「小説っておもしろいものだな」と痛感させられる大作だ。脳みその、かけがえのない喜び、と言ってもよい。
マーガレット・アトウッドはカナダを代表する作家であり、数々の文学賞に輝く、第一人者である。
そして『またの名をグレイス』のテーマは殺人事件。1843年、トロント近郊の屋敷で主人とメード頭が惨殺された。犯人として屋敷で雑用係を務めるマクダーモットと、若くて美しいメードのグレイスがあげられ、前者はその年のうちに罪状が確定して絞首刑に、後者は死刑をまぬがれ、長く収監されることとなった。実際にあった事件であり、広く話題となり、いくつもの論評や作品が発表された。グレイスは下層階級の出身であったが、大変な美少女で、事件の背後に男女関係のもつれがあったことは十分に推測された。それが話題沸騰の一因であったろうが、それとはべつにグレイスには、決定的瞬間の記憶が欠けていたのである。主犯か従犯か。うそをついているのか、精神に異常があるのか、心の闇がいっこうに晴らされず「これが真相だ」「いや、そうじゃない」——人権派や精神科学者の主張も加わって国民的な事件となったらしい。
アトウッドは事件についての情報を広く渉猟し、取捨選択して、正しいと信じうるものを基にイマジネーションの網をかけた。小説の設定は、人権派の依頼を受けた若い精神科医サイモンが、グレイスに親しく接して幼い頃からの記憶や現在の生活について逐一語らせる、という構造。さながらこの本の装画となっているキルトの模様のように、断片的にヒロインの過去と現在が示され、さらに医師サイモンの感想や彼個人の生活事情も入り交じり、関係者の書簡も加わってストーリーの展開はけっして滑らかなものではなく、全貌(ぜんぼう)は「読者の頭の中で構築してください」という仕様になっている。だが、その構築はさほど困難ではなく、とりわけ作品の中核をなすグレイスの告白がえも言われずおもしろい。裁判所の記録など確かな資料を採用しているはずだが、となると、グレイスの告白には、たとえば「女中頭の名前は蜂蜜と同じハニーさんでした。甘いのは名前だけで、蝋燭(ろうそく)消しのように尖(とが)った鼻をした味も素っ気もない人でした」など、おもしろい文句がところどころに散っていて、グレイスはろくに教育を受けていなかったけれど、文学的センスを秘めていたのかもしれない、それがこの女性の魅力の一つであり、ひいてはこの作品の魅力にもなっている、と私は考えた。
事件の起きた1843年は日本では天保14年、作品の背後に漂う精神科学についてもフロイトの登場以前のことだし、
——カナダの人は、こんな遠い事件に今なお関心があるのかな——
と疑念を抱いたが、ここには歴史の短い国の庶民史が鮮やかに綴(つづ)られている。アトウッドのモチーフとも言うべき記憶の問題とあいまって十分に現在性を持つ文学として、ひとときはベストセラーにも名を連ねたらしい。
評・阿刀田高(作家)
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佐藤アヤ子訳、岩波書店・各2940円/Margaret Atwood 39年生まれ。作家・詩人。ブッカー賞など受賞多数。邦訳に『侍女の物語』ほか。