ランダム化対照実験が行なえない場合は、ビッグデータを使った統計解析で因果関係を推測する。
その第一人者がアメリカの経済学者スティーヴン・レヴィットで、世界的なベストセラーとなった『ヤバい経済学』(東洋経済新報社)では詳細なデータ解析によって、1990年代になってアメリカの犯罪件数が劇的に下がりはじめた理由が「中絶の合法化」だと主張した。
中絶を合法化した年が州によって異なっており、1970年代に中絶率が高かった州は1990年代の犯罪率がより大幅に減少していたというのだ。
ここまでは完璧なエビデンスに思えるが、その後、犯罪学者などによって、同じ統計解析の手法を使ってまったく異なる説明がなされるようになる。それは、「胎児の血中の鉛レベル」だ。
胎児期および出生後に鉛レベルが高かった子どもは脳の前頭前皮質に損傷を被るリスクがあり、20代前半になると犯罪や暴力を起こしやすくなる。
アメリカでは、環境中の鉛レベルは1950年代から70年代にかけて上昇し、70年代後半から80年代前半の規制強化によって大きく改善した。
その鉛レベルの推移と、23年後の犯罪発生率とのあいだにはきわめて強い相関関係があるのだ(エイドリアン・レイン『暴力の解剖学』紀伊國屋書店)。
もちろんこれだけでレヴィットの「中絶の合法化」説がまちがっているということはできないし、鉛の環境規制との相乗効果があったのかもしれない。
ここでいいたいのは、ビッグデータをコンピュータで統計解析すれば(あるいはAIに深層学習させれば)自動的に正しいこたえが出てくるわけではない、ということだ。
本書は学術書ではなく、エンタテインメントとして書かれているから、テーマごとに導入のエピソードが置かれている。これは"いわずもがな"かもしれないが、これらの魅力的なお話は個人的な体験や特殊なケースでエビデンスにはならない。
それを「科学」へと落とし込んでいくところが著者の手腕なのだが、なかには日本人のわたしたちからみて、「なぜこのエピソード?」と不思議に思うものもある。
たとえば第3章の「やり遂げる力(グリット)」のところで、プリンストン大学を中退して少林寺拳法を学びに中国に渡る若者が登場するが、彼のようなグリットをもちたいと思う読者はあまりいないのではないだろうか。
これはバーカーが、過去の膨大なブログのなかから読者に評判のよかったエピソードを選んでいるからで、この奇矯な若者の"冒険"は、アメリカ人の読者にはうけるのだ(たぶん)。そのような視点で、日本人とアメリカ人の「成功」観を比較してみるのも面白いだろう。
本書は企画の段階からかかわり、わたしの意向で原書の抄訳ではなく、参考文献リストも含めた完全なかたちで出版してもらうことになった。邦訳文献は別にまとめたので、関連書籍を読んでみたい方には役に立つだろう。
ただし、著者の同意を得たうえで、話の展開をわかりやすくするために、日本人にはあまり馴染みのないエピソードのいくつかを割愛したことをお断りしておく。
翻訳にかんしては、監訳者としてわたしに責任があるのは当然だが、翻訳家・竹中てる実さんの素晴らしい仕事にほとんど手を加える余地がなかったことを記しておきたい。