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人肉食の名著『カニバリズム論』

 古今東西のカニバリズムを取り上げ、縦横無尽に語りあかした名著。めちゃくちゃ面白い。

 メデューズ号の筏から始まり、ひかりごけ事件、韓非子や水滸伝などの中国古典、魯迅、フレイザー、ゴヤ、バタイユ、スウィフト、サド、谷崎潤一郎、夢野久作などを渉猟しつつ、カニバリズムの普遍性を炙り出す。

 そして、人が人を食う行為をタブー視し、絶対悪のように「あちら側のこと」切り離そうとする「良識」を笑い飛ばす。そんなものは絶対的な状況下では糞の役に立たず、むしろ「あちら側のこと」として思考停止することを批判する。猟奇的殺人の動機として、何も言っていないに等しい便利な言葉「心の闇」で評し、「私とは関係ない」と片付けている人には、その欺瞞を暴き立てることになるだろう。

 さらに、カニバリズムからエロティシズムに踏み込んでくる。肉欲の至高の表現は、愛するものを滅ぼし、これを食い尽くすことにありはしないだろうか? と問うてくる。性欲と食欲は重なり合う。上田秋成『雨月物語』の「青頭巾」にある、愛するものの死が信じられず、焼くことも埋めることできず、ぐずぐずしているうちにグズグズとなった腐肉を吸い骨を嘗め、ついには食らい尽くす様を引いてくる。究極の愛は、相手を食べることと、自分を食べてもらうことにあるのかもしれぬ(これは円城塔の完全なるジャパニーズ・ホラー訳で読んでほしい)。

 名著の特徴として、読めば読むほど、それまでに読んできた本が思い出される「引き出し」「のりしろ」があるが、本書もそう。カニバリズムとエロティシズムの関係は、赤坂憲雄『性食考』につながってくる。食べること、セックスすること、殺すことは独立しているのではなく、互いに交わり重なり合っていることを喝破し、古事記と神話、祭りと儀礼、人類学と民俗学と文学を横断しながら、人の欲の深淵を覗き見る、ぞくぞくするほど面白い考察だ[レビュー]

 屍体愛好の件では、ヴィットコップ『ネクロフィリア』が引き出される。屍体にしか性的興奮を覚えず、葬儀に列席しては墓地に通い、屍体を掘り出してきては「その形が分からなくなるまで」愛する男の話だ。どうやって愛し、どんな匂いを放ち、どのように崩れていくかが、観察日記のように綴られている。描写のひとつひとつは強い喚起力に満ちており、慣れない読み手に吐き気を催させるかもしれないが、たどり着いた結論は陳腐だ。すなわち、善や正義なんてものは多数決によって判定される程度問題に過ぎぬ。自分で線を引いて善や正義の側に立つ愚かしさをつきつけられる[レビュー]

 最も非常に興味深いのが、人肉を「食糧」と見るか「料理」と見るかの認識の違いについて。著者は『西遊記』の研究で有名な中国文学の教授であるが故、中国の事例が沢山出てくる。そこでは、人肉は単なる「食糧」としてではなく、「料理」の一形態として登場するというのだ。遭難などの危機的状況で、やむを得ず人肉を口にするのではなく、権力者の美食や薬膳として振舞われる。

 たとえば、陶宗儀の随筆である『輟耕録』を引いてくる。人肉一般は「両足羊」(二本足の羊)と隠語で呼ばれ、女の肉は「不羨羊」(羊よりうまい)、男の肉は「饒把火」(たいまつよりまし)だそうな。さすが、「翼あるものは飛行機以外、四つ足は椅子以外、二本足は両親以外を食べる」文化である。

 さらに、『水滸伝』の十字坡における人肉饅頭が出てくる。十字坡は居酒屋で、その女将は実は母夜叉という魔女で、旅人を殺してはその肉を饅頭にして売っていたという。著者は、人肉をこれほど具体的な食物に次々と料理した中国人の食品芸術を高く評価するが、必然的に『八仙飯店之人肉饅頭』を思い出すことになる。

 これはアンソニー・ウォン主演の映画で、ストーリーもビジュアルも凄まじくえげつない。借金のトラブルが原因で逆上した男が、「八仙飯店」に押し入り一家皆殺しにする。恐ろしいのかここからで、バラバラにした死体から肉を剥ぎ、それで饅頭を作って売り出し、それが非常に美味だということで繁盛してしまうという話。某殺人犯が観ていたとか、子どもの死体の解体シーンがエグいとかで有名な作品で、良い子は絶対に見てはいけない。

 他にも、デヴィッド・マドセン『カニバリストの告白』や、クライヴ・バーカー『ミッドナイト・ミート・トレイン』、ジャック・ケッチャム『オフシーズン』『襲撃者の夜』、岩明均『寄生獣』、『ネクロマンティック』(映画)などが次々と出てくる。『カニバリズム論』そのものは40年前の著作だが、そこで指摘される性と食の交わりは、全くといっていいほど古びていない。

 食べることは愛することであり、愛することは食べることなのである。

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