一瞬にして「人生観」を変えるような衝撃的な出来事には、なかなかお目にかかれるものではありません。
しかし、看護師をしていると「雨垂れ石を穿つ」のことわざのごとく、ゆっくり、じんわりと、でも確実に「人生観」を変える出来事に遭遇することがあります。
私が看護師として働いている中で「人生観」がどう変わったのか、5個の出来事の詳細と共にお話ししましょう。
やっぱり「お金」は大事!
そんな下世話な話と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でも、看護師を続ければ続けるほど、この思いは強くなります。
例えば、交通事故で全身に何か所もの骨折をした患者さん。
相手側の落ち度が100%であったにもかかわらず、加害者からの保証は一切なく、障害が残ってしまったため仕事を解雇され、収入もまったく無くなりました。
しかも奥様は妊娠中であり、この先どうしたらよいのかと、途方に暮れる毎日。
このような理不尽な目にあう患者さん、意外に少なくありません。
他にも、入院費が支払えずに病院を脱走した患者さん、治療費の支払いでもめて大喧嘩する家族、経済的な理由から本当に受けたい治療を受けられず、泣く泣くあきらめる人たちなどを何人もみてきました。
経済的余裕がなければ、精神的に追い詰められて、もめごとを起こしやすくなり、治療に専念できなくなるだけでなく、治療の選択肢そのものも狭まります。
医療保険に加入していないのであれば、せめて貯金はきちんとするなどの対策を講じておくべきです。
病気に立ち向かうには「ほどほど」が一番!
病気を指摘された時「頑張って治そう!」と、前向きに立ち向かう決意をすることは、むしろ好ましいことです。
けれども、その思いが強すぎて、中には暴走してしまう人も。
ある40代女性は、自分の病気について熱心に勉強し、多くの知識を身に着けていました。
しかし、それが逆に彼女を疑心暗鬼にさせてしまったようです。
医師から何度説明を受けても納得できず、毎回、診察後に看護師を呼び止め、1時間以上、再度の説明を求めるようになりました。
それでも納得できず、セカンドオピニオンを求めて病院を転々と渡り歩いた挙句、ついには民間療法に頼るように。
数年後、再び当院を訪れた際には、手の施しようがない状態にまで悪化していました。
逆の場合も…
逆に「無関心」「無責任」な方向へ暴走してしまうケースも問題です。
糖尿病の男性患者さんの口癖は「もう治ったから大丈夫」。
通院の約束は守らないし、お酒は毎日飲むけど、薬を飲み忘れることはしょっちゅうです。
あまりの不摂生に入院をすすめても、一向に応じません。
最終的には、網膜症が悪化して失明し、片足を切断する事態にまで悪化させてしまいました。
頑張りすぎても、頑張らなさ過ぎてもダメ。
病気を理解し、立ち向かおうとする意志は持ちながらもやれることをやったら、あとは病院にお任せするという寛容さも大事だと私は思います。
何事も「ほどほど」が一番なのではないでしょうか。
「家族」を当てにしすぎてはいけない!
「家族」は病気になった時、精神的にも肉体的にも自分を支えてくれるありがたい存在です。
しかし、中にはそれを拒否する「家族」もいらっしゃいます。
豪華な個室に滞在されていた会社経営者の年配女性。
会社関係者は頻繁に来院されますが、家族の方がお見舞いに来られることは、まったくと言っていいほどありませんでした。
一度、容体が悪化した際に連絡したのですが、「病院にお任せします」と、けんもほろろの対応。
それどころか、いよいよ死期が近いとなると一斉に現れて、相続に関する書類に印鑑を押すよう迫った挙句、用事がすむと逃げるように帰ってしましました。
ここまで極端な例でなくても、半身不随になった70代の母親の面倒を誰が見るかで、もめにもめている家族や年末年始に老人ホームの入所者さんを誰も迎えに来ない現状など「家族だからといってすべて受け入れられるわけではない」という現実を幾度も突き付けられてきました。
せめて、自分自身は家族を当てにしすぎないよう「自身の健康を維持する努力」「家族との関係を良好に保つ努力」「家族に負担をかけない努力」を怠るまいと感じさせられましたね。
人に愛される人が、やっぱり得をする!
患者さんにもいろんなタイプの方がいらっしゃいます。
例えば、いつも文句を言う方、大声で騒ぎ立てて自分の意見を通す方などは、一見、自分の主張を押し通すことで、得をしているように見えますが、彼らが自分の希望がかなったことを喜んでいるのを見たことがありません。
それどころか、別の新たな不満を見つけて、一日中不機嫌な顔をしています。
逆に、文句を言わない方、他の人に感謝のできる方、他の人を思いやれる方は一見、我慢ばかりして損しているように見えますが、なんだかいつも幸せそうで、楽しそうに見えます。
治療や看護に関わる医療従事者も、やはり人間ですので、こんな人のためになら頑張ろうと思いますし、実際、頑張ってしまうもの。
結果的に得られるものは、文句の多い方よりもずっと多いのではないでしょうか。
やっぱり、人に愛される人が、結局は得をするんですよね。
ある医師が亡くなる前に残してくださった思い
私が以前いた病院で一緒に働かせていただいた、とても素晴らしい医師についてのお話です。
いつも、患者さんのことを第一に考えていらっしゃいましたね。
優しくて穏やかでしたけれども、仕事には厳しくて特に患者さんにご迷惑をかけるようなことは、絶対に許さないような方でした。
朝早くから出勤して、患者さんのベッドサイドで、直接患者さんと対話されるのが日課となっており大勢の患者さんから、まるで神様のように崇拝され、慕われていました。
廊下で先生の手を握って「ありがとう、ありがとう」と何度も言いながら涙を流している患者さんを見たこともあります。
先生の姿を見るたびに「私も頑張らなければ」と身の引き締まる思いがしましたし先生に褒めていただけると、とてつもなく嬉しかったのを覚えています。
そんな先生が、ある日体調を崩されました。
病名は「肺癌」。
手術を受けて、職場に復帰され、何事もなかったかのように診察を続けておられましたが、そのわずか数か月後、多くの人たちの願いもむなしく、帰らぬ人となりました。
お葬式には、会場に入り切れないほどの人が集まり、あちこちですすり泣く声が聞こえ、普段はけっして感情を表に出さない師長さんが、人目もはばからず号泣していたことが印象に残っています。
あれから数年の月日が経ちました。
ある看護師さんは、つらい時や負けそうな時には、先生の顔を思い出し、頑張ろうと思うのだと語っていました。
また別の看護師さんは、迷った時は「先生ならどうするだろう」と考えるのだそうです。
忙しすぎて、みんなの心が折れそうになった時「先生が見てらっしゃるよ!」と全員に声をかけた主任さんもいらっしゃいました。
亡くなられてもなお、先生の思いは私たちの中に生き続けている、そんな気がします。
その思いに恥じぬよう、これからも先生に認められる看護師を目指して頑張っていきたいと思います。
最後に
いかがでしょうか。
看護師は、いろんな人の人生の深い部分を垣間見ることができるお仕事でもあります。
そんな中から、私なりに学んできた「人生観」が、みなさんの心に響くものになれば嬉しく思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。