わたしのなかのおんならしさ

わたしは、お酒を飲むと「女っぽくなる」

(話してる相手が女性だと多くでてくる)

下世話な話になったら、口にてを当てて恥じらうし

女性視点でものごとを語ったりする

周りは「そういうひとなのかな?」と思うらしい

 

で、よく考えてみれば、そうなのかもしれない

一時期ネットで女性のフリをしてたときもあった

詩を書くのも女性的といえば女性的なわけで

 

現実的にも、このあいだ

「この映画のこういうところがいい」って言うのが女性視点すぎて

「そっち視点なんだ!」と驚かれた

 

ナチュラルで女性

女性になりたガールである

 

でも、自分としては立派に男だとおもってる

ついてくより、ひっぱっていくほうが好きだし

マッドマックス好きだし、ジャッキー・チェンも好き

男のことは「男」っていうけど、

女性のことは「女性」って言う

 

じゃあ、この女性っぽくなるのはなんだろうなあ?と考えていたら、、、わかった

 

「女性になりきると、いままで言いにくかった言葉をいいやすい」

 

たとえば

男視点の場合なら、自分が男だから「男だから、弱音は吐かない」みたいな感情をおしころす行為をしがち

でも、女性なら

自分は男だから客観的に「女性にも感情はあるから、弱音を吐いてもいいよ」と思ってるので、自分が女性になれば弱音をスラスラ吐けるようになる(常にある価値観が邪魔をしない)

 

詩とかで「弱音を吐けよ」って言うのは、男の自分に言ってるんだろうね

 

てことで、まとめると

女性は自分と別の生き物だと思ってるので、人間としての権利を認めてあげられてる(感情)から、女性になりきると好きなこと言いやすいってことだ

 

思い返せば、男が女性の心をとらえた作品が好きだ

太宰治の「女生徒」中田ヤスタカの「マカロニ」

これらの作品も、もしかしたら日常的にだせない感情を、女性という形を使って表現してるのかもしれない

それは「弱さ」「感情」「内面の葛藤」

女性ってよりも、人間らしさ(愛嬌)を感じて好きなんだろう

これは、きづいてもらえると一番嬉しい部分

だから、太宰治とか中田ヤスタカが表現してくれると

「ありがとう!あなたが表現してくれたおかげで、誰かに伝え、理解してもらえる」って思える

 

ぜひ、男は女性に

女は男性になってみてはいかがかしら?

(現実の女性は「かしら?」なんて使わないけど、ここでいう女性は「他人」という意味をもつので、リアリティのある女性じゃなくてもいい)

 

だから、全部カタカナにして

「コノホシハワレワレノモノダ」とかいうのも同じかも

(この人は、地球を自分のものにしたいという感情をおしころしてる)


自分が言うと

「めんどくさいやつだな」って思われるようなことも、他人の言葉という形にすれば、みんなも不快感なく聞いてくれるという意味合いもある


「もっと優しくして欲しい!」とか

「ご飯のあとはデザートなくちゃ」とかね