私は政治家を見るとき、こんな見方をしている。それは「闘う政治家」と「闘わない政治家」である。(中略)私は常に「闘う政治家」でありたいと願っている。
出典:美しい国へ(2006年・安倍晋三)
ゴルフ
日米首脳はゴルフ外交、夫人は銀座。私はひとりでブログを書く。「美しい国へ」を再度読む。特に何もなし。私には夫人もいなければ、ゴルフをやる趣味もない。というか、ゴルフは一度だけ打ちっ放しに行ったっきりで、打ち止めになっている。あれはそう、美しい女が私にゴルフの手ほどきをしてくれた。思い出せば運動神経の悪い私は一向に上達はしなかった。1時間やったかどうか。覚えてはいない。ゴルフなんてただの球入れじゃないか。玉を穴に入れて何が楽しいか!
ギンザ
夫人は銀座でお買い物。私も銀座でデートしたことが何度かある。千疋屋本店でオレンジジュースを飲んだ記憶がある。味などしなかった。その後、グッチのカフェでコーヒーを飲んだ。バカ高いコーヒーだった。2度と行かない。全然くつろげなかった。何を話したのかすら記憶にない。銀座は庶民にはつまらない場所だ。そうそう、思い出せば、銀座のカフェに行ったときに腹を下したのだった。紳士たるものデートでトイレに籠るなどあるまじき行為だ。グッチカフェでデート中にクソを垂れる男。別れて大正解。女の勘は実に鋭い。クソッタレめ。
美しい国ニッポン
せっかくなので「美しい国へ」の本に書いてある一部を抜き出しておく。
「地球市民」は信用できるか
国家、すなわちネーションとは、ラテン語の「ナツィオ」が語源だ。中世ヨーロッパでは、あちこちからイタリアのボローニャにある大学に学生が集まってきた。大学の共通語はラテン語だが、同郷の仲間と集うときは、自分たちの国の言葉で話した。そして酒を酌み交わしたり、歌を歌ったりしながら、故郷を懐かしんだ。どこで生まれ、どこで育ったか、同じ民族でその出自を確認し合うのだ。その会合を「ナツィオ」と呼んだのである。
出典:美しい国へ 90ページより
ネーションだか、ナツオだか、ボローニャだか知らないが、多民族と酒を酌み交わすことは素晴らしいことだ。私もフィリピンパブには何度かお世話になった。彼女たちフィリピーナは客のことを「シャッチョウサン!」「センセイ!」「ニホンジンハ、スケベネ!」などと言う。そしてバカ高い料金を請求される。これは私のある意味での外交なのだ。外交とは金がかかるのだ。フィリピンパブは私の大学でもあった。しかし私が10代の頃にその大学で学んだ外交手腕を生かせる場所はもうない。もうないのだ。