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大阪事件の真相(不思議なる縁シリーズNo.11)

 投稿者:シャクソンファイブ  投稿日:2017年11月 8日(水)09時26分41秒
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  宮川氏の許可を得て、ここに記事をアップします。
大阪事件で先生が逮捕された。何故?その真相だそうです。
皆様、ご一読を。
なお、拡散自由とのことです。



不思議なる縁シリーズNo.11.久遠の友との出会い。



池田先生の声が、法廷いっぱいに響いた。
四年有半にわたる裁判において、たった一度だけ、先生の心の底からの叫びのように拝せられた。
聞いていた傍聴席の学会員は、胸を詰まらせ、そのほとんどが涙を浮かべていた。
そして、民衆を、学会員を、一人一人守って、生命を賭して戦われる池田先生の姿を、
関西の学会員、否、全学会員は、永遠に忘れる事はないであろう。

池田先生の声が、法廷に響き渡った。
そして、四番目に申し上げたき事は、
私はこの選挙に敗れたとき、恩師.戸田城聖先生に泣きながら、
「いっさいの役職を解任していただきたい 」と、願いでました。
それに対しては、「そのままでいい」と言われ、再び立ち上がる決意をしました。
この事件に関しては、拘置所から出たとき、戸田先生は、
「いいじゃないか、裁判があるではないか。裁判長は分かるはずだ。
裁判長に、真実を分かってもらえればいいではないか」と言われて、亡くなったのであります。
以上の点を申し上げておわります。

昭和36年12月15日の最終弁論での先生の御発言である。
大阪事件、我が師匠が無実の罪より、捕らえられ、国家権力が僣聖増上慢となって、
法華経の行者に、最後の敵として襲い掛かる四年有余の激闘であられた。
その一部始終を見、聞き、我が師匠と共に勝ち越えられた宝の同志、魂の朋友に会い見みゆる黄金の時を、
御本尊様から頂戴した。
お孫さんが、私の公開設定のフェイスブックを御覧下さり、
祖父である大翁にお伝え下さり、御入院中のホームへ伺った。
沢山の資料をお孫さんが、アダッシュケースに入れて持参して下さり、

資料の説明をして下さった。
「池田会長先生をお守り下さい。会長先生は、前も、後ろも敵だらけです。
この裁判は、全部、会長先生を会長にしない為に、学会幹部が仕組んだんです。
私は何一つ、会長先生に恩返しが出来なかった。」と。

大翁の手記を紹介したい。
昭和32年4月、参議院大阪府選出のM議員の死去により、補欠選挙。
中尾船場支部長が立候補。
池田参謀室長再び指揮を執らるるも、利有らずして落選す。
この選挙によって、東京幹部の指導により四條畷、守口、近畿地区にて、会員が逮捕。
容疑は個別訪問。
前年、昭和31年の白木議員の選挙でも、逮捕者は出たが国連加入の恩赦で全員無罪。
全て、池田参謀室長の祈りが諸天を動かした。
室長は、当初から国が定めた法律は厳守するように指摘されたが、守口の会員数名は、
東京から来た幹部から、「法華の必勝法 」を聞いたと喜んでいた。
又、創価学会の前進を阻み、広宣流布を妨げんとする僣聖増上慢は、大阪地検に入り、
池田参謀室長を31年の選挙で逮捕出来なかったので、あらゆる手段を使ってきた。
そして、二カ月も経過して、罪をでっち上げ、無実の先生を逮捕した。
当時、先生は北海道に起きた炭労事件解決の為に、夕張で戦っておられた。
この真っ最中に、突然、大阪府警から呼び出しを受け、
昭和32年7月3日、飛行機で北海道を立ち、
途中羽田空港で、戸田先生と再会されたあと、空路大阪伊丹空港に到着され、
奇しくも恩師戸田先生の出獄日に、大阪府警に出頭された。
この時、既に、小泉副理事長は、「選挙違反の共謀容疑」で逮捕されていた。
これは、先に逮捕され、取り調べを受けていたN等5名から、
「池田先生、小泉副理事長の指示により行なった」と言う供述を得たとして、行われた。
逮捕容疑は、中尾候補の名前入りのタバコや、中尾候補の名前を書いた百円札がばらまかれたと言う
明らかなでっち上げのものから、個別訪問の指示を受けたと言う供述を元にしての逮捕であった。
こうして起きた、いわゆる”大阪事件” の裁判が四年半にわたって続けられた。
その間の大阪地検の過酷な取り調べと、横暴ぶりは目に余るものがあった。
池田先生の調書作成について、無実であるが故に
ガンとして否定される池田先生に対して、大阪地検は、最後の手段を使った。
すなわち、これらの違反行為を指示した事を認めないのなら、
「戸田を逮捕し、創価学会本部を徹底的に手入れをする」と言うのである。
戸田先生は、お体の具合も優れず、御老体である故に、池田先生の、苦衷は如何許りであられたか。
また、創価学会本部の手入れによって、純真な学会員達が、どれほど苦しみ、
学会全体が混乱に陥いるかと言う事に、獄中の先生が、どれほど苦しまれたか。
先生は、S主任検事に面会を求め、罪を一身に背負って、検事の作文を認め、
無実の罪を受けようと、決意されたのである。
しかし、根拠のない、個別訪問指示の調書は書きようがない。
そこで、Y・T両氏に、再出頭を命じて、つじつまを合わせる為の調書を作り上げたのである。
( その際にも、学会幹部のA・I ・T・I・辺りが指示した事が判明している。)
四年有余の裁判の結果は、当然ながら無罪。

更に、これだけは、記しておきたい。
今回の事件全てにおいて、先生を迫害すべく、一切の指示を出したのは、検事総長の岸本である。
この岸本検事総長は、辞任後、前回の大阪第五区より、衆議院に立候補した。
その際、その時、選挙史上初めてと言われる未曾有の選挙違反をやって、逮捕され、そして自分の後輩たち検事に裁かれる身となった。
大翁の資料の、その箇所には、大翁が喜びの日の丸印を2本も3本も、赤ペンで書かれている。
「過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民.始めは事なきやうにて、終に滅びざるは候はず 」
( 御書1190頁 )
会長先生の周りは敵ばかりです。
どうか、先生を守って下さい、と涙を流された偉大な、老将軍の手は暖かく柔らかであった。


☆検事総長.岸本義広の略歴
検察庁を定年退官した1960年の第29回衆議院議員総選挙で、
旧・大阪府第5区に自由民主党から出馬し、松田竹千代らを破って初当選。
1961年、大阪地検特捜部に公職選挙法違反で逮捕される。
その後、議員辞職。
1963年の第30回衆議院議員総選挙で得票数を前回から23,481票も減らし、肥田次郎らに敗れて落選。
1964年、大阪地裁の一審で起訴状の28事実のうち12事実が認定され、
大阪府議らに320万円を渡して買収したとして禁錮1年3月、
執行猶予3年、公民権停止3年の判決が下る。
控訴中の1965年9月10日に静養先の増富温泉で心臓麻痺のため逝去。

☆裁判所無罪判決時描写☆

▼「池田大作は無罪」
田中勇雄裁判長は二人の判事を従え、法廷に通じる扉を押し開いた。
「起立」
廷吏の合図で、法廷内の人々は、いっせいに腰を上げた。
大阪地方裁判所二号法廷。
昭和三十七年一月二十五日。時計の針は午前十時を指していた。
一礼して着席。右陪席は野曽原秀尚判事、左陪席は鈴木清子判事補である。
一段高い判事席から、傍聴人や司法記者で埋まった廷内がよく見えた。廊下に「傍聴満員」の札が出ているはずである。
目の前に公職選挙法違反に問われた二一人の学会員。大人数のため二列でも並びきれない。
判事席の左、弁護側に列が伸び、一番手前に創価学会の池田大作会長。二年前の五月三日、第三代会長に就任していた。
冬のよく晴れた日である。法廷には物音もない。
「それでは判決を言い渡します」
裁判長は判決文に目を落とした。左陪席の鈴木判事補が書き上げたものである。
二一人への判決であり、主文だけで一〇〇〇文字を超す長さがあった。
主文――」
低いが、よく通る声。それぞれに罰金や訴訟費用の負担などを宣告していった。
この時、池田会長の名前が出てこないので、傍聴席の学会員は、じりじりしながら待った。
主文は、最後の一行にいたった。
「池田大作は無罪」
転瞬、傍聴席から、どよめきと拍手が起こった。
「うおーっ!」

( 以上です )
 
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