たとえばマスコミが偏った報道をした時に、「マスゴミ!」と“マスコミ”を非難する人がいる。

まず、「マスゴミ」という言葉を使った時点で、その後に続く自分の意見の切れ味が悪くなるので、それはあまりオススメしない。

これから話すのは、それとは別の話。

偏った報道を繰り返すマスコミを非難する…その真意は、「こんな報道はヤメロ!」ということだと思うのだけれど、
何やら漠然とした、何やら得体の知れない『マスコミ』という“カテゴリー”を非難しても問題解決に向かわないと思うんだよね。

ニュースをお届けする人や、記事を書く人にしてみれば、『マスコミ』を非難されても、自分には実害がないから。
僕にしてみれば、誰かが『芸人』を非難しても「あっそ」で終わる。そんな感じ。

それと同じ話で、かなり話題になった、先日の週刊新潮の強引なネガティブキャンペーンの件なんだけど、
ここでどれだけ「今回の週刊新潮の記事ってヤバイよね」と非難しても、週刊新潮のライターさんからしてみれば、週刊新潮を隠れ蓑に、今後も同じような記事を書き続けていくと思うんだよね。
僕が週刊新潮のライターだったら、週刊新潮が叩かれようが痛くも痒くもないもん。

この問題を解決する方法は一つで、記事やニュースを出した責任の所在を、マスコミや週刊新潮といった『カテゴリー』にするのではなくて、『個人』に特定することだと思う。

下手なことをしたら、その分、キチンと個人に痛みが伴うようにする。

週刊新潮の場合だと、その責任は新潮社の佐藤隆信社長。

社長がオッケーやNGを出しているのだから、週刊新潮の記事は、全て、佐藤隆信社長の意見だ。
「キンコン西野、ズレてね?」は佐藤隆信社長から僕への意見なので、当然、反論するなら、週刊新潮でも、新潮社でもなく、佐藤隆信社長に反論する。
もちろん皆様にジャッジしてもらえる公の場で。

すると、週刊新潮のライターさんに、キチンと責任が発生していい。
今回のような雑な記事を書くと、社長の評判が落ちるので、雑は記事は書きにくくなって、記事の質も上がる。

マスコミや、週刊誌の責任の所在を個人に特定する。

これ、結構、前向きな提案です。

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