『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい

自分が癒やされれば、家族も癒やされる。

私が癒やされれば、家族も癒やされる。そんな関係を模索するブログ。

「頑張っていないと罪悪感を覚える病」患者の私

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今シーズン、倍率が5倍程度の都市マラソン大会に当選しました✌

でもこのマラソン、途中でリタイアしようかなあと思っています。

えっ❓せっかく当選したのになぜって❓

それは「頑張らない」ということを、私のカラダに叩き込むためなのです😊

 

 

努力依存症の私

会社を辞め、創業の準備をはじめて、はや3週間。登記の手続きしたり、口座開設したり、銀行に融資の申込みをしたり、新規開拓営業をしたりと、やることが多すぎてアタフタしています💦

とにかく時間が足りない❗❗❗

そういうわけで、子どもちゃんを寝かしつけてからも深夜まで仕事をする私。

でも、

「独立したら、家族と過ごすゆとりができるんじゃなかったのか❓」

という思いで悶々とする。

 

そういう時、ふっと一息つこうとコーヒーを飲む。

コーヒーを飲んで、あてもなくネットを見ていると、妙な罪悪感を覚えてくるんだよね。

「おい、何サボってるんだよ。もっと頑張れよ」

という声が、私の中から聴こえてくるのがわかる。

 

私は男の産後うつになってからというもの、

  • 努力はしない
  • 誰かの期待には応えない
  • 他人や世間の評価軸を生きない
  • 何が起きても、自分の価値はゆらがない

ということを心がけて生きようと決意したにもかかわらず、努力していない私は無価値だ。独立したら結果が全て。結果を出さなければ評価されないのだ、という思いがたびたびよぎってくるのがわかる。

私は昔から、努力依存症なんだよね💦

長年の習慣というのは本当に怖いわ……😫

 

努力は美徳ではあるけれど、全速力で走り続けることははできない

「努力は美徳ではあるけれど、全速力で走り続けることはできない」というような言葉をどこかで聞いたことがある。

言葉の意味はよくわかるけど、私の場合、あまり実感をもってこの言葉の意味を理解できないんだよね。それは、全速力で走り続けなければ私には価値がないという思いに囚われているから。

いやもちろん、手を抜いたりサボったりすることは当然にある。でも、全速力で走っていないと罪悪感を覚えるというのが私の性分のやっかいなところなのだ。しかしカラダは正直なもので、手抜きやサボりを求めてしまう。誘惑に負けて手抜きやサボりをすると、罪悪感に苛まれ、無価値感に襲われる。そうしてまた全力疾走しはじめるのだけど、疲れて手抜きやサボりをしたくなる。この無限ダウンスパイラルに巻き込まれてしまっている。

 

頭でわからないのであれば、「手抜きやサボりをしてもいいんだ」というのを、カラダに叩き込まなければ、「頑張っていないと罪悪感を覚える病」からは脱却できないのかなと思う。

 

というわけで目をつけたマラソン大会

そこで目をつけたのがマラソン大会ってわけですよ。

「頑張っていないと罪悪感を覚える病」の私は、マラソンについてもその症状がいかんなく発揮されている。

過去には、月間で200km以上の走り込みをしていて、4年前に初めて出場したフルマラソンの大会で4時間切り。3年前に出場した大会で、3時間48分という記録があるんですよ❗❗(すごいでしょ❓褒めてもよろしくってよ😅)

 

私にとって、努力の向かう先として思い入れのあるマラソンなのだけれども、それをあえて余力を残してリタイアしようかなと思っている。

よいタイムを残さなくても、走りきらなくても、いいじゃない。走っているその瞬間だけを楽しんで、疲れたら止める。必要以上にしんどいことはしない。

そういう自分勝手さを実現する機会として、この大会を利用しようと思う。

どうしてもこの大会を走りたかった人にとっては腹立たしいかもしれないけどね。そういう人たちの期待を裏切ることもすべて織り込んで、頑張らなくても苦しい思いをしなくても大丈夫だよと、自分に許可を出せるようになりたい。

 

というわけで、「頑張らなくてもいい自分」になることを、頑張っている私なのでした😉

 

あー、やっぱりブログはいい息抜きになるね❤

 

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