人は誰でも、自分にとって特別な意味を持つ行為があると思う。人によってはそれは山に登ることかもしれないし、料理をすることかもしれないし、筋トレをすることかもしれないし、服を着ることかもしれないし、セックスをすることかもしれない。
僕にとってのそれは、歌うこと、踊ること、そして書くことだった。
だから僕はいつもブログを書こうとしていた。
しかし僕はいつまでもブログを書かなかった。
そこには「ブログを書くからにはいいブログを書かなければいけない」という自己検閲があった。
いいブログを書こうとするとブログは書けなくなる
いつもブログを書こうとは思っていたから、ブログのネタはたくさんあった。これを書いたら面白いとか、これを書いたらウケるだろうというネタはたくさんあった。
しかしそれらをいつ書こうかと考えたり、どう書こうかと考えたりしているうちに、それらは書かれるべきタイミングを逃していった。
必要なのは、ただ書く、ということだった。
わけもなく、あてもなく、旅をするように書く
だからもうブログを書こうとするのは諦めて、ただ文章を書いてみようと思う。それでも大きすぎるなら、ただ文を紡いでいく。それでも大きすぎるなら、ただ文字を打っていく。それくらいでちょうどいい。
それは旅をするようなものだと思う。わけもなく、あてもないほど旅は豊かなものになる。目的地を決めてそれに向かっていくのは旅ではなく旅行だ。
ただ書いてみた結果、どうなるのかは分からない。しかし分からないからこそ書いてみる。僕にとって書くという行為は、そもそもそういうものだったはずだから。
(はてなブログ6周年と、今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」に寄せて。)