海外生活体験者・社会人インタビューvol.24

interviewee_s_57_profile.jpg 五十嵐渉さん。1973年東京生まれ。11歳よりロンドン、15歳からスペインのマドリッドに住む。帰国後、慶應義塾大学法学部政治学科に入学。ジャズ研に入り、バンドを結成。大学卒業後は、フェルナンデスの国際部にて勤務するものの1年半で退職。その後、英語の教師をしながら、フリーの作曲家を目指して、TV番組の音楽やジングルなどを作る活動をしていた‘00年頃、音楽制作会社のプロデューサー兼代表のNick Woodに出逢い、アシスタントを経験した後、作曲家/コンポーザーとなる。現在はフリーランスの作曲家・アレンジャーとして活動。

―五十嵐さんの生い立ちを教えてください。

僕は東京で生まれて。。。と言っても、東京とは名ばかりで、東京のはずれの田舎で生まれ育ったんですが、幼少時期から野球をしていて、11歳までジャイアンツに入ることを夢見ていました(笑) ところが父の転勤でイギリスに行くって話になって、幼いなりに一所懸命考えましたね。その結果、どう考えてもイギリスに行ったらジャイアンツに入れない! だから嫌だって最後まで抵抗してました(笑)

結局、家族と共にイギリスへ行き、3年半、学年でいうと8年生までいました。学校のほかは、スケボー、サッカー、ギターとか、いろんな遊びをして生活してましたね。やっと生活に慣れて楽しくなっていた頃に、今度は9年生からマドリッドに。この時も引っ越すのが嫌で嫌で(笑)

スペインに着いてすぐに、小さいジプシーの子に「火を貸して」って言われて、「なんだ、この国はー!」って思いましたしね(笑) ここでも、友達を作るのに、スケボーは役に立ったかな。マドリッドの高校を卒業して、その後、日本の大学へ進むことに決め、帰国しました。

―海外生活からどんな影響を受けたか、教えて下さい。

海外に行ってなかったら、小学校時代の野球の友人らとヤンキーになっていたと思うので、影響は大きいです(笑) 今、自分のやりたい世界で仕事して生活できているのも、最高の友人がたくさんいるのも、テキーラが好きになったのも(笑)、すべて影響を受けていますね。それに何よりも、自分の好きなことを大切にして毎日楽しく生きるぞ!みたいな感覚を身につけたことが、海外生活から得た最大のものだと思います。

―大学生活はどんな感じだったんですか?

大学生活は、最高でした! 遊びも勉強のうち、音楽も勉強のうち、飲みも勉強のうちって感じで、毎日遊んでました(笑) あと、ジャズのサークルに所属したり、バイトしたりして、イギリス、スペインにはない日本の感覚を、多少ながらリハビリしたと思います。

―今のお仕事について、説明して頂けますか?

英語で言うところの、フリーランスの“composer”“arranger”、つまり、作曲家・編曲家です。

主に、仕事は二つあって、一つ目はCMの音楽を作る。例えば、ジャン・レノの出ているトヨタのアルファードのCM、音楽は僕が手がけたものですし、テレビだけではなく、webだとか、あらゆるところにCMはあるので、その音楽を作っているんです。

あとは、アーティストのプロデュース。今は、シルビオ・アナスタシオっていう、ブラジリアンのシンガーソングライターとアルバムを作っていて、毎日忙しくしています。

―今のお仕事の大変さは??

僕の作ってる音楽は、クライアントがあっての音楽なので、クライアントやCM音楽プロデューサーにOKをもらえるように作らないといけません。

僕の立場はある意味一番下で、僕の上に音楽プロデューサー、その上に広告代理店、さらに、その上にクライアントがいます。僕の上のどこかでNGが出たら、いくら僕がいいものが出来たと思っても、世に出ることはないので、そこがやっぱり自分自身の作品作りとは違った大変なところです。

クライアントの前でコンペの場合もあるので、「音楽のせいで負けた」と言われないように、頑張っています。プロデューサーに聴かせるデモ音源も、一日という限られた時間内で作ることも多いので、忙しくて時間が全くない時と、逆に時間がある時の差が激しいですね。

―どういった経緯で今のお仕事に就いたのですか?

僕は、大学ではジャズ研に入って、ギターをずっとやっていたんですが、就職するときに、漠然と、音楽が好きだから音楽に関わる仕事がしたいって思いました。それに、英語とスペイン語の語学力を活かして、国際的な仕事がしたいと思っていました。

それで、フェルナンデスという有名なギター会社の国際部に入りました。仕事は楽しかったです。例えば、ハンガリーに行って、いいギターを売るとか、充実した生活でした。ただ、いくらギターが好きでギターに関わる仕事であっても、僕の仕事はギターを売るという仕事であり、何かを作りだす創造的な仕事では全くなかったので、時間が経つにつれて、商品としてギターを売るだけなら、別に他のものを売るのとは何ら変わらないんじゃないか。。。そう思って考えた結果、1年半ほどで辞めることにしました。

それからは、英語を教えながら、音楽活動をしていました。しばらくそんな生活を続けていて、28ぐらいかな? 28の時に、Macを買ったんですよ。それを使って音楽を作るようになって。

ある時、アーティストをしながら、CM作家としても売れている方のお話を聞いて、それからしばらくして、制作会社にただでいいから使ってくれって、アプローチをしてみた(笑) それでも全部断られて(笑) 音源作りをし直したりして、しばらく経ってから、友達の紹介で、音楽制作会社の社長のアシスタントをさせてもらえることになって、それから半年、1年後ぐらいから、その会社でコンポーザーとして働くようになったんです。

アシスタントとしては本当に使えなくて(笑) 時間にもルーズだし、社長には色々言われましたよ。アシスタントから始めて、いろいろ教えてもらって、今では作曲家として独り立ちさせてもらうまでに至って。。。社長が英国人だから、職場では英語も使うし、いい環境でやらせてもらってたと思うよ。

そのきっかけを思い返してみると、友達って、やっぱり大事だよって思うな(笑)!!

五十嵐渉さんのmyspace

http://www.myspace.com/watatasfritas

インタビューアから一言

人生をほんとうに楽しんでいる。そんな印象を受ける方でした。アーティストの「におい」はもちろん、質問にも非常に丁寧に答えてくださる方で、優しい人柄を感じることができました。職場でインタビューをさせて頂いたのですが、僕がちょうどお邪魔したときにケーキが振る舞われていて、仲がいい職場だなぁ……と思いました。自分の好きなものを職業にされている五十嵐さんは、非常に充実した生活を送られているように思えました。五十嵐さん、いつかゆっくりと音楽話をしましょう! それからケーキごちそうさまでした!

interviewer_s_41_profile.jpg 吉川真一朗くん。1985年米国ニュージャージー州生まれ。その後、シカゴ、デトロイトを転々として、92年に日本帰国。12歳で再度渡米し、シカゴ近郊の小・中・高校に通う。その後、大学受験のため帰国。東京大学文科Ⅰ類に合格、現在法学部法律学科4年生。バンドMad Cloverのメンバーとして活動中。