めるものはない。私は子供たちもここに見た。
魂のほとんどは、軽率さ、謙遜や親切心、小さな克己心を無視した、いわゆる「小罪」を償っている。魂と地上とのつながりはとても繊細で、地上に生きている者が彼らの苦しみを和らげようとの熱い願いを懐いただけで、大きな安らぎを経験するほどである。助ける者をいつまでも望んでいる彼らのために常に自分に打ち勝つ人は、何と愛徳に満ちていることだろう」(1822年11月2日)
翌日には煉獄の手前の場所を訪れて、そこで行われている償いの光景を幻に見ています。賽の河原を思い出す人もいるかもしれません。
「私は煉獄の前にある地域に行った。そこは、王や王子、支配者たちが、以前自分たちが人や馬にさせていたように粉挽きをしなければならない、粉挽き所の近くにある氷の国である。彼らは、挽いたものを犬に投げ与え、女たちが運んでくる氷やあらゆる種類の食べ物、貴重なものを粉に挽いていた。以前の僕(しもべ)たちは監督する立場になっていた。
それから毛皮を着る住人たちのいる土地に来た。彼らはずんぐりした毛の長い種族で、厳しい生活を送り、かなり鋭い本能をもつ犬に引かれて、商売の目的地に安全に旅していた。肌の白い者も黒い者もいたが、後者は先住民族ではない。住民たちは毛皮を得るために、胴の長い小動物を狩っていた。これらの動物は耳が長く短足で、預言者の山の麓に生息する動物ほど美しくはない。彼らはもっと北の地方でも見かける。ここには沼と荒地の地帯があり、朝日がときどきそこを照らしているかのようにやや温暖である。今述べた動物たちが走り回っているのを見た。あちらこちらに平らな鼻をした背の低い、貧しい身なりの人々を見た。植物はまばらである。
このような旅では、月はかなり大きく見え、噴火口と穴ばかりのように見える。だが、その表面は岩質だった。月は、あたかも水分を吸収してはまた放つかのように水蒸気を引き寄せては放っていた。月に私たちのような人間を見たことは一度もない。そこにいるのは魂と霊だけである。それは他の惑星にも言える」(1822年11月3日)
地獄を一瞥する
1820年9月29日に、彼女は地獄を訪問します。北極から地球内部に入ったとも読める記述です。
「私は、自分の周囲に見る不幸と私自身の苦しみと困難を思い、とても不愉快になり落胆して呟いた。
『ああ、神様がたった一日でも平和な日をお与えくだされば良いのに、まるで地獄に生きているようです』
私の守護天使から厳しい叱責の言葉をいただいた。
『あなたの置かれている状態を二度と地獄と較べることのないよう、地獄を見せましょう』
そして、彼は、地球が深いくぼみをつくっている場所を横に見ながら私を北へ導いた。
最初、私は空中高く上がった。預言者の山は、自分の右方向のさらに東にあると感じた。その上方のさらに東方にパラダイスを見た。私は険しい氷道の上を北方へと運ばれ、ついに恐るべき地帯に辿り着いた。
地球をすべて巡り終え、北の切立った下り斜面に来たようだった。地獄へ下る道は険しく、暗く、氷に閉ざされていた。恐怖の場所に着いたときには、自分が地下世界に来たように感じた。天球の一部を成す一つの円盤を見た。自分がそこに見るものを思ったときには全身が震えを起こした。私は何もかもが混乱状態に置かれているのを見た。方々に火と煙があり、漆黒の闇がすべてを覆っている。そこは終わりなき苦しみの場所だった」(1820年9月29日)
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