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2017-11-05

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・日本の貴族の社会も、それなりに長く続いていたわけで、
 その後に「武士」が天下の社会になるとは、
 思いもよらなかったことだろう。
 次の時代がどうなるかについて、
 ぼくらはすでにその歴史の流れを知っているけれど、
 それぞれの時代のなかに生きていた人は、
 先のことを知っていたわけではない。

 毎日が同じことのくりかえしに見える「いま」のなかに、
 じわじわと「次の時代」が混じってきて、
 やがて、「いま」だったものが「過去」になり、
 「次」だと思われていたものが、「いま」になる。

 新参者として相手にされなかったり軽蔑されてたものが、
 いつのまにか、「次の時代」の主役になっていたりする。
 ぼくが育ってきた時代は、電機メーカーやら、銀行やら、
 自動車会社、新聞社、出版社、繊維メーカーなどなどが、
 その「いまの時代」の主役に思えていた。
 しかし、この「いま」には、
 もうすでに「次」が混ざりこんできている。
 そして、「次」の割合がどんどん大きくなっているから、
 ぼくらが「いま」だと思って生きてきた時代は、
 もう「過去」になりかけているのだろうと思う。
 革命だとか維新だとかがなくても、
 ひっきりなしに時代は脱皮や交代を続けていて、
 どくんどくんと脈打つように変化しているわけだ。

 「Google」だとか「Amazon」だとかは、
 ぼくたちの年代の人間が考える「いま」にはなかった。
 日本のプロ野球にも、鉄道や新聞に混じって、
 だんだんといわゆるIT企業の球団が増えてきている。
 そうやって、「いま」はいつでも「過去」になっていく。
 「新参者」だとか「成りあがり」だとか
 「ぽっと出」などと言われたものが、そうでなくなって、
 また新しい「新参者」に押し出されそうになっていく。
 ずうっと昔から、ずうっとそれが続いてきたのだ。

 歴史には、年表のような時代ごとの区切り線はない。
 どっちも混じっている状態から、じんわり色が変わる。
 ぼくやあなたの「いま」は、どんなふうに見えてる?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼくの育ってきた時代は、もう1度や2度、終わっています。

土曜日、日曜日と祝日の「ほぼ日」は9時に更新しています。
昨日の「今日のダーリン」を読み逃した方はこちら。

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