多様性を棄て、同質性を求める戸籍と「日本人」――「排除」と「連帯」を生み出す制度のゆくえ

シノドス国際社会動向研究所(シノドス・ラボ)ではシリーズ「来たるべき市民社会のための研究紹介」にて、社会調査分析、市民社会の歴史と理論、政治動向分析、市民運動分析、地方自治の動向、高校生向け主権者教育、などの各領域において、「新しい市民社会」を築くためのヒントを提供してくれる研究を紹介していきます。

 

今回は『戸籍と無戸籍――「日本人」の輪郭』の著者、遠藤正敬氏に、「戸籍と日本人」をテーマにご寄稿いただきました。

 

 

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「排除」は身近にある――戸籍への無意識

 

先の総選挙は、野党の寝首を掻(か)くように衆議院解散を断行した安倍政権がその目算通りに勝利を収めた。政権交代の期待とともに鳴り物入りで旗揚げした「希望の党」はまったく振るわぬ結果に終わった。同党が大きく失速した原因は、民進党の合流にあたって小池百合子党首が発した「排除」の言葉が国民に不快感を与えた点にある、というのが小池氏はじめ、同党幹部の総括である。

 

この認識には何とも訝しさを覚える。今日の日本社会ははたして「排除」を不快視するような健全な理性を保っているのであろうか。ときの政治権力はここ何年ものあいだ、その価値基準と相容れぬ存在の「排除」を平然と打ち出して国家の統合を図ってきた。その現状を支持もしくは追認して「日本国民」という一体感を得ているのが日本社会の大勢であることは、総選挙の結果が物語っている。

 

日本の選挙では争点化されないが、この夏以来、世界を席巻している政治的主題といえば、人種、国籍などをめぐる多様性の尊重、寛容の精神がどこまでみとめられるべきか、である。

 

米国では人種主義的な統治方針を隠さず、随処で異質分子の「排除」を公言してきたトランプ政権の下、白人至上主義勢力が台頭し、8月には反対勢力との衝突で死者まで出る事件があった。ヨーロッパでは、移民やイスラム教徒を標的として排外主義を叫び、国民のナショナリズムに訴える極右政党が支持を拡大している。

 

かたや日本では7月、蓮舫参議院議員の二重国籍疑惑がまたぞろ遡上にのぼった。重国籍容認の可否は、その国家のもつ寛容性、柔軟性を測る格好の試金石である。蓮舫氏は二重国籍を非と認めて「台湾籍」を離脱することで決着を図ったわけであるが、ここで波紋を生んだのが、戸籍開示をめぐる問題である。二重国籍疑惑を解消するために蓮舫氏は戸籍を公開せよ、という意見と、戸籍の公開は出自をめぐる差別に帰するからやめよ、という二派に世論が割れた。

 

もっとも、大抵の人々はこの議論の本質が腑に落ちなかったのではないか。それというのも、戸籍とは何が記載され、何を証明するための文書であるのかについて一般の理解はおよそ深いとはいえないからである。まして、戸籍という制度が「多様性」や「寛容性」と対峙し、日本社会に永きにわたって「排除」の思考を根づかせてきたという現実に国民の注意が向けられることはまずない。

 

なにしろ、日常においてわれわれが自分の戸籍を利用する機会はまれである。法務省「戸籍制度に関する研究会」が2016年5月に行った国民意識調査(調査対象9,526人)によれば、これまで戸籍謄本等の交付請求をした理由としては、(1)旅券の申請-約62%、(2)婚姻届など戸籍の届出に提出-約50%、(3)年金や児童扶養手当などの社会保障の申請-約27%、(4)相続関連手続き-約21%という結果である。旅券の申請(更新のときは、登録情報に変更がなければ戸籍は不要)や相続の手続きは人生においてそう何度もあることではない。あるいは一度も自分の戸籍を目にせぬまま一生を終える人もあろう。

 

戸籍法の条文をみると、市井の戸籍に対する無関心ないし無理解を裏づけるものがある。一般に法律というのは、第1条に立法の目的や精神を述べ、国民の理解を求めるのが基本である。しかるに、現行戸籍法(1947年法律第224号)の第1条は、「戸籍に関する事務は、市町村長がこれを管掌する」と規定し、戸籍事務の取扱い機関を示しているにすぎない。すなわち、戸籍とは何かについての定義はおろか、戸籍法の目的とするところすら法文上に記されていないのである。そしてまた、「日本人」と不離一体にあるはずの戸籍に関するこうした法律上の不透明さに対して国民が疑問や不審を抱くことはない。

 

近年、現代日本の暗部としてマスメディアに取り上げられるようになったのが、「日本人の子」として生まれながら、戸籍に記載されていない「無戸籍者」の存在である。彼らは「日本国民」に数えられないのだろうか。

 

戸籍が「日本人」の証明として、いかなる国家的、国民的意義をもつのかを研究してきた筆者は、日本における無戸籍者の存在を歴史的、政治的に検討するべく、今年5月に『戸籍と無戸籍-「日本人」の輪郭』(人文書院)を上梓した。本稿では同書の梗概を示しつつ、「多様性」を是とする市民社会の形成において、「同質性」を是とする戸籍制度はどうあるべきなのかを考えてみたい。

 

 

日本における戸籍のあゆみ――「日本人」の中の境界線

 

戸籍とは、「日本人」の身分関係、とりわけ親族関係について登録し、公証する文書である。だが、その目的とするところは時代によって一様ではない。

 

古代国家における戸籍は、徴兵、徴税等を円滑に行い、浮浪化を防止する目的から人民の所在を把握するために作成された。17世紀に徳川幕府によって兵農分離にもとづく封建的な身分秩序が確立されると、戸籍(人別帳)は百姓、町人を登録することでその身分を固定し、定住化を命じる役目を担った。幕府権力の公認する身分を逸脱して流亡する「無宿」は、厄介者や背徳者という烙印を押された。

 

明治維新を迎えると戸籍は、全国統一の「臣民簿」として再生した。1872年に編製された壬申戸籍は、日本領土に住む者に「臣民」として本籍を定めさせ、「元祖日本人」として画定した。天皇および皇族は戸籍に記載されざる存在であり、その身分関係について記録するのは皇統譜である。非皇族と婚姻した皇族が皇統譜から除かれて新たに戸籍に入ることを「臣籍降下」と呼ぶのは、戸籍の「臣民簿」たるゆえんである。

 

“開国”以降、外圧と内戦の動乱のなかで帰属意識の動揺する民衆に「日本人」というナショナル・アイデンティティを勃興し、同時に封建的身分秩序を解体して「一君万民」という形で「臣民」として水平化する。これが壬申戸籍による国民統合であった。

 

だが、政治権力は建前と本音を使い分けるものである。壬申戸籍において族称、職業、氏神神社、犯罪歴などの情報を掌握し、監視下に置いたところに権力の本音が現れていた。さらに植民地統治の時代、朝鮮、台湾といった植民地には、内地とは別の戸籍を編製して植民地出身者を管理した。かくして戸籍は婚外子、棄児、被差別部落出身、アイヌ、朝鮮人、台湾人・・・などの出自を記載し、「日本人」「外国人」のあいだのみならず、「日本人」のあいだにも境界線を設定することで、社会的な差別や格差を再生産してきた。戸籍の公開について、それが差別につながるという否定的意見の根拠はここにある。

 

こうした戸籍における差別の公示は国民の分断をもたらす作用がある。そこで、明治政府は後述のように、戸籍への登録を“天皇への帰一”という理念に結び付けることで、戸籍への内面的服従を促した。戸籍がもつ「臣民簿」としての道徳的意義が強調されればされるほど、帰属すべき公(おおやけ)の「籍」をもたない「無籍者」は、「まつろわぬ者」(帰順しない者)として環視の的とされた。

 

 

「無戸籍者」はなぜ生まれるか

 

では一体、「無戸籍」とはいかなる状態を指すのか。厳密にいえば、次の四通りに分類できる。

 

(1)記載されるべき戸籍に記載されていない。

(2)もともと記載されるべき戸籍がない。

(3)記載されていた戸籍から抹消された。

(4)記載されていた戸籍が消失した。

 

このうち(1)が無戸籍のもっとも一般的なパターンであろう。具体的には、子が親の戸籍に記載されるべきところ、子の出生届が出されなかったために、子が無戸籍となったケースが多い。 

 

この出生届の未提出は、民法規定のもつ現実との矛盾を一因としている。民法第772条には、夫婦の離婚成立後300日以内に生まれた子は前夫の子と推定される(いわゆる嫡出推定)という規定がある。だが、離婚した女性が前夫の不行状などから、わが子を前夫の戸籍に入れることを嫌って出生届を提出しなかった結果、子は無戸籍となる。

 

また、戸籍法の出生届規定に起因するケースがある。事実婚の男女が子を生んだ場合、その子は母の戸籍に入ることになる。そして現行戸籍法第49条第1項にもとづき、出生届の「父母との続柄」欄に「嫡出でない子」と記載される。この「嫡出」「非嫡出」の記載は、明治民法において、家督を第一に継ぐべき「嫡出子」であるか否かを区別する必要から規定されたものであり、民法772条と並ぶ、現代法における家制度の遺物である。

 

しかし、わが子に「非嫡出」の区分を強要する戸籍法の規定を差別主義とみる親も当然ある。そこで出生届の当該欄を未記載にして役所に提出する。その結果、出生届は不受理となり、子は母の戸籍に記載されず無戸籍となる。

 

また(3)は、国策移民として「満洲国」に移住したまま、戦後帰国できずに国から「戦時死亡宣告」を受けて戸籍を抹消された「中国帰国者」のケースがそうである。(4)は、震災や空襲や沖縄の地上戦で戸籍が焼失したため、一気に大量の無戸籍者を生みだすケースである。 

 

戸籍を失った人々は、それを回復するために自らが「日本人」の血を引く者であることを立証せねばならず、資料や証言を集めるのにひとかたならぬ苦労を要する。とくに中国帰国者の場合、終戦から長年の時間が経過しており、肉親の捜索などで困難を強いられた。

 

「国民」が誰なのかを決定することは、国家権力の裁量に委ねられている。これは近代国家における冷徹な原理である。と同時に大事なことは、「国民」の谷間に置かれた者に国家はどこまで権利保障の網を広げられるか、である。【次ページにつづく】

 

 

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