我慢できない家族の宗教活動
宗教団体に、より多くのお金をつぎ込まなければと精神的な不安を感じ、お金の使い道の優先順位の一位が宗教団体になってしまう。その結果、金銭的な余裕がなくなる。
人々を正しい道に導かなければと思い込み、勧誘を熱心に行い周囲から煙たがられる。
家族との交流よりも宗教活動を優先させ、人生の貴重な時間を無駄にする。
宗教を信じる自由があるとはいえ、家族が宗教に洗脳され、社会的な孤立、経済的な困窮に陥っていく姿を見ると、何としても助け出してあげたいと思うのは当然のことです。
家族を宗教から抜け出させるのは難しい
外から冷静な目で見ればすぐにわかる宗教の矛盾点。しかし、信じたいという気持ちがその矛盾点すら脳内で都合の良い解釈に変えてしまう。
お金と時間をつぎ込めばつぎ込むほど、人はそのしてきたことの大きさから、自分のしてきたことに対して正当化しようと強く思う。
家族や友人との交流よりも信者同士との交流の方が温かく居心地の良いものに感じられ、人生の生きがいになってしまう。
宗教を信じ切っている人を説得して脱会させるのは大変難しい問題です。どのように説得をしても、それに対する反論を用意していることも多く話は平行線になりがちです、
今回はそんな難しい問題をある方法で解決した私の母についてお話したいと思います。
強く信じ切っていた私
20代のころ、ある宗教にのめり込みました。初めての出会いから「神様に導かれてこの宗教に入った。もっともっと人々にこの世界最高の教えを広めるべきだ」と思っていました。
働いて稼いだお金を、ほとんど教団にお布施をすることが生きがいとなり、プライベートな時間もほとんど教団での活動をする状態で人格そのものが変わりました。
どうして、みんなは本当の宗教とは何かを知ろうとしないのか?
周りにも必死で話だけでも聞いてもらいたいと働きかけました。私の信じる宗教こそが本物だ。なんでみんな最初から疑うんだ?そんな私を周りは冷ややかな目で見るようになり、それまでの人間関係も悪くなりました。
もっともっと神様に認めてもらいたい。
教団の若者だけで集まる青年団に入りました。同じ考えを持つ若者たちは皆、目がきらきらしていて希望に満ち溢れていました。
「この中に入れたということは選ばれた人間なんだ。さらに気を引き締めて頑張り、神様に認めてもらうんだ」と思っていました。
教祖を遠目で見た時、雷に打たれたかのような感動がありました。
教団の本部でのイベントにも参加しました。イベントに参加するのはみんな熱心な信者たちばかりです。熱狂的な興奮の渦の中、教祖を遠目で見ることが出来ました。心の中から教祖に自分の全てを捧げたい。強く思いました。
母親を入信させることが一番の親孝行であると思いこみました。
母親に自分の宗教がどんなに素晴らしく、今までの宗教が形骸化している中で、本物とは何かを熱く語りました。母は全然信じてくれませんでした。
それでもあきらめずに「一度だけでも教団を見てほしい」とお願いし、母を教団に連れていくことが出来ました。
教団に母と入ると、他の信者の方や幹部の方が寄ってきて大変な歓迎ぶりでした。「息子さんを通じて神様があなたを導いてくれたのです」と言って幹部の方はいかに教団が
今までの宗教と違うかを母に話しこみました。
母は何も反論せずに黙って幹部の方や他の信者の方の奇跡体験などを聞きました。その後、母は来てほしいところがあると言い、私をあるところに連れて行きました。
そこは聞いたこともない名前の宗教団体でした。
中に入り、驚きました。自分が信じている教団と似ているのです。見た目も同じなら教えもそっくりです。訳を聞くと私が信じている教団と分裂した教団だと言うことが分かりました。
そこの教団の幹部の方が話をしてくれました。「今あなたが信じているA教団は私たちのB教団から分裂した教団です」私はこの言葉に大変怒りを覚えました。
何を証拠にそんなことを言うんだ。
そっちが真似をしてるだけじゃないのか?そっちがその気ならとことん話して論破してやろう。メラメラと闘志がわいてきました。
B教団の信者は私に、入信すると、こんな奇跡が起き、あんな奇跡が起きると話をしてきました。奇跡といっても空を飛ぶとかではなく、病気が治ったり、仕事が上手くいったり、その程度のものです。
私は、「心の持ち方が奇跡を起こしてるのであって神様が奇跡を起こしてる訳じゃない。しかも邪教といわれる宗教には悪霊がわざと信じ込ませるために奇跡を起こす時がある」と反論しました。
しかしB教団の信者さん達は、A教団こそ邪教で、A教団の奇跡なんてものは悪霊の仕業であると私と同じようなことを言いだしました。
私はこの信者さん達に救いようのないものを感じました。
本当の宗教であるA教団には魂のレベルで爽やかな明るいものを感じる。しかしB教団にはそれがないと言いました。しかしB教団の信者さん達も火がついたのか?必死で私を説得しようとしました。
その内の一人で印象に残ってるのはA教団からB教団に乗り換えた信者さんです。彼女は「家族をA教団に殺されかけた」と言いました。
A教団には西洋医学の薬は神様が与えてくれる病気を無理やり抑えつける毒であるという教えがあります。その教えにとらわれ家族が薬を飲むのをためらい、あと少しで命を落としかねない状態になったそうです。
これに対しても私は反論しました。
「A教団には、確かに薬は毒であるという教えがあります。しかし医者が処方する薬は一時的に苦しみを和らげるために飲む方がいいという教えもあります。そのことを知ってるのか?」と言いました。
しかし、彼女はA教団から移動してきた人は他にもいてる。その全員が移動して良かったと言っていると反論しました。これに対しても私は腹が立ちました。
何十万人という信者の中でほんの少し、そういう人もいるだろう。しかしほんの少しの人だけの意見であり、もっと広くA教団を見てないんじゃないか?
もうこれ以上議論しても、この信者さんたちを納得させられない。
邪教に陥った人達を救うのは難しい。そう判断した私は母とともにB教団を出ました。
A教団を信じたい。しかし真実は何なのか知りたい。
私の心の中では周りが何を言おうとA教団を信じるという気持ちがありました。魂のレベルで信じてるのだから揺るぎないものであると考えていました。
しかし、B教団に行った時のことが頭から忘れることが出来ずに心の葛藤が生まれました。
A教団でこのことを話したら「えらい!邪教に惑わされなかったんですね!そんな邪教に惑わされたら駄目ですよ」と言われました。
しかし、そういう人たちに「B教団ってどういう教団か?」と聞いても詳しく答える人はいませんでした。
そのうち心の葛藤は日増しに強くなり、それとともにA教団に出向く回数は減りました。A教団を信じたい。疑うことはしたくない。
しかし、真実を知りたい。そう思いA教団とB教団のことを調べると、元々は同じ教団であったが分裂をし、なんとそれ以外にも複雑に分裂をしていることが分かりました。
私はさらにA教団から足が遠のき、とうとう行くことをやめました。その後、母親は一切このことに触れてきませんでした。
説得よりも興味
母は、周りを見ることの大切さ、自分の頭で考えることの大切さを教えてくれました。
A教団を信じることが全てであり、生きがいを感じてた私は教団の勉強会にも出来る限り参加をし、教団を批判するどんな質問にも答えられる準備をしていました。
もし、母が答えを押しつけるように教団を批判しても私は必死で言い返したと思います。それを母は気付いていたのか?私に教団に対する疑問が生まれるようにしたのです。
宗教を信じるのは自由ですが家族が社会生活に支障をきたしているのを見ると心配になります。
しかし信じ切ってる人に、どんな説得をしても説得そのものが悪の言葉に聞こえてしまうでしょう。
そんな難しい問題に私の経験が、一つのヒントとなればと思います。