姉に会いたい、と今朝コーヒーを一口含んだ時、不意にそんなことを考えた。わたしを甘やかしてくれる姉のことが、わたしは大好きだった。捉えどころのないあの人は、言ってみればこの漂うコーヒーの煙のような人であった。
わたしは誰がどう見たって可愛くない子どもだったし、自分でもそれを分かっていたけど、姉はいつも「あんたはこの子に似ているね」と外国の儚げな美しい女の子を指差した。姉は海外の雑誌を読む姿が様になる、姉が指差したような少女とはまた違った、けれどとても美しい人だった。父にも、母にも、勿論わたしにも似ていない人だったが、母方の祖母には、少し似ていた。わたしは祖父母も大好きだったが、やはり一番姉が好きだった。
姉は美しい人であったが、決してお淑やかな性格ではなく、奔放なところがあった。頑固者で、一方では生真面目でコツコツ努力する人間であった。さらさらと流れる水のように美しくて、掴み所のない女性だった。
姉とわたしとは四つ離れた姉妹で、似ても似つかぬ容貌と性格であったと思う。しかし背丈は似たり寄ったりであったし、服の趣味も似ていたので、髪型を姉に似せていたときには、双子かと尋ねられたこともあった。思わず姉と顔を見合わせて笑ったら、仕草までぴったりですね、なんて言われて、益々大きな声で笑ったこともある。懐かしい思い出だ。
姉に会いたい、というのは、姉が今はもうここに居ないためである。亡くなったわけではないが、年に一度便りが届くだけなのだ。
姉が大学を卒業した年、わたしは高校を卒業した。姉は家を出て、少し離れたところで一人暮らしを始めた。そうしてわたしがまだ大学に通っている学生だった頃、ひょいと家に戻った姉が布団にもぐったわたしにこっそりと、「日本を出るんだ」と告げた。まるで子どもの頃一緒に悪戯したときのような口調で、ニコニコ笑いながら、そんなことを。
姉には年の離れた恋人がいた。出会いは知らないが、大学生の頃に知り合ったのだ。彼を追いかけて、姉は就職先を彼の住む街に決めたことをわたしは知っていた。それで、その人が海外に行くというので、仕事を辞めてついて行くのだと姉は言った。前に言ったように姉は頑固者だったので、引き止めることは何の意味も持たなかった。だからわたしは代わりに「そっか、元気でね」と言った。姉は頭の良い人だったし、特に姉の英語はとても美しい響きを持っていたから、向こうでもきっと上手くやるだろうと思った。そしてまた、姉は恋人と別れても、きっとここには帰ってこないだろうなとも。この家も、あの街も、姉には窮屈すぎたし、姉はもっと広い世界に行くべきだと思っていた。だから当然だと、これで良いと自分に言い聞かせた。本当は、姉を奪っていくあの男が許せなかった。顔も知らない姉の恋人を、心の底から恨んだ。それでもわたしはもう一度、「元気でね」と言って笑った。少し声が震えた涙声になったのが恥ずかしかった。姉はわたしの頭をいつもと同じように撫でて「ごめんねぇ」とあまりすまないと思っていない風に言った。
「あんたはとびきり可愛いからね、これから先も、誰からも愛されるよ。私が言うんだから、間違いないよ」
わたしは布団にもぐったまま、声を殺して思わず泣いてしまった。わたしは可愛くないし、誰からも愛されるなんてわけはないのに、飛び立つ姉は無責任にそんなことを言ってわたしの頭をただただ撫でていた。酷い女だ。同時に、この人が世界で一番幸せになったらいいなと思ったし、できたらこの人が世界で一番幸せになるのを、隣で見ていたかったなとも思った。勿論、もう過ぎた願いだ。
姉は駆け落ちをしたわけではなく、きちんと両親には話をつけていて、わたしに報告をした翌日、家を出た。そして確かその三ヶ月後くらいに、日本を出て行った。最後に空港で見た姉の恋人は思っていたよりもずっと普通の、しっかりしたお兄さんという感じの人で、わたしは少し安心した。姉が飛行機に乗る前、二人で抱き合ってわんわん泣いた。ようやく泣き止んだところで姉は「あんたにあげる」と言って、大好きだった外国のモデルの女の子の切り抜きを沢山くれた。「この子、あんたに似てるから好きだったんだ」と姉は言ったけど、何回眺めても、やっぱりわたしには似ていなかった。それでもその言葉は嬉しくて、大切で、わたしはその切り抜きの入ったファイルを有り難く受け取った。
あれからもう随分経って、初めはこまめに届いていた姉からの便りも、今では年に一度、元旦の頃に届くだけになった。今でもあの恋人と一緒のようで、手紙には腹が立つほど仲の良さそうな二人の写真が同封されている。遠くに行ったとはいえ、今の時代、帰って来られない距離とも思わない。帰って来たらいいのに、と思う。とはいえ姉はあの時も思った通り、あの家には戻らないだろうなとも思っている。
わたしは、姉のお告げ通り誰からも愛されたというわけではないが、それなりに人の愛を受けて、人並みに成長した。きちんと独り立ちをして、今は都内の会社員だ。大企業ではないが、そこそこの収入と、有給をきちんと消化できる環境を手にしている。姉が会いに来てくれないのなら、わたしが会いに行ったって良いだろう。もうそのくらい、お互い良い歳になった。あの頃はまだスマホが普及していなかった。あと一年ばかし我慢しておけば、ちょうど普及していた頃だった。姉も流石に今は手にしていることだろう。SNSのIDなんかをしっかりと聞いて帰ってこよう。必ず、そうしようと考えている。
姉の誕生日は冬と春の境の、曖昧で美しい季節の只中だ。姉のそうした偶然のような美しささえ好きだったなぁと思う。好きだったのだ。なので、ちょうどその頃、きっと姉のもとを訪ねてみようと決めた。すっかり冷めてしまったコーヒーの匂いを嗅ぎながら、そんなことを考えた朝だった。
スマホのくだりから考えて、もう30近い? お姉さんもきっと会いたがってるし、事情があるようだからあなたが訪ねてみたら良いと思うよ
悪くない創作だと思うけど 子供の頃も似たような話読まさせられるじゃん? あれでいいと思うような子供いるのかな 子供のときいいとおもった人は教えてくれ