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『課長島耕作』は、女性とねんごろになっているだけで...
『課長島耕作』について書くつもりだったのだが、うまくまとまらないので開き直ることにした。徒然なるままに、島耕作への思いを語って行きたい。
まずは、島耕作との出会いについて。
それは、大阪梅田の漫画喫茶であった。ホテルがうまく見つけられずに、漫画喫茶に宿泊していたのだ。その時は、厄介な原稿を抱えていた。原稿を書くのが辛くて辛くて押し潰されそうになっていた。
登山で言うと9合目から9.5合目の苦しみ、バスケでいうと4Q後半、サッカーでいうとアディショナルタイムである。
正念場であり、頑張りどころであった。しかしぼくは、大切な原稿を放り出して、『課長島耕作』の1巻を手にとってしまったのだ。
どうして『課長島耕作』だったのか。脳も身体も疲れていたから、気軽に読めるお色気ものが読みたかったのかもしれない。『課長島耕作』と言えば、女性とねんごろになっているだけで勝手に出世していくサラリーマンファンタジーとして有名だったのだ。
読み始めると止まらなくなった。
『課長島耕作』が連載開始したのは1983年(昭和58年)である。島耕作は、初芝電気産業(松下電器産業を強く想起させる会社)に勤めていて、34歳で課長に昇進するところから物語が始まる。当時34歳ということは、2017年には68歳になっている計算だ。
今となっては昔の話なので、OLが「巨大なラジカセ」を手にして大喜びするなど、今となっては笑えてしまうようなシーンも散見される。また、島耕作の発言も非常に古臭い倫理に縛られている。言ってみれば女性蔑視的だとも言える。
第一話で、田代友紀という部下のOLを叱責しようと食事に呼び出した結果、性的な関係を持ってしまう。
第二話では、トップレスの女性が待っているデートクラブで見つけた桜井恵子という女性と夜の交流をしようとするのだが、うまく男性側が整わずに未遂に終わる。そして翌日、よりによってその桜井恵子が、初芝の面接を受けに来るのである。面接官となった島耕作は、女性蔑視的な思慮のもとに彼女を不合格にする。
次に、第三話では、取引先の中西という男から夫婦スワッピングを持ちかけられる。つまり、お互いのパートナーを交換しようという提案がなされるのだ。といっても、島耕作の妻役は、実際の妻ではなく、中西の愛人だったのだ。つまり、自分の愛人とおおっぴらに遊ぶために、スワッピングを持ちかけたということだ。
夫婦を交換して40時間自由に過ごすという提案の中で、島耕作は、中西の妻とも関係を持ってしまうわけだから、なかなかどうしようもない話だ。
ここまでで評価するなら、「ゲスの極み耕作」である。大した物語ではない。疲れた大衆に向けた、会社が舞台のちょっとしたポルノグラフィに過ぎない。
ところが、次のエピソードからは物語が大きく転じることになる。これまでは、女性と肉体関係を持つことが前提でプロットが組まれていたのだが、このエピソードには、肉体関係を持つ女性が登場しない。
代わりに、大学時代の全共闘仲間の五十嵐という男が登場する。このエピソードで語られるのは五十嵐の人生である。五十嵐には子供が二人いるのだが、既に離婚している。兄は五十嵐が男手で育て、妹は元妻と一緒に暮らしているのだが、元妻は金持ちと再婚する。
何の色気もないエピソードが唐突に現れるわけだが、もしかしたら評判が良かったのかもしれない。『課長島耕作』はポルノグラフィから、人生を描いた物語へと移行しつつあった。
そして、次のエピソードは、鳥海赫子という地味な女性が登場する。彼女は"口が堅くて安全、浮気相手として最適と言われる出納係の女"なのだそうだ。現代に聞くと少しギョッとするのだが、当時のサラリーマンはこういうノリだったのだろう。
後に島耕作は後悔する。
“4枚目の北ペーのように安全な女
でも国士無双に振り込んじゃったぞ”
いやー、昭和のノリだなぁ。
さておき、このエピソードは、社内スパイをめぐる物語となっている。大企業の内部の人間関係、派閥争いなどを追体験できるのは、今となっては貴重なコンテンツである。
そして、島耕作は、ニューヨークへと単身赴任することになる。この時を契機に物語は一層重くなっていく。当初は女性蔑視的な考えを持っていた耕作ではあったが、ニューヨークで、美しき女性アイリーンとの交流を持つ中で、次第に考えが改まっていく。
アイリーン。そう、アイリーンのことは、決して忘れてはならない。アイリーンという存在によって、物語は一層深みへと引きずり込まれていくのだ(これ以上のことはネタバレになるので書かない)。
『課長島耕作』の最初の数話は、軽薄なエピソードの連続であったように思うが、次第に物語は深まっていく。
島耕作は呟く。
“みんな業の深い人生を送っている”
『課長島耕作』は、ポルノグラフィを含むサラリーマンファンタジーであると同時に、業を味わうエンターテイメントなのである。登場人物の多くは、業を抱えながらも必死に生き抜き、そして……。
そして、死んでいく。そう、この物語は、登場人物の死まで描いていく。
『課長島耕作』は自分らしく生きるという価値観が、今よりはるかに小さかった時代を生きた男たち、女たちを描いた物語である。
この話の何が良かったのか。まだはっきりとは言葉にできなかった。出来るかと思って書き始めたのだが、うまく出来なかった。今から他の本にするわけにもいかないので、徒然と思うことを書いてみたので少し歯切れは悪い。
ただ、確かなことが一つだけある。
難しい原稿を抱えながら、逃避としてこの作品を読んだ。『課長』につづいて『部長』、『取締役』まで読んだ。それは間違いなく現実逃避であった。しかし、何かがうまくはまったらしく、読み終えた後、抱えていた原稿があっさりと完成したのだ。
『課長島耕作』が持つ謎のパワーに突き動かされたらしい。この作品は何なのかと表現するのは、想像していたよりはるかに難しかった。結局、「女性とねんごろになっているだけで勝手に出世していくサラリーマンファンタジー」としか言いようがないのかもしれない。
そうじゃないと言いたいところなんだけど、そうとしか言いようがない。でも、本当はもっとずっと深いものなのだ。1巻の最初の方は軽薄なエピソードも多いが、是非アイリーンとのエピソードを読み終わるくらいまでは読み進めて頂きたい。
現代の価値観とは異なるが、古典としては大きな価値がある作品であることは間違いない。
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