神様の話。
といっても宗教的な話題じゃないんだ。
みんな、何かしら自分の中に正義を持っていると思う。
正義なんていうとちょい大げさかな。
まあ行動の善悪とか。
何がいいコトで何がわるいコトか、とか。
それって何も、時代や環境によって作られる常識の意味だけに限定されるわけじゃないと思うんだよね。
大雑把にいえば、何を信じているか、じゃないかなって。
それが人によっては、イエス・キリストだったり、釈迦だったり、アフラ=マズダだったり、するんだよね。
信じたい神様を信じる。
それでいいと思うんだ。
概念として神格化された存在じゃない場合もある。
芸術の世界は、作品が神様となる場合だってあるだろうしね。
偶像崇拝とか面倒くさい言葉を使うまでもなく、とにかく人は、何かを信じたくて何でも信じる対象に選ぶコトができる、って思う。
さてわたしは何を信じているのか。
それは、太陽。
これは子供の頃から何も変わっていない。
ずっと同じ。
多分だけど、親から伝染した考え方が土台にあるんだろうな。
直接聞いたコトはないけど。
太陽を信頼しきっている。
神様って言葉を聞いた時に無意識に連想するイメージが太陽なんだ。
太陽はなんでも見ていて、エネルギーをただただ無限に与えてくれる存在、みてーな。
実際は無限じゃないんだよとかいうな、そういう話したいんじゃないから、イメージだから。
わたしが何か不正を働きそうになった時には、太陽の下を歩けなくなってもいいのか?という声が聞こえるような気がする。
わたしには太陽の光に照らされる資格があるの?って、何度も考えたコトがある。
太陽の何がそんなに気になるのか今となっては理由がわからない。
考えたところでこの感覚から逃れるコトはないような気がするから、考えなくなったのかもしれない。
太陽を信じて、恐怖している。
ブログに愚痴や文句を書いているのは、そうな後ろ向きな感情をわたしが持っているコトを白日のもとに晒すコトで、懺悔したがっているんだ。
このブログは告解なのかもしれない。
わたしは自分を許せるのは自分しかいないと思っている。
わたしを傷つけるのは他人で、許し癒すのは自分。
だからわたしは今日も、自分を許すために文章を綴る。