1854年の11月5日に起こった安政南海地震(M8.4)では、紀伊国広村(現在の和歌山県有田郡広川町)が津波に襲われました。そのとき機転をきかせて村人たちを救った浜口梧陵(儀兵衛)さんをモデルにした物語が、『稲むらの火』です。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲。怪談話で有名ですね)が英語で創作し、中井常蔵が翻訳・再話したものです。1937年から約10年間、国定教科書の国語教材として使われていました。そのあらすじとは…
お祭りの準備で浮き立つ村に、地震が起きます。海の異常な様子から津波の襲来を予測した老人は、刈り取ったばかりの自分の稲むら(稲の束)につぎつぎと火を放ちます。「庄屋さんの家が火事だ〜!」と、消火に駆けつける村人たち。こうして高台に集められた人々は、眼下で津波にのまれていく自分たちの村を目の当たりにします。命が救われたことに気づき、思わずひざまずくのでした。
この物語には、史実と異なる設定がいくつかあります。たとえば、主人公のモデルとなった梧陵さんは、当時老人ではなく、三十代の若者でした。また、燃やした稲むらはお米入りではなく、すでに脱穀済みの藁だったようです。さらに、稲むらを燃やした灯りは、津波の襲来に気づいていない村人たちを誘い出すためではありませんでした。じつはこのとき、村はもう津波の第1波に襲われた後だったのです。梧陵さんは、暗闇のなか、逃げ遅れていた人々を安全に避難させるための誘導灯として稲むらを燃やし、多くの命を救ったのです。
感動的な実話が、創作によりドラマチックにパワーアップ! 一年の労苦の結晶である稲よりも、人の命は尊い。そんな防災の基本理念が、ストレートに伝わってきますね。津波などの自然災害の予知には、地域に伝わる伝承や高齢者の経験も大切。そして危険を予知したときは、速やかに回避に努めるという、地域防災の責任者としての危機管理。何より、「津波はとってもおそろしい! 地震を感じたら、一目散に高いところへ逃げること!」という教え…『稲むらの火』は、当時の子どもたちの心にガツンと記憶されたようです。
その後の実話がまた、驚くべきものでした。津波の後、梧陵さんは炊き出しや食糧確保など、被災した村人の救援活動に奔走します。現在の銚子市ではじめた醤油づくりで得た私財を投じ、「仮設住宅」の設置や失業対策まで…「生きる希望」を取り戻すことが復興なのだと、ちゃんと知っていらしたのですね。さらには、防風林を植え、防波堤を建設。のちの昭和南海地震津波では、この堤防により多くの住民の命が守られたそうです。このような復興への取り組みの姿勢も、『稲むらの火』が注目されている理由のひとつなのですね。

脱穀前と後、どちらを積み上げても「稲むら」と呼ばれるのだそうです