HIROKIM BLOG / 望月優大の日記

見えているものを見えるようにする。

「親方」というもう一つのチャンスについて

先ほど上司の川崎さんとご飯に行って感動したので、そのことについて少しだけブログに残しておきたいと思って書く走り書きのメモです。川崎さん、ありがとうございました。最初に、忘れないうちに、感謝の気持ちを書いておきます。

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川崎さん

自分は昔から人と人との関係性やその種類、その微妙なあり方がとても気になっていて。人が豊かに暮らしたり、新しい世界を切り開く勇気を得たりするにあたって、どんな関係性が必要だろうか、そしてそれは現実に生きる人たちにどの程度足りていて、足りていないのだろうか、ということを考えて生きてきました。

お金だけじゃないだろうと。お金がいくらあってもそれだけですっくと立って生きられるわけではないだろう、そう思ってきました。何らかの種類の関係性、信頼、そういったものが必要だろう、そう思ってきたんですね。

もちろん誰もが血のつながった「家族」というものから生まれてきます。でもそのつながりの中から多くのものを得ることができる場合もあれば、多くを失ってしまう場合もある。チーム自体が崩壊してしまうことすら少なくありません。そして、そうした状況の一つ一つを、生まれてくる側が自由に選べるわけではない。そのことが現代社会のなかでも当然のこととしてあります。みんな、知っていることです。

では、家族のほかにチャンスはないのか。

今年の頭にこんな記事を書いたことを思い出します。

血のつながった家族が必ずしも「うまくいく」わけではないということ。そのとき、どうやったら、どんなものが、受け皿になれるのか。どんな関係性が、ある人の人生に豊かさを与えることができるのか。そのきっかけになりうるのか。

私たち人間には多様な家族のあり方があり得るし、家族以外の人々ができることもたくさんある、このことをむしろ困難ではなく可能性だと捉えることができるのではないかと私は思います。その可能性の受け皿は必ずしも血のつながった家族に限られる必要はないし、家族である必要もない。A$AP Rockyが歌うように、振り返って大事だったと肯定できる他人との関係性を私たちはいろいろなやり方でつくっていく必要があるし、つくっていくことができるはずだと私は考えています。

このときは記事のタイトルの通り「私たちが生きていくために必要な関係性にはまだ名前がない」と思っていました。

でも、今日川崎さんと話しているなかで、自分が最近気になっていた「親方」というキーワードが頭の中に浮かんできました。

それは、川崎さんに、

子育てと部下育て(マネジメント)とは同じように考えているんですか?

と質問したときに、

究極的には同じだと考えているよ。 

という答えをもらったときのことです。これまでなんとなしに考えてきたようなこととどこかでつながったような気がしました。そして、会が終わって、家までの帰り道を歩きながら、考えをめぐらせていました。

親方というのは、親ではありません。職業的な、経済的な関係性のなかに、ある種の非経済的な、家族的な関係性がまじっている。これを、現代に生きる自分たちは「古いもの」だと思っているような気がします。いまという時代が乗り越えつつある過去のものだと思っているような気がするんですね。

ただ、果たしてそう言い切るだけでいいのか。

この古さを乗り越えなければいけないように感じるのは、それがある種の硬直性、血のつながった家族と同様の閉鎖性、離脱不可能性を伴う非合理的な権力関係を想起させるからかもしれません。そして、実際、そうした負の力学は、親方-弟子という擬似的な親子関係のなかでおおいに働きうるものなのだとも思います。

だから、乗り越えなければいけないように感じる。「親方」という言葉の古めかしさもそことつながっているように思います。

ただ、それは血のつながった家族にもいろいろあるのと同じように、血のつながっていない関係性についても、そこで誰かの人生がぐぐっと後押しされるような、そんな場合もあるのだということを否定するものではないのではないか。

むしろ、このポジティブな可能性をこそ、いま、きちんと見るべきなのではないかと思いました。

営利企業というものは、営利というくらいなので、利益追求という一つの論理に貫かれている。そしてそこでの雇用契約というのは、自分ができることの対価として給料をもらうという関係なわけです。そこには家族的なもの、有用性の外側にある何らかの価値観が自然に鎮座するような場所はありません。

だから、そこには意思が必要なんです。親方であろうとする意思が。でなければ、そこに「親方」というチャンスは発生しえない。

測定しやすい何某かの数値の外側で、「こいつの面白いところを見つけてやろう」という意思が存在することこそが、親方-弟子関係を生み出すことができるのだと思います。

いまは「はまっていない」けれど、どこかに活躍できるきっかけや場所があるはずだろう、そしてそのときが来たらきっと自分が助けられるだろう、こういう信念。そういう信念が、誰かの個人的な意思が、もう一人の別の誰かにとって、誰かの弟子であるという「もう一つのチャンス」を生み出すことにつながるのではないでしょうか。

語弊があるように聞こえるかもしれないですが、この会話をするうちに、帰り道で考えをめぐらせるうちに、自分はこれまでに川崎さんが育ててきたたくさんの子どもたちのうちの一人なのだと、そう思いました。

チルドレンなのだと。とても腹落ちしました。チャンスをくれた人なんだと改めて感じることができました。

恩返しをしようと思わなくていい。そんなことを今の自分にできると思うな。不遜なことだ。次の世代に恩を送ればいい。

と川崎さんは言ってくれました。

これはフックアップだなと。自分の上司が最高レベルのフックアッパーだったんだということに改めて気づきました。だから、自分は川崎さんのことを尊敬していたんだなと。気づくのが遅かったですが、答えは近くにあったみたいです。

僕はフックアップ精神に火をつけたいし、フックアッパーを増やさないといけないと考えています。フックアッパーが増えれば、必然的に助かる人が増えるからです。

この時代、真剣に、「親方」という「もう一つのチャンス」の可能性について考えることが必要だとぼくは思っています。人が紡ぐ関係性のうち、働く場所で出会う関係性は多くの割合を占めます。そこで誰とどんな関係を結ぶことができるか。待遇や働きやすさといった概念からは漏れ出しているものがそこにあると思う。その部分をきちんと見つめる必要があるように思います。

でも、上司だけではない。教師でもいい。塾の先生でもいい。本当に、誰でも、いつでも、どこでもいいのだと思います。親方というもう一つのチャンスがたくさん散らばっている社会にできればいいのだと思います。スタディクーポンが生み出したい出会いも、子どもたちと大人たちとの、そういう出会いなのだと思います。

走り書きでだだーっと書いてきました。こういう文章はあとで読むとこっぱずかしくなる確率が90%以上だと思うのですが、勢いでアップしたいと思います。

そして、自分も誰かの親方であれるように、力をためて、がんばっていこうと思いました。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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経済産業省、Googleなどを経て、現在はスマートニュースでNPO支援プログラム《ATLAS Program》のリーダーを務める。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。BAMPで「旅する啓蒙」連載中。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(後期フーコーの自由論)。1985年埼玉県生まれ。
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