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双極性naoの「てにをは」

双極性障害のnaoが伝える、ことばの力と闘病の記録。

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生きている意味なんてない、だから生きる。

みずたまなおです。

こんにちは。

 

今回は、生きる意味についてのお話です。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

 

【目 次】

 

生きている意味

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突然ですが、なぜあなたはいま生きているのですか?

あまりにも唐突すぎて、またあまりにも漠然としすぎていて、言葉に詰まってしまうかもしれませんね。

間違いなく、私も言葉に詰まります。

 

では質問を変えます。

あなたは、何のために生きているのですか?

 

質問をこう変えることで、答えられる人も中にはいるかもしれません。

大事な家族を守るため、地位や名誉を得るため、他にもいろいろあるでしょう。

一方で、答えられないという人もいるでしょう。

 

別に答えられなくても命を奪われることなんてないし、私も含め、きっと答えられない人の方が多いような気がします。

 

生きている意味を自分なりに見いだせている人が良くて、そうでない人が悪いというわけではありません。

私のように、見いだせなくても生きていけているのは一体なぜなのでしょうか。 

 

ある2つのブログと1つの曲から

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私がいつも読んでいるブログはたくさんあります。

その中で、同じようなテーマについて書いているブログが2つありました。

どちらのブログも「生きる理由や意味」をテーマにしているのですが、その内容は大きく異なります。

 

「生きる意味」という、壮大なテーマだからこそ、きっとそれぞれの思いや考え方があって、それを他人がどうこう言える話ではありません。

そのため、ここではあくまでも2つのブログの紹介にとどめておいて、筆者の意見に対して、私は何も言及しません。

ただ、この2つのブログの記事から考えるきっかけを提供していただいたので、それらを踏まえて、私なりの考えに繋げようと思います。

 

誰かのために生きよう

この記事の筆者は、うつ病で会社を休職されていて、休職する直前は「死にたい」という思いを持っていたようです。

「どうやって死のうかな」とか「仕事嫌だな」とか「生きている意味あるのかな」など。

仕事が終わるのはいつも深夜。

帰路についても何だか落ち着かず「家に帰りたくない」と、公園のブランコや土手の橋の下で気持ちを落ち着けていました。

 

しばらく経って体調が少し回復した頃、かつて深夜に過ごした公園や橋の下の近くを通る機会がありました。

そのとき、筆者はこう思うのです。

もし自殺をしてしまっていたら、あの苦しい気持ちを抱え続けてその場にずっといるんだろうな。だったら自殺しても救われなんかしないんだな。

これがきっかけで、筆者は死にたい気持ちから脱出できたと記しています。

 

しかし、ただ脱出できただけで、特に「生きたい」とも感じていませんでした。

「死にたいわけではないけれど、生きたいわけでもない」という、宙に浮いた状態で過ごしていました。

 

あるとき、筆者は先輩にこうした状況を話しました。

その話を聞いて、先輩は思いもよらぬ言葉を筆者に投げかけるのです。

私は来世でイケメンに生まれ変わり、ジャニーズ事務所に入って女の子にキャーキャー言われまくるために、今世で徳を積みまくる。そのために今を生きている

筆者は始め、スケールの大きさと先輩の言葉に驚きますが、次第に筆者の心に響いてきました。

それが「生きたい」という気持ちの切り替えになったのです。

 

そして筆者は、自身の考えを次のように述べています。 

まぁ、あるかわからないけれど来世のために今世はいい行いをするか、と。

そのためにはまずは元気になろう。

そして自分が楽しい、頑張りたいと思える場所で誰かのためになるいい行いをしよう。

筆者は「今死にたい君へ」として苦しんでいる方へのメッセージを伝えて記事を結んでいます。

 

筆者は、 「死にたい」でも「生きたい」でもない宙ぶらりんな状況を経て、身近な存在である先輩の言葉に生きるヒントをもらいました。

そして、自身で考えていくなかで、「来世のために、誰かのために生きよう、生きたい。まずは元気にならないと!」という結論に至ったのです。

 

<参考記事>

kimioka05.hatenadiary.jp

 

質問自体が誤りでは?

こちらのブログでも「生きる意味」について、筆者は考えを述べています。

筆者は、「生きる意味とは?」ということを考えること自体が誤りなのではないかとの見解を示しています。

 

「生きる意味とは社会に貢献すること」というお父様の影響もあり、筆者はうつ病になる前は、社会に貢献することで自分の存在価値を見出だそうとしておられたようです。

 

筆者は、ある会社に就職し、その後うつ病で退職します。

うつのどん底で働けなくなったとき、「生きる意味とは何か」ということについて考えます。

病床にふして働けなくなったとき、「生きる意味とは?」と考えると、「社会に何も貢献できていない状態は、つまり生きている意味がないということなのか?」と腑に落ちない思いをされたようです。

 

そういった経験から、筆者は「生きる意味とは?」という考えはしないようにしました。

私たちは、なにか「問い」があると、無意識に「答え」を求めてしまう、ならば初めから問わなければいいのではないだろうか、と。

その上で筆者は、「生きる意味」を考えることは、自分の精神や身体にダメージを与えるのでは、との懸念を示しています。

 

これはつまり、「生きる意味は何か?」という問いがあれば、無意識にその答えを求めてしまう。

仮に、その答え(生きる意味)が愛する妻、であるとすると、いざ妻を失ってしまったとき、その人にとっての「人生の支え」が失われ、生きる意味さえも失われてしまう可能性があるのです。

筆者の記事から引用すれば、自分が生きる意味の『対象』を失った場合、瞬く間に危険な思考に陥るリスクがある」ということなのです。

 ネットで「生きる意味」と検索すると、非常に多くのサイトが表示され、「生きる意味がありません」という質問も多く見受けられます。それは、「生きる意味は何か?」と問うているから答えを見つけようとしているに過ぎず、「答えはない」という選択肢は最初からない可能性があります。そもそも「生きる意味は必ず存在するから、何かしら見つけないといけない」という発想自体が、何か根本的な誤りを含んでいる、と筆者は指摘しています。 そして、筆者は結びでこのように述べています。

私の個人的見解ですが「生きる意味が存在しない可能性」そして「生きる意味が存在しなくても、生きる意味が分からなくても問題はない」という発想を、個人(特に、うつ病を患っている方)が持っても良い気がします。「生きる意味とは何か?」と考える前に「生きる意味とは何か?」という問い自体が、誤っていないか?という、視点を持って頂ければ幸いです。

 <参考記事>utsu-hiroshima.hatenablog.com 

『あの青をこえて』19(ジューク)

広島県出身のデュオ、19のデビューシングル『あの青をこえて』は、1998年にリリースされました。この曲は「生きる意味と葛藤」について歌った一曲で、作詞は、ナカムラミツル(326)さんによるものです。曲の後半で、このような一節があります。

生きてゆく事は掛けて行く事僕″らしく″意味を追い駆けてどんなにもチャンスがめぐってきても僕が″ゼロ″なら意味がない

私なりに解釈すると、「生きることは掛け算のようだ。自分らしい追いかければいい。でも、自分がゼロだとどんなチャンスも逃してしまうだろう」。自分自身に起こることが10かもしれないし100かもしれない、けれど自分がゼロだと結果はゼロのままだ。つまり、1(わずかな望み)くらいは持っていた方がいい、ということです。

あの青をこえて

あの青をこえて

  • 19
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

私の「生きる意味」  

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2つのブログと1つの曲についてご紹介しました。

私自身もこのことについて、文章を書きながらたびたび考えていましたが、曖昧なままここまで来てしまいました。

どちらのブログもとても考えさせられる内容であるし、19の曲も想像力を掻き立てられてとても深いです。

 

今、キーボードをぱちぱちと弾きながらも、何度も手が止まっています。

生きる意味を見つけたのかもしれない最初のブログ、生きる意味を考えること自体が間違っているのではないかという2つ目のブログ、生きる意味をわずかでも持っていた方がいいという曲。

きっとどれも正しくて、どれも間違ってはいないはずです。

 

考えに考え、考えあぐねました。

私にとっての「生きる意味」とは何だろう、と。

 

それは、おそらくないのだと思います。

「生きる意味」なんてないのだと思うのです。

生きる意味などない。

だから、私は生きるのだと思います。

 

逆説的(パラドックス)ではありますが、今はただ、生きる。

その意味を、あえて探したり、問いかけたりはしません。

生きる意味などないから、どんな思考やどんなプレッシャーにも支配されず、自分でいられるような気がするのです。

生きる意味などないから、生きようと思える気がするのです。

 

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記事を紹介させていただいた、ミクニさま、みーくんさま、このたびは考える機会を与えていただき、ありがとうございます。

もし、事実や解釈が異なる場合があれば、お知らせいただければ幸いです。

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最後までご覧いただきありがとうございます。

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