ななめの目

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人の期待にではなく自分の期待に応えよう/自分を裏切り、無視し続ければ、必ず自分自身から報復を受ける

11月3日は文化の日でした。

3連休だった方も多いのではないでしょうか?

文化の日はご存知の通り明治天皇の誕生日です。

しかしながら、文化とはそもそも何でしょうか?

辞書には「世の中が明け進むこと」「人間の生活様式」などと書かれています。

私たちの生活は色々な生活要素からできています。

ご飯にしろパンにしろ、服にしろ家にしろ、誰かが最初に考えて文化になっていったわけです。

それに引き換え、私たちの中に後世に残るような文化を作っている人がどのくらいいるでしょうか?

少なくとも私は作ってないです。

無為に生きています。

そう考えると、私たちは、先人の築いた無数の文化のおかげで生きていることになります。

すごいことだとおもいませんか?

別にすごくない?

じゃあ別にすごくないんだ。

 

 

近年は物質的には豊かになりました。

特に日本は豊かなのに、生きにくい世の中になったと言われます。

自殺者も多いです。

とても多いです。

おこがましい話ですが、私ですら生きにくさを感じています。

会社でも、見るからに「生きるのが辛そうだな」と思う人がたくさんいます。

私はどうして自分はこんなに生きにくいのだろう、自分よりもずっと生きにくそうなあの人はどうしてあんなに辛そうにしているのだろう、と考えてみたことがあります。

そして、その理由を一つ一つ、考えられるままに書いてみたのです。

 

私が生きにくい理由

「人のお願いを断れない」

「周囲から期待されるだけの仕事ができない」

「家族に十分な生活費を渡せていない」

「この先も家族を養っていけるか不安」

「自分とはこういう人だ、と周囲の人が思う枠の中で生きないといけない」

 

私なんかは他の人に比べると、比較的無責任に、自由に生きてきたつもりではありました。

そんな私ですら、生きにくさを感じており、その理由の大半は「他人の期待にうまく応えられていない」ことだったのです。

私なんかよりも、もっと責任感の強い人ならなおさらでしょう。

 

私は、いつの間にか、人の期待に応えようと思うあまり、自分自身はどんな風に人生を送りたいのか?自分は何がしたいのか?それがわからなくなってしまっていたのです。

 

子供の頃はまだ、大人になったらこんな風になりたいという、カッコよくて毎日を自由に楽しく過ごす自分を描いていたように思います。

しかし、そんなイメージもすっかり失われ、今は家でも外でも、周囲の人の作る「私」と言うイメージの中で生きることに一生懸命になっているように思います。

 

最近は何のために生きているのかわからなくすらありますが、ブログを書いているおかげで、少しずつ自分を取り戻せているような気がします。

 

私のような身勝手な人間ですらそうなのですから、多くの日本人の方は、もはや自分が何者で、何のために生きているのかわからなくなっているのではないでしょうか?

そして、自分が「自分に何を期待していたか」すらわからなくなっていることでしょう。

 

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自分を裏切り、無視し続ければ、必ず自分自身から報復を受ける

あなたは他人に報復をしたり、他人から報復を受けたりしたことがあるでしょうか?

 無い?

じゃあきっと素晴らしい人格者なのでしょう。

これからもぜひその調子で生きていってください。

いや、たくさんある?

それなら私と同じですね。

自慢ではありませんが、私はたくさんあります。

私は誰かに攻撃したり、されたりすることがとても嫌いで、極力争いを避けるような人生を送ってきたつもりです。

それでも、知らず知らず人を傷つけたり、言葉を取り違えられたり、真意が伝わらなかったり、お酒の勢いでつい本音を言って人を傷つけたり、そんなことが数知れずありました。

思い出すだけで冷や汗が出たり、自分の首を絞めたくなるような嫌な思い出もたくさんあります。

私自身も誰かに傷つけられたリ、ひどい言葉を浴びせられたリ、邪険な扱いを受けたり、露骨な嫌がらせを受けたりしたことがたくさんあります。

そして仕返しをしたり、報復のようなことをしたこともあります。

とはいえ、小心者の私がする仕返しなど、せいぜい陰口を言うとかその程度ですが。

 

しかし、それが自分の命や財産を脅かすような被害、家族や自分の人生が損なわれるような被害を受ければどうでしょうか?

その報復は陰口程度では済みません。

 

 法律や秩序の無い世界、警察や裁判が無い世界で、もし自分の財産を奪われるようなことがあれば、倍返しにして相手の財産を奪い返そうとするでしょう。

もし自分が殺されそうになったら、相手を殺そうとするでしょう。

 

それが人間としての自然な感情、自然な行動です。

 

何年、何十年の間、自分を無視し、ないがしろにし、自分の幸せを踏みにじり、人生をめちゃくちゃにした相手がいたとすれば、「殺してやりたい」と思うのが、ごく自然な人間の感情です。

 

自殺する人の多くは自分を裏切っている

日本は自殺大国です。 

私の周囲にも自殺をした人が何人かいます。

大学の時に比較的仲の良かった同級生が一人、会社に入ってからも近い場所にいた同僚が二人死んでいます。

皆、真面目で勤勉で、責任感の強く、親切な、良い人ばかりでした。

 

人前で怒りをあらわにしたリ、大声で怒鳴り散らしたり、自分の都合を優先して約束をすっぽかしたり、身勝手な行動を取ることの無い人格の整った人ばかりでした。

上司に叱責されたら真剣に思い悩み、苦しみ、なんとか改善しようと夜遅くまで会社に残るような人でした(当時は残業代なんてつきません)。

いい加減な相手なら上司も匙を投げますが、本人がとても真剣に受け止めるので、上司もその人には遠慮なくどんどん言います。

 

皆、人に嫌われるようなことの無い人ばかりでした。

でも彼らは自殺したのです。

 

彼らの死を見て、私は思いました。

死んだ人を悪く言うつもりはありません。

でもはっきりと言いたいと思います。

彼らは自分自身から報復を受けたのです。

彼らは、いつも人の期待に応えようと他人のために一生懸命に生き、他人の作った自分のイメージや理想像に追いつくために時間を費やしてきました。そして、自分の希望や望みや願いを無視し、ないがしろにし、自分の幸福を踏みにじって生きてきたのです。

自分の希望や願いに耳を傾けることができるのは、この世で自分しかいないのです。

それなのに、彼らは自分自身の願いや希望に耳を傾けず、無視し続けたのです。

踏みにじられた彼ら自身の願いや希望は潜在意識の中で絶望に変わり、そして自分自身への復讐心に変わっていったのです。

彼らは、自分が踏みにじってきた自分自身に報復され、殺されたのです。

彼らには申し訳ないですが、それだけ自分を殺して生きていれば、それは仕返しされても仕方がないと私は感じました。

自殺は免れても、心の病、体の病や、他の形で自分からの報復を受けたことでしょう。

 

いつも身勝手で自分のことしか考えない自己中心的な人はそうそう自殺をしません。

それが良いわけではありません。

でも、自分自身から報復を受けて殺されるよりはずっとマシです。

 

逃げたいと思う時は逃げるべきです。

理不尽なことをされたら怒るべきです。

どうして自分ばかりと思うことがあれば、はっきり言うべきです。

しんどい時は休むべきです。

自分を邪険に扱うような相手からは離れて良いのです。

自分の希望に耳を傾け、あなたの大事な人と同じように自分自身を尊重しましょう。

 

しかしながら、それはきっと人の期待を裏切ることになるでしょう。

自分勝手な奴だと罵られるかもしれません。

もしかしたら何かしらの仕返しをされるかもしれません。

 

でも自分から仕返しをされるよりはずっとマシです。

 

これだけは覚えておいてください。

他人から受ける報復からは逃げられても、自分自身から受ける報復からは、決して逃げることができません。

 

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