副題は「地べたから見たイギリスEU離脱」。イギリス人と結婚し、イギリスのブライトンに住みながら、保育士兼ライターとして活躍する著者がイギリスのEU離脱とその背景をリポート、分析した本。
 著者に関してはネットの記事などでご存じの方も多いでしょうが、この本でもイギリスの労働者階級の只中で暮らしながら、彼らがどのような考えをもってEU離脱に賛成したのかということを的確に伝えています。
 後半の第III部に関しては、著者が本などを読んで勉強したことがまとめてある感じでやや面白さは落ちるのですが、前半は金成隆一『ルポ トランプ王国』(岩波新書)に通じる面白さがありますね。

 目次は以下の通り。
第I部 地べたから見たブレグジットの「その後」

(1)ブレグジットとトランプ現象は本当に似ていたのか
(2)いま人々は、国民投票の結果を後悔しているのか
(3)労働者たちが離脱を選んだ動機と労働党の復活はつながっている
(4)排外主義を打破する政治
(5)ミクロレベルでの考察――離脱派家庭と残留派家庭はいま

第II部 労働者階級とはどんな人たちなのか

(1)40年後の『ハマータウンの野郎ども』
(2)「ニュー・マイノリティ」の背景と政治意識

第III部 英国労働者階級の100年――歴史の中に現在(いま)が見える

(1)叛逆のはじまり(1910年―1939年)
(2)1945年のスピリット(1939年―1951年)
(3)ワーキングクラス・ヒーローの時代(1951年―1969年)
(4)受難と解体の時代(1970年―1990年)
(5)ブロークン・ブリテンと大緊縮時代(1990年―2017年)

 まずこの本は、いわゆる「ポピュリズム現象」を代表するとされているブレグジットとトランプの勝利の違いを指摘するところから始まります。
 貧しい労働者階級の支持を受けたとされるトランプですが、データをみると支持の割合は富裕層のほうが高く、25pの表を見ると年収5万ドル以上はトランプ支持、5万ドル以下はクリントン支持という構図が見えてきます。
 一方、EU離脱の国民投票において残留を支持したのはアッパー・ミドルクラスや、ドルクラス、離脱を支持したのが高スキル労働者のカテゴリーや、中スキルまたは無スキル労働者、失業者のカテゴリーであり、低所得者ほど離脱に賛成という構図がはっきりしています(もっとも示されているのは階級カテゴリーで実際の年収はわからない)。

 また、トランプといえば「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」なわけですが、イギリスの労働者にイギリスを再び「グレイト」にしようという考えはなかったのではないかと著者は見ています(31p)。
 大英帝国への郷愁や、移民に対するレイシズムではなく、まず何よりもキャメロン政権の緊縮政策に対する労働者階級の怒りであったというのが著者の見立てです。
 
 確かに、EU離脱の国民投票において人々の最大の関心事は「移民問題」だったのですが、2番目に人々があげたのがNHS(医療制度)の問題です(45p)。「EUを離脱すればNHSにもっと資金を投入できる」という主張が人々の心を捉えたのです。
 
 金融危機後の2010年に政権を獲得したキャメロン首相とオズボーン蔵相は、2014年までに総額810億ポンド(約12兆円)の歳出削減を掲げ、さまざまな公共サービスを削っていきました。
 こうした緊縮政策への反発は、ヨーロッパの他の国、例えばスペインやギリシャでも起こっており、この「反緊縮」はEU離脱の国民投票だけでなく、2017年の総選挙における予想外の労働党の善戦にもつながったというのです。
 
 他にも第I部の最後では、実在する2つの家庭の母親を入れ替えるリアリティー番組『ワイフ・スワップ』の「ブレグジット・スペシャル」を紹介しています。これは離脱派の母親が残留派の家庭へ、残留派の母親が離脱派の家庭に行って1週間生活するという、いかにもイギリス的な、趣味が悪い番組ではあるのですが、離脱派と残留派の違いを端的に示していて面白いです。

 第II部は、著者の知り合いで離脱に賛成した人々へのインタビューから始まるのですが、ここがこの本の一番面白いところです。

 例えば、配送のドライバーなどをしているサイモンは移民に関して次のように語っています。
 「勘違いしないでほしいが、俺は移民は嫌いじゃないんだよ。いい奴もいるしね。嫌な奴もいるが。そりゃ英国人だって同じだ。
 …おれは英国人とか移民とかいうより、闘わない労働者が嫌いだ。黒人やバングラ系の移民とか、ひと昔前の移民は…この国に骨を埋めるつもりで来たから、組合に入って英国人の労働者と一緒に闘った。でも、EUからの移民は、出稼ぎで来ているだけだから、組合に入らない。
 この国の労働者たちの待遇改善なんて彼らにはどうでもいい。自分たちが金を稼げて、本国にそれを持って帰って家のローンを終わらせれば、それでOK。労働者の流動性は組合の力を弱めたと俺は思うね」(77-78p)

 ここにレイシズムとは違う「反移民」のロジックが現れています。
 他にもタイ人の妻がいる塗装工のジェフはEU離脱がギャンブルだと認めた上で次のように述べています。
 「俺たちの階級は、賭けないと、何も変わらない。労働者階級はみんな賭けをやって、成功した奴は登っていくし、負けた奴は登っていけない。楽に生きられる階級の人間は何も賭けたくないけど、俺たちは賭けないとどうにもならない階級」(98p)

 ちなみにこのジェフに関しては、自分の配偶者にはいろいろな手続が必要なのに、EU域内というだけでイギリスと何もかかわりのない人がやすやすと入ってくることにも不満を覚えています。
 さらにNHSに勤務していたローラは、移民の同僚に対して次のように話しています。
 「私は医療の現場では、ふつうの末端の看護師や介護士なら話は別だけど、カウンセリングをしたり、患者と話をしたりする医師は、きちんと英語を操れないといけないと思う。母国語レベルでね。健康のこと、特に命に関わるような病に関しては、80%話が通じればOKというような問題じゃないでしょう? 患者には100%わかる権利があると思う。(後略)

ー そういうことをNHSの英国人スタッフ同士で喋ったりしていた?
 
 「しない。そういうポリティカル・コレクトネスに関することは、NHSのような職場では絶対に喋れない。(117p)

 こうした話を聞くと、著者は最初に否定していましたが、金成隆一『ルポ トランプ王国』で紹介されているトランプ支持者たちと共通する面もあると思います。また、ブレアの時代は好景気でよかったと懐かしむ話も出てくるのですが、ここもトランプ支持者におけるビル・クリントンの意外な人気と重なる面があります。

 第II部の後半はジャスティン・ジェストの「ニューマイノリティ」という考えを紹介しています。
 この「ニューマイノリティ」というのは白人労働者階級の人々のことです。白人に「マイノリティ」という言葉を使うことについては反発もあるそうですが、今、白人労働者階級はさまざまな面で無力感を深めているといいます。
 そして、「有権者として連帯しようとしたとしても、彼らには旗印にできるアイデンティティが欠如している」(130p)のです。このあたりが今までの「マイノリティ」とは違っている部分になります。

 また、イギリスとアメリカの労働者の世界観の比較も行われていますが、それによるとアメリカが金持ちかそうでないかというヒエラルキーを想定しているのに対して、イギリスでいまだに貴族などの階級のヒエラルキーが残っており、さらにそこに移民が労働者階級よりも上にくるといった、やや複雑なヒエラルキーを想定しています(141ー148p)。

 第III部はセリーナ・トッド『ザ・ピープル イギリス労働者階級の盛衰』をもとにしたイギリス労働者階級の100年史。
 ここは著者が勉強してまとめた部分なので、それほど面白くはなかったです。特に自分は長谷川貴彦『イギリス現代史』(岩波新書)を読んだばかりで、あまり新鮮味はありませんでした。
 
 このように第III部は個人的にはいまいちではあったのですが、第II部のインタビューの部分は非常に読み応えがあり、テレビの報道などではわからないブレグジットの背景が見えてくると思います。
 著者には比較的明確な政治的スタンスがあるのですが(コービン推し)、そうしたスタンスによってものの見方が変に固定されていないのがこの本の良い点でしょう。また、日本における「右/左」とヨーロッパにおける「右/左」のズレをわかりやすく示してくれる本でもありますね。

労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱 (光文社新書)
ブレイディ みかこ
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